第三項「切断と溶接」
誰もいない公園のベンチは拒絶すら感じるほどに冷たく重苦しい。だからこそ何をしても文句を言われる筋合いなんて無いような気がしてくる。木陰から眺める木漏れ日はなぜあんなに気持ち良さそうなのだろう。初夏、沙也の腕からもったいぶるように膨らみ少しずつ零れる血は生にしがみつく仕組みに侵されている。蛇口か溢れる水みたいに流れていたなら私達もきっと何も悩みはしなかったのに。
「恥ずかしいよ、これ」
沙也が笑う。赤い血とのコントラストのせいでどこか嘘くさい。
「本当にあまり切れないんだね」
今さっき文房具屋で買ったカッターは、まるでさっきまでの自分の覚悟のようにちゃちだった。おっかなびっくりに沙也の腕に添えて、それでもかなり力を入れて引いたそれは皮膚の表面を傷つける程度だった。
「うん。でも、別に汚してくれるだけでいいから。そんなちゃんとした奴じゃなくていいよ」
「そっか」
「でも、やっぱりこれ恥ずかしいよ。気持ちいいから」
「痛くないの?」
「痛いけど気持ちいいよ。だから恥ずかしいの」
「沙也、嘘つかなくていいよ」
思考が美しい文章を指でなぞるように心地よく、薄弱な意識がそれでも持て余すように口を動かした。沙也は面食らった顔をしていて、少しだけ笑った。
「嘘ぽかった?」
「だって笑ったでしょ?」
「そう。私笑ってたんだ」
「笑ってた」
「笑うつもりは無かったのに」
一つ、拾えた。沙也が落とす前に返すことが出来た。ずっとその繰り返し。
「幸せかもね、これ。玲奈はどう?」
風が吹かない何かが溜まった場所をそっと掃いていって、居心地がよくなる。それを幸せと形容するとして。
「私は今、幸せって言うか深いよ。今までで一番。沙也がいつ死んでもいいくらい」
「ああ、そうなんだ。ごめん」
沙也が笑う、さっきの嘘を埋め合わせるように続ける。
「幸せや不幸ってさ、やっぱり生を誤魔化すためにあるような気がする。生をそのまま表現したくないから、少し目を逸らして、言うんだよ。ちょっと笑って誤魔化してみて、でもやっぱ嘘だったなって思ったら、そしたら真空に生だけが残ってしまう。生を見て、ああ生だって、喜びも悲しみも無く言える人がこの世にいるのかな」