2-1.雷雨とラジオと①
「雨、強くなってきたね」
「家に着くまでにこれ以上強くならないといいけど……」
小学2年の6月。この日は梅雨の季節らしく、雨に降られながらの下校となった。
天気予報でも「今日は夕方から雨」と報じていたが、強い雨になるとは言っていなかった。
「今日はみんな長靴でよかったね」
「長靴じゃない子もいたけど、大丈夫かなぁ?」
「普通の靴だったら絶対濡れちゃうよね」
俺の前を歩く凛、みずき、結乃がガールズトークに花を咲かせる。大した雨ではないと踏んだのか、クラスには長靴で登校していない男子が何人かいた。幸い、俺ら4人は全員長靴を履いている。
ゴロゴロゴロ……
「え!?雷!?」
空から響く雷鳴にみずきが反応する。音が鳴った方を見ると、西の空が夜のように暗くなっている。太陽が西側にあるにもかかわらずあの暗さということは、相当分厚い積乱雲があるに違いない。
「こりゃ急いだ方がいいかもな」
「え!?もっと強くなるかもってこと?」
ピカッ!ゴロゴロゴロ!
「きゃあ!」
結乃が俺に話しかけた瞬間、西の空に稲妻が走り、先ほどより大きな雷鳴が轟いた。凛とみずきが雷に怯えて悲鳴を上げる。
ザアアアアアア!
「あ、雨が!」
その雷に呼応するように、にわかに雨足が強くなってきた。大粒の雨が傘を容赦なく叩き、滝のように傘の端から雨が落ちていく。女子3人は雨と雷に怯え、その場で固まってしまっている。
「みんな、一旦俺の家に避難しよう。ついてきて」
俺は声を張り上げて女子3人に話しかける。河台のじいちゃんちはもう通り過ぎてるし、ここからだと俺の家が一番近い。俺は3人が呼びかけに頷いたのを確認し、先頭に立って家を目指して歩き出した。
「ちょっと待っててくれ。タオルを持ってくるから」
俺は家の玄関で3人を待たせ、1人中に入る。
案の定、雨足はどんどん強くなり、途中から傘がほとんど役に立たなくなってしまった。家に着く頃には全員びしょ濡れになっていたため、まず風呂場に行って栓を閉め、スイッチを入れてお湯を沸かす。そして洗面所で足を拭くためのタオルを用意し、玄関に持って行く。
「これで足を拭いて」
「ありがとう、隆くん!」
「くしゅん!」
足を拭くためのタオルを玄関先に敷いていると、凛がくしゃみをして体を震わせている。
「凛ちゃん、大丈夫?寒い?」
「ちょっと寒い……」
みずきが凛に話しかけると、凛が小声で答える。思いの他早く、雨で濡れた服が凛の体温を奪い始めていた。
「さっきお風呂のスイッチを入れたから、3人で先に入っちゃってくれ。着替えは俺の服しかないけどいいか?」
「うん、全然大丈夫!」
全員の足を拭き終えると3人を洗面所に連れていき、3人分のタオルを引っ張り出して手渡した。
「タオルはこれを使って。お湯が溜まるまで少し時間がかかるから、先に頭と体を洗っちゃった方がいいな。石鹸とシャンプーは好きなのを使ってくれ。それから」
言いながら、俺は同じく洗面所にある箪笥の引き出しの1つを開けて3人に見せる。
「ここに俺の服が入ってる。風呂から出たら好きなのを選んで着替えてくれ。脱いだ服はこのかごの中に入れておいて。ドライヤーは洗面台の横にあるから、自由に使って。俺は洗面所の外にいるから、何かわからないことがあったら呼んでくれ」
「うん、ありがとう!」
一通り説明すると結乃がお礼を言う。俺は箪笥から自分の分の着替えを取って、洗面所の外の廊下に出て着替え始める。ほどなくして3人の話す声が聞こえ始めたが、ドア越しのため内容まではわからない。
ブオオオオー。
俺はまだ着替えの途中だが、早くもドライヤーを回す音が聞こえる。うちの風呂はそこそこスペースがある方だ。だが、さすがに3人一緒だと手狭だから1人が遠慮して、2人が入っている間に髪だけでも乾かしているのだろうか。
そんなことを考えつつ俺は着替えを終え、タオルを頭にかけた状態で玄関へ行き、4人分の荷物を回収してリビングへ移動させるのだった。
「結乃ちゃんごめんね、私たちの乾かしてもらっちゃって」
「ううん大丈夫。私のはそこまで濡れてないから。2人は先に髪と体洗っちゃって。2人が洗い終わったら私も入るから」
「うん!」
2枚の布にドライヤーをあてながら話しかける結乃に、みずきは頷くのだった。
「ココア、熱くないか?」
「ううん。温かくておいしいよ」
「ありがとう、隆くん」
3人が風呂から出た後、3人にはリビングで待ってもらって俺も風呂に入った。その後、3人にそれぞれの家に電話をして俺の家にいることを伝えてもらった。3人の親も雨が激しくて外に出られず、雨が弱まったら着替えを持って迎えに来ると言う。
今はリビングのローテーブルでホットミルクココアをすすりながら、俺の服を着た3人とともにようやく一息ついている。雨と雷はまだやむ気配がなく、雨雲で外が暗いためリビングの明かりをつけている。
「隆くんのお母さんはどこに行っちゃったのかなぁ?」
「車が無かったから買い物か平森のじいちゃんちか……どっちにしても出先で雨に降られて足止め食らってるんだろう」
家に着いた時点で車が無かったため、お袋が外出中であることにはすぐに気づいた。お袋がいないことは3人の親にも伝えたが「隆一くんがいれば大丈夫ね」とすんなり納得された。この1年間で3人の母親たちの俺への信頼度は揺るぎないものとなり、ほぼ3人の保護者に近い扱いとなっている。
「平森のおじいさんって?」
「母さんの実家のじいちゃん。平森に住んでるから平森のじいちゃんって呼んでる」
緑山町の平森地区は、河台地区の西側に位置する地区だ。そこには母方のじいちゃんとばあちゃんが住んでおり、普段は「平森のじいちゃんち」と呼んでいる。雨雲は西からやって来たため、もしお袋が平森にいたなら、俺らが下校しているときには既に降られていたはずだ。
ゴロゴロゴロ……
ザアアアアアア……
「全然やまないね……」
「このままずっとやまなかったらどうしよう……」
結乃がぽつりと漏らした呟きに凛が反応し、みずきも表情が暗くなる。
「そしたらさ、もう隆くんちにお泊りしちゃわない?」
その瞬間、結乃がいたずらっ子よろしくニヤリと笑いながら言う。おそらく雰囲気が暗くなりかけたのを察知したのだろう。
「え、お、お泊まり!?///」
「あ、それいいかも!」
凛が慌てる一方でみずきは乗り気で答える。この1年ちょっとで、3人は何度かこの家に訪れているが、まだ宿泊したことは無い。
簡単に俺の家の構造を話しておく。1階にはリビング、ダイニング、キッチン、応接間、洗面所、風呂場、トイレが、2階には親父、お袋、俺の個人の部屋と寝室、トイレ、そして自慢になるが我が家には3階があり、半分物置、半分自由スペースになっている。
「2階の隆くんの部屋は広くてトランポリンと黒板があるし、3階には卓球台があるし、1階にピアノもあるし、何日いたって飽きないよね!?」
「うんうん!私、2階にある大きいベッドでみんなと寝たいなあ」
「ね!ね!あのベッドなら4人でも全然遊べるよね!」
トランポリンや黒板、卓球台、ピアノはいずれも転生後に俺が親父に頼んで買ってもらったものだ。黒板は学校にあるような大きいものではなく、子どものお絵かき用の小さいものだ。この4つで全身運動、球技、図画、音楽を網羅しており、子どもの遊び道具のチョイスとしては悪くないと個人的には思っている。
「ね、凛ちゃんはお泊りで何したい?」
「ええっと、もちろん遊びたいけど、お泊まりできるか隆くんに訊いてからじゃないと……」
みずきに訊かれた凛が、俺の顔色を窺うように言う。
「俺はいいけど、母さんたちにも確認しないとな」
とはいえ、3人の母親たちは多分OKを出すだろうから、実際はお袋と親父に確認するだけでいいだろう。
「隆くん、ちょっとおトイレ借りるね」
「ああ。場所、覚えてるか?」
「大丈夫!」
みずきが1人でリビングを出てトイレへ向かう。場所は前もって3人に共有済みだ。
「隆くん、この雨いつ止むかなぁ」
「大抵こういう雨は1時間ぐらいで止むけど……天気予報やってるかな」
凛の質問に答えつつテレビのリモコンに手を延ばす。20年後にはほとんど見かけなくなる、昔懐かしいブラウン管テレビだ。
「雨によって止むまでの時間が違うの?」
「そう。今みたいな土砂降りの雨は大体1時間くらいで止むけど、しとしと降る弱い雨は半日とか長い時間降り続ける」
「確かに、弱い雨って1日中降ってるかも」
結乃の質問に答えると凛が反応する。適当にチャンネルを回していると、ちょうど天気予報を流しているチャンネルがあった。予報によれば、やはり典型的な積乱雲が発生していたようで、予想通り1時間程度で収まるらしい。
「やっぱり1時間くらいで止みそうだな、後は止む前に」
バアアアアーン!
「きゃあ!」
ブツッ。
停電にならなきゃいいけど、と言おうとした矢先、窓の外に閃光が走るとともに轟音が鳴り響き、照明とテレビが落ちた。
「停電!?」
「いや!隆くん!隆くん!」
時間帯と分厚い雨雲のため、外はほぼ夜の様相だ。照明が落ちた今、リビングはほぼ真っ暗になっている。
目がまだ慣れないが、気配で凛が慌てふためいている様子を感じ取る。
「落ち着いて。俺はここにいるから」
凛の傍に寄ると、凛が俺の腕にしがみつく。
「結乃も大丈夫か?」
「大丈夫!」
凛の背中越しに結乃が答える。
「うわああああああん!」
「みずきちゃん!」
リビングの外から聞こえる泣き声に結乃が反応する。
「2人とも、ここで待っててくれ。みずきを連れてくるから。ついでにライトも持ってくる」
「うん!」
少し暗闇に慣れてきた目を凝らしながらリビングを出る。最初に玄関へ向かい、ペンライトと持ち手が円形の鍵を手に入れる。次にペンライトの明かりを頼りにトイレへ向かう。
「みずき!大丈夫か!?」
「隆くうううん!助けてえええ!」
みずきはまだパニックに陥っているようで、トイレの中で泣き叫んでいる。案の定ドアには鍵がかかっていたため、玄関から持ってきた鍵の持ち手を非常用鍵穴の溝に合わせて回す。
ガチャ。
「みずき!」
「隆くうん!」
ドアを開けるとすぐにみずきが俺に抱き着いてへたり込み、つられて俺もその場に腰を下ろす。余程怖かったのか、顔を肩に埋めて震えながら泣いている。
「怖かったな。もう大丈夫だから」
「ううう……」
すぐに動こうとはせず、その場でみずきの頭を撫でながら宥める。大分落ち着いてきたが、時節響く雷鳴にビクッと体を震わせる。帰り道で雷に反応したときかなり怯えていたように見えたが、間違いではなかったのだろう。
「とりあえずリビングに戻ろう。俺の背中に乗って」
鍵をボトムスのポケットに入れ、ペンライトを口に咥え、みずきを背にしてしゃがむ。みずきは素直に背中におぶさったため、そのまま立ち上がりリビングへ向かう。
「隆くん!みずきちゃん!」
リビングに戻ると、凛が俺たちの方を見て反応する。俺は凛と結乃の間にみずきを降ろす。
「2人とも、ちょっとみずきを頼む。大きな懐中電灯とラジオを持ってくるから」
「うん!任せて!」
2人にお願いすると結乃が答え、凛も頷く。
まず玄関と寝室に置いてある大きめの懐中電灯2つと、親父の部屋にあるラジオを入手する。
2階に上がったついでに窓から近所の様子を窺うと、周辺の家の明かりが全て消えていた。この家だけでなくこの辺り一帯が停電になっているようだ。
念のため1階へ戻った際にブレーカーも確認したが落ちていなかったため、やはり付近の電柱か送電線に落雷し、送電設備が損傷したのだろう。
懐中電灯とラジオを携えて、一旦リビングに戻る。
「わあ!大きな懐中電灯!」
「すごい……」
結乃たちに懐中電灯を渡し、ラジオをつけて県のローカルFMにチャンネルを合わせる。一瞬のノイズの後、静かなジャズをBGMに女性パーソナリティの声がラジオから流れ始める。
次にキッチンにあるゴミ置き場から手頃なペットボトルを3つ集め、中にペットボトルキャップ半分の牛乳と水を入れる。さらに棚からコップを1つ回収し、リビングに戻る。
「隆くん、ペットボトルを何に使うの?」
「見ててご覧」
リビングのローテーブルの上に懐中電灯2つを立たせ、コップにペンライトを入れて置く。さらにそれらの上に牛乳を薄めた水で満たしたペットボトルを置く。
「わぁ!」
「すごーい!」
「きれい……」
懐中電灯とペンライトの光がペットボトル内の水と牛乳の油脂に乱反射し、ランタンとなって周囲を明るく照らす。ランタンにするだけならビニル袋を被せるだけでも良いのだが、見た目の面白さ重視でペットボトルを採用した。水に混ぜる油脂はサラダ油でも良いが、多くの量を使えない上、後処理が面倒なので牛乳にしている。
ローテーブルの上にはペンライトのランタンだけ置き、2つの懐中電灯はリビングの床に置いて部屋全体を明るくするようにした。
「ペットボトルにに入ってるのお水?」
「ほぼ水。正確には牛乳を少し入れてるけどな」
「すごーい!お水と牛乳でこんなに明るくなるんだぁ!」
結乃が感嘆の声を上げる中、凛とみずきは目を輝かせながらペットボトルを見つめている。みずきの恐怖心もほぼ拭い去ることができたようだ。
「窓から外を見たら、近所の家も全部暗くなってた。多分、この辺一帯が全部停電してる」
「いつになったら電気つく?」
「30分、長いと1時間くらいかかるかもな。でもその頃には雨は止んでると思うぞ」
と言いながら時計を見ると4時を指していた。それを見計らったかのように、ラジオから時報が流れた後、ポップなBGMが響く。