ラムズ教会 5
盛大に汚された食堂の床を片付け終えると、すっかり辺りは暗くなり始めていた。夜がやって来る。明かりの少ないこの世界において夜は恐ろしく感じた。漆黒なんて見たことのない闇が迫って来るじゃんね。闇には幽霊がいるよね。怖いよね、襲われるよね。気にしすぎかなぁ?。部屋に急ぎ足で戻るとやけに静かだ。誰もいないのかと思えば部屋の隅のベッドにうずくまるように固まる獣人の二人。人族の二人の姿は見えない。何をしているんだと思いながら自分のベッドの腰掛けると、突然、獣人の二人が立ち上がりこちらを睨みながら部屋を出てゆく。そのうちの一人、ガウラの目の周りには青あざがくっきりとできていた。人族の二人とやり合って負けたのか?獣人が?力も武術も優れていそうなのが、ひょろひょろした人族にやられるわけない・・・まさか。僕は慌ててベッドの下から籐製のトランクバックを取り出すと、そのトランクの口からはバネのついたパンチンググローブがゆらゆらとしている。こんなくだらないおふくろのセキュリティに引っ掛かる人がいるだなんて。ちゃんとした手順で開けないとパンチンググローブが飛び出す、文字通りびっくり箱仕様になっているのだが・・・あいつら実は馬鹿なのか?パンチンググローブをセットし直し、きちんとトランクを開けると中を確認してみる。盗まれた物はなさそうだ。気がつくとあたりは暗くなり始めている。そういえば灯りってどうしてるんだ?昨日はどうしていた?確かランプの灯りがあったような。リチアに聞いたら教えてもらえるかなぁ?
部屋を出るとちょうどミレが廊下をランプを手に歩いている。
「あのう、ランプってどこに行けば貸してもらえますか?」
僕がそう声をかけると、ミレは立ち止ってはくれなかったが一応は答えてはくれた。
「備品庫。あとは自分で何とかしな」
相変わらずな対応だなぁ。まあ教えてくれただけいいか。備品庫はたしか奥に進んだ所だよね。
部屋を出て建物の奥に進む。今朝行った場所だから迷う事はないけど部屋の中にそんなの置いてあったかなぁ?廊下の突き当たりの右手の部屋、備品室と書かれた札のある扉を開けると窓のない室内はすでに見えないほど暗い。映画のようにオイルライターの火を灯し灯りにしてみるが思ったほど明るくはない。やっぱりあれは演出なんだ。それでもないよりはマシな光でランプを探すと、ガラス製の傘を持ち上げ出した芯に火を灯すと一気に灯りが広がる。今朝は気が付かなかったがランプが棚にたくさん並んでいた。明かりを頼りに大部屋に戻る。大部屋には誰もおらず暗がりだけが広がっていた。僕はベッドサイドにランプを置くと、トランクケースの中から手品用のコインを一枚取り出し、手の中にコインを隠すテクニックであるパームと呼ばれるものを、基本的に使われる物を中心に繰り返し訓練してゆく。利き手の右手だけでなく左手も行い違和感なく見えるように。またいつかのように手品を皆の前で披露できる事はあるんだろうか。そして夜は深まって行った。
教会に来て3日目の朝がやってきた。目覚まし時計があるわけじゃないので何時なのかはわからないが、たぶん朝の5時。なんてとっくに7時を過ぎていてもう食事は終わっていましたなんてことになっていたりして。顔でも洗って来ようと思ってトイレに向かうと、女子トイレから髪の毛を顔全体に下ろした女性が出て来る。お化けかよ〜びっくりして気を失っているうちに、いやいや、目を離した隙にその人物の姿は消えていなくなっていた。びっくりしたぁ、寝ぼけて変な物を見ちゃったよ。顔おを思いっきり洗うと早速炊事場へ移動してみる。
炊事場にはちょうど朝食が届いたところで、どこから湧いてきたのか人族の二人と獣人の二人が今か今かと蓋の閉まった、料理が入っている大きな容器を眺めている。そんなに気になるなら蓋をとればいいのに。まもなく司祭とリチア、ミレがやってきて食事をお皿に取り食堂へ。人族、獣人達も食べたいだけお皿に取り分け食堂に移動する。あれだけ皆でいいだけとりわけて行ったのにまだ僕が食べてもなお余る食材が残っている。ありがたいんだけど、食べなかった食材はどうしているんだろう?
