6-2.姉の家出、妹の行方②
「……はぁ、はぁ」
全力疾走で農協までたどり着いた結乃は、両膝に両手を置いて息を整えている。昼間なら買い物客や配送車で賑わうが、今はシャッターが閉じられ、駐車場はがらんとしている。
国道と県道が交差する十字路の南東角に、河台地区の農協がある。十字路から東へ行けば俺の家、西へ進めば結乃の家だ。そして十字路を北上すると凛やみずきの家、南下すると河台のじいちゃんちと小学校がある。河台のじいちゃんちは、小学校とこの十字路のちょうど中間あたりだ。
ほどなくして舗道の先に、見慣れたグレーのセダンのライトが夜を切り裂くように近づいてくる。農協の敷地に入ってきたそれは、河台のじいちゃんの車だった。
「じいちゃん!」
思わず声を張り上げる。車が停まるのを待たずに駆け寄り、結乃と一緒に後部座席のドアを開けて飛び乗った。
「すぐ出すぞ」
じいちゃんは短くそう言い、すぐにハンドルを切った。エンジン音が一段高く唸り、車は農協の駐車場を後にする。
「おじいさん、ごめんなさい。迷惑かけて」
後部座席で結乃が小さく身を縮め、うつむき加減に言う。その声には、焦りと不安と、そして自分を責める響きが混じっていた。
だが、じいちゃんはちらりとルームミラー越しに結乃を見やり、穏やかな口調で、それでいてはっきりと答えた。
「謝らんでいい。今はそんなことより、まずは妹さんを探さないと」
その一言に、結乃は唇をきゅっと結び、わずかに頷いた。じいちゃんの声は落ち着いていて、不思議と胸のざわめきを少しだけ鎮めてくれる。俺も横目で結乃の顔を確認し、少しでも安心させるために手を握ると、結乃はそれにすがるように強く握り返してきた。
車が結乃の家の前に停まると、玄関先に人影があった。街灯に照らされ、有子さんが莉奈ちゃんの手を握りしめて立っていた。
「お母さん!」
結乃が車から飛び出す。
「結乃!」
有子さんは娘の顔を確かめると、胸をなで下ろしたように小さく息を吐き、すぐに表情を引き締めた。そして、車から降りてきた俺とじいちゃんにも視線を向け、深く頭を下げる。
「隆一くん、片山さんまで……本当にありがとうございます」
「気にしなさんな。まずは芽依ちゃんを見つけることだ」
じいちゃんがそう返すと、俺も力強く頷いた。じいちゃんはこの辺りでも顔が広く、頼られている存在だった。
「警察には連絡したんだな?」
「はいもう通報済みです。すぐにこちらに向かうとのことでした。それから、ご近所の方たちにも事情を話して、今、総出で探してくれているところです」
じいちゃんの質問に有子さんが答える。握ったままの莉奈ちゃんの手が、ぎゅっと強張る。
「私も探しに出ようとしましたが、ご近所さんから、『もし行き違いで芽依ちゃんが帰ってきたときに誰も家にいなかったら困る』って言われて、莉奈もいるのでここで待っている状況です」
有子さんの言葉をじいちゃんが頷きながら聴く。
「家の中や庭、敷地内は全部探したんだな?」
「ええ。隅々まで見ましたが、どこにもいませんでした」
じいちゃんは頷き、さらに問いかける。
「芽依ちゃんが行きそうな場所、心当たりは?」
有子さんは少し唇を噛み、やや言いにくそうに続けた。
「……お風呂から出た後、結乃の置手紙を見つけて、芽依に『お姉ちゃんは隆お兄ちゃんの家に行ったみたい』って伝えたんです。そうしたらちょうど明子ちゃんから電話がかかってきて、結乃が隆一くんの家にいるって知らせてくれたんです」
そうか、お袋は結乃と俺が2階へ上がった直後に有子さんに連絡していたのか。
「電話はすぐ、数分もしないで終わったんですけど、その間、少し目を離した隙に……」
「いなくなった……」
結乃の声がかすれる。有子さんは結乃を真っすぐ見て、頷いた。
「だから、もしかしたら隆一くんの家に行こうとしたのかもしれないです。でも、芽依は隆一くんの家の場所を知らないから、全く別の方角に行ってしまった可能性もあります」
俺は結乃と視線を交わす。農協までの道中も、じいちゃんの車に乗ってからも、芽依ちゃんらしい姿は見ていない。胸の奥がざわついた。
「わかった。有子さんは莉奈ちゃんと一緒にここにおってくれ。俺ら3人で外を探す」
「……お願いします」
じいちゃんの言葉に有子さんは深く頭を下げ、莉奈ちゃんの肩を抱き寄せた。
俺たちは玄関先から飛び出し、夜の住宅街に踏み出した。外灯が一定間隔で道を照らしているが、灯りの届かない路地は闇が深く、奥の様子はほとんど見えない。
「まずは近所を一回りしてみよう」
じいちゃんが低い声で提案し、隆一と結乃も頷く。結乃の家から東へ抜ける細い道を通り、角を曲がるたびに結乃が「芽依!」と名前を呼ぶ。だが返事はなく、足音だけが空しく響いた。
「用水路の方も見てみるか」
じいちゃんの提案で、南側へ足を向けた。結乃の家の南方には、逢川から水を引いた用水路が流れている。コンクリートで固められた水路の両側には柵が設けられているが、万が一ということもある。
南に向かって進むにつれ、水の流れる音がはっきりと聞こえてきた。夜の静けさの中で、その音はやけに耳につく。
やがて用水路にかかる橋に近づくと、そのたもとに数人の人影が見えた。懐中電灯の光があちこちに揺れている。
「結乃ちