水の農村都市 ベコハ
霧の絨毯にたくさんの木々がぼんやりと見える。そこに差し込んできた光はその霧を蹴散らし、苔むした地面が現れる。どうやら僕は森の中にいるみたいだ。東京、それもコンクリートの森の中にいたはずなのに、親父に会った後なぜこんなことになっているんだろう?とりあえず森で迷子になったらどうしたらいいんだ?そうだスマホで現在地を探せばいいんだ。ポケットに入れてあるはずのスマホを探ってみる。が見つからない。そうだトランクバックに入れたんだ。トランクバックの中をひっくり返すほど探すがどこにもない。どこかに落としてきてしまった・・・。
茫然と木に寄りかかってこれからどうしたらいいか考える。森で迷子になったらどうすればいいんんだったかな?確か川を探せばよかったはず。僕は藤製のトランクバックを持ち上げると、下流だと思う方向に向かって歩いて行く。道なんかないし見渡す限り木と岩だらけ。登ったり下ったり岩をよじ登って落っこちて。身体中引っ掻き傷だらけになりながら歩いて歩いて歩いて・・・突然足元の土が抜けて斜面を転げ落ちてゆく。落ちるところまで落ちた場所で辺りを見回すと、舗装なんてしていないが明らかに整備された道が続いている。ここを歩いて行けば人に会えるかも。そう思ったら力が抜けて立ち上がれなくなって、おかしくもないのに笑えてきた。親父なにをしてるんだよ。目を瞑り鳥の声に耳を澄ませる。どこかで水の流れる音がする。馬のいななきが聞こえ、何かがゴロゴロと音を立てて近づいて来る気がする。目を開けて音のする方向を見ると、一頭の馬が荷馬車をひいてこちらに向かって進んでいる。西部劇とかの撮影か?この日本で?そんな事を思っていると荷馬車は目の前でその動きを止めると、馬を操っていた男性が降りてきて僕に声をかけてくれた。
「どうかしましたか?大丈夫ですか?」
見た事がない服装を着たその人物から発せされた言葉は、日本語?だった。
「すみません。森で迷子になってしまったみたいで。ここはどこでしょうか?」
「ここですか?モルダナからベコハに向かう街道ですが?」
モルダナ?ベコハ?日本にそんな地名あったか?
「すみません。ここは日本ですよね?」
「ミホン?ここはカルノーサ大陸のロザート領ですけど?」
やばいヤバい。完全にどこだかわからない場所に連れてこられてみたいだ。何で言葉が通じるかわからないけど、ここ日本じゃないし、絶対地球でもないし。何でこんな事に。僕が肩を落として下を向いていると、皮袋に口がついた水筒と思われる物が差し出される。顔を上げると長い黒髪にブルーの瞳の女性がにっこりと笑っている。
「これを飲んで元気だしてください」
僕はその女性から水筒を受け取ると、中の液体を口に入れる。何の変哲もないどこにでもある水なのだが、なぜかめちゃめちゃ美味しかった。
「ありがとうございます。美味しいです」
「よかった」
外から見た限り、馬車には一人しかいないように見えたが、まだ中には誰かいるのだろうか?
「まだ名乗ってませんでしたね。私の名前はザリス、行商人をやってます。彼女はアリア。私とは幼馴染で、こうして良く二人で仕入れに各地を買い出しに出かけているんです」
「僕は上田美咲と言います。気がついたら森にいて、僕の住んでいた場所とは全く違う場所にきてしまったので、ちょっと戸惑ってしまって」
「そうでしたか。もしかしたら人攫いにあって、運ばれる最中に何らかの事情で山の中に放置されたかもですね。
それなら街の教会に行けば情報が入るかも。私たちはこれからベコハの街に行きますが、一緒に行かれますか?」
何をするにもとりあえず街に行って情報を得なければ。僕は二人にお願いして馬車に乗せてもらうことにした。
ザリスの横に座らせてもらい街を目指す。道は舗装はおろか整備もままならないのか、あちらこちらに石が落ちていたり、轍がひどかったり、乗り心地は最悪としかいいようがない感じだ。
「ここの道はずっとこんな感じなんですか?」
ザリスが声を立てて笑う。
「王都の近くの道なら整備もされてるんですけどね、地方は何せお金がないですから。道の管理なんて二の次なんですよ。上田さんのいたところはそんなに道は整備されていたんですか?」
舗装がしてあるのが普通でしたなどと言ったところで通じるわけないよね。
「わりと、綺麗でした」
「そうなんですか。豊かな所に住んでいたんですね」
豊かなのかねぇ。確かに富む者は富んでいたけど、そうでもない人も多くいたからなぁ。
「ザリスさんは何を主に売って歩いているんですか?」
「うーん・・・何って言われても、売れるものなら何でもって感じだしね。私の商売は行った場所でそこの特産物を購入しては、次の街でそれを売るってのをしてるから、お酒でもお菓子でも薬でもなんでも扱っているんだよ」
「かっこよく聞こえるけど単に目利きができないだけだから。無難な所で特産品なら間違いないって」
アリアが荷台の中からひょこっと顔を出して言う。
「これ。人聞きの悪いことを」
「だぁってぇ、この前、肌が綺麗になる液体だとか言ってたくさん買ったけど、全然売れなくていてるじゃん」
「あれは、売れるから。たぶん」
「ねぇー。こんなんだから」
僕はそんなやり取りに思わず笑みがこぼれてきた。
「お二人はすごく仲がいいんですね。幼馴染ってこんな素敵な関係でいられるんですね」
僕がそう言うと、二人は顔を見合わせてくすくすと笑い出した。
「私たち結婚するんです」
アリアがそう言うと、ザリスもそれに続けて言った。
「ベコハは私たち二人の出身地で、里帰りを機に結婚しようって話していたんです」
「それは、おめでとうございます」
この二人ならきっと幸せな家庭を築けるんだろうな。顔をみあわせ微笑む二人の笑顔がとてつもなく眩しかった。
「そうだ。私たちの出身の村が良く見える場所があるんですよ。見て行きませんか?」
ザリスの提案に僕はぜひにお願いしますと伝える。馬車は大きな木が一本そびえ立つ丘の下で止まった。
「あの丘の上から見る景色がいいんですよ」
ザリスの後をついて僕とアリアは丘の上にと登って行く。丘の上では大きな木が、天を突くように広がる枝を揺らし3人を迎えてくれた。幹周りが25メートルはあろうかと思われる巨木の横に立つとその眼下には、水田の中に点在する集落。その中にとりわけ大きな集落が左手に見える。その光景はまるで海に浮かぶ島々にも見えた。
「あの大きな集落が水の農村都市ベコハです」
ザリスが左手の大きな集落を指さして言う。周囲を水路で囲まれ、出入りできる場所が一ヶ所であるところを見るに、有事の際は砦の機能を担うのだろうか?ふと横を見ると、同じ方向を皆が見ているかと思ったのに、アリアは大きな木に抱きついている。
「アリア、あまり精霊の宿る物に触れるんじゃないよ、長く触れ続けると自分も精霊になっちゃうよ」
「そんなのただの言い伝えじゃん。それにこの大楠の木に触れていると心が休まるんだよね」
僕もその大楠の木に触れてみた。その木からは確かに温もりが伝わってくる気がした。
「あのう、精霊って何ですか?悪いことをする幽霊みたいなやつですか?」
ザリスとアリアが顔を見合わせ、声を立てて笑い出す。
「上田さんの住んでいた場所には精霊っていないんですか?」
「言葉はありますけど、見えたって人は・・・まあ、本当に見えたとしても馬鹿にされると言うか」
「変わった国ですね。こちらでは長年大切にされた物には精霊が宿るのは常識ですよ。おまけに見えていたなのならもう主従契約を結べる一歩手前。それを馬鹿にする理由がちょっとわからないと言うか」
「精霊と契約ですか。何かメリットがあるんですか?」
「何かって、精霊と契約できれば精霊の持っている力を使い放題なんですよ!例えばかまどに宿った火の精霊と契約できたなら、火おこしをしなくても火を点せる。もっと応用できれば攻撃にだって使える。井戸に宿った水の精霊だったら水を生み出す事だってできるんですよ!そんなのメリットしか見当たらないじゃないですか。この国は両親の地位の仕事にしか就くことが許されていないんです。どんなに才能があっても。ただし、精霊と契約できればその精霊の力に見合った職業に就ける。地位だって上に行ける事ができるんです、したら結婚だって自由に。だから精霊と皆契約したがるんですよ」
階級社会か。良くある話だよな。地位により給金が決まりそれによって貧富の差が生まれる。ここが知らない地だとしても、日本とさほど変わったところはないんだろうな。
「そう言えば精霊の宿る物に触れすぎるとっていってましたが、この大楠の木にも精霊っているんですか?」
まだ木にしがみついているアリアがそに問いに答えてくれた。
「あくまで伝説ですけど、森で迷子になった人を助けてお酒を要求したとか、美味しいものを食べたくなって街に現れたとか、お茶目ですよね」
僕は思わず二人の顔を交互に見てしまう。森で迷子になった人って僕じゃないかと。ザリスは笑いながら違うよと首を横に振る。二人が実は精霊とか言うオチかと思った。
「話だけ聞くとあまり役に立たなそうな精霊がいそうな感じですね」
「樹齢1500年の木に宿る精霊様ですもん。役に立たなくてもきっと素晴らしい精霊様がいると思いますよ」
アリアの精霊に対する考え方とザリスの精霊感は違うんだと思った。ザリスが日が高くなる前に村に行こうかと言い、アリアは木に手を振り3人は再び馬車に乗り村を目指した。