食堂に取り分けた料理を持って行くと、僕が勝手に呼んでいる朝礼が始まる。
「今日の予定は特にありません。イベリス、ストックは?」
「東13番の田の畝が崩れているので、復旧作業に入ります」
「ウィル、ガウラはいつも通り入り口の警備を。ウエダは・・・掃除でもしていてください。では、ご飯にしましょう」
なんだろう?僕がここにいる意味って、食事の時の片付けだけのため?リチアが言うならって皆は言っていたが。なにを考えているのやら。
食事の片付けを終え、聖堂へと行く。聖堂の入り口は大きく開かれ、獣人の二人は門番として今はしっかりと立っている。今日は昨日のようなイベント事がないためだろうか人の姿はまばらだ。祭壇に向かって右側にある受付にはいつものようにリチアが一人座っている。
カルノーサ国、ロザート領、ベコハ村ラムズ教会。村における教会の役割は大きく分けて2つあるらしい。1つは他の場所に移動するための手形の発行。これは自国で犯罪を犯したものを他の領地に移動させないための処置で、手形のないものは簡単に移動ができないらしい。2つ目は税の徴収。大陸内には5の国家が存在し全てに国王がいる君主制国家が形成されており、その下に領主と呼ばれる貴族が土地を支配している。領主は管理している土地の税を納める事で管理を許されており、税を納められない領主はその地位を追い出される者もいるのだとか。では領主はどうやって税となるお金を集めているのか?それは教会を役所として利用しているから。教会には元々戸籍のような物を作り住む人々を守ってきたという歴史があり、それに目をつけた領主が教会に徴収を依頼したのが始まりらしい。そこから教会の力は強まり、本来なら領主の持ち物である土地で勝手に耕作はできないのだが、税を納めるためと勝手に耕作をする教会も増え、税以上の利益を得ている教会も少なくないらしい。そのため司祭になりたがる者が後を立たないらしい。司祭の条件。精霊を従えている事。精霊使いになろうなんて思わないように。そうローマンが言っていたけど、あれはいったいどう言う意味だったのだろうか。
何事もなく1日は過ぎ、特に暑かったこともあり日陰で休んでいた獣人二人が、陽が落ちた頃に入り口に戻ってくると、聖堂内に誰もいない事を確認して入り口の扉を閉める。やっと1日が終わった。今日は汗もかいたしシャワーでも浴びたい。みんな身体を洗うのはどうしているんだろう?まだ受付にいたリチアに聞いてみる。
「シャワー?なんですかそれは?」
相変わらず目も合わせてはくれない。
「お風呂と言うか、身体を洗って汗を流したいのですが」
「身体を洗う?ここにはそんな施設はありません。洗濯室で水で身体を洗ったらいいんじゃないですか」
「え!!そうなんですか?」
他の人や獣人はどうしてるんだろ?あんなに汗をかいていたり、外仕事している人たちなのに体を洗っているのを見た事がない。
「皆は娼館に行って身体を洗ってもらうみたいですが、ウエダも行けばいいんじゃないですか」
行けばって、そんなお金どこにあるんだよ。大体この世界の通貨すら知らないのに。サウナがあるみたいだけど、どうやら使わせたくはないみたいだし。水風呂の水で体を流して来るか。
大部屋に戻るとすでに獣人の二人は窓際でくつろいでいる。まだ時間ありそうだよね。僕は着替えを持ちサウナ室へ行くと、着ている服を洗濯し水風呂に手を入れる。冷たい。どこから水を引いているのか、ちょろちょろと注がれる水は透明度は高く、手にとって口に含むと少し甘みを感じる気がした。気合いを入れて水風呂の水をかぶると震え上がるかと思うほどやっぱり冷たかった。震えながら新しい服に着替え部屋に帰るともうそこには誰もいない。もうご飯に行ったのか?。洗濯をした服を干し、のんびりと炊事場に向かうとすでに料理が届いており、取り分けた形跡があった。じゃあ取り分けていいよね。お皿に食べ切れるだけ乗せて食堂に行くとすでに皆席に座っており、僕の来るのを待っているようだった。当然待ちぼうけを食わされている人族や獣人は僕に向かって罵倒の嵐である。先に食べれば良いのに。僕が席に座ると、いつものようにリチアが立ち上がり夕方だから夕礼かな、何やら始まる。
「本日はご苦労様でした。明日から2日間は休日となります。あまり遊びすぎないように。それでは順番に」
机の上置かれた拳サイズの巾着型の袋をリチアが手に取ると、イベリス、ストック、ウィル、ガウラが順番に受け取ってゆく。最後に隣に座っていた妹のミレに手渡すと用意されていた袋は無くなった。いきなりリチアが表情ひとつ変えずに僕を手招きする。僕を呼んだ?と自分を指さすとそうだとリチアが頷くので、自分もリチアのいるテーブルに向かう。リチアがいきなり銀色に輝くコインを一枚僕に手渡す。
「ウエダ、労働に対する賃金だ」
これは一体いくらの価値なんだろうか?コインを眺めながら席に戻ると皆はすでに食事を食べ始めていた。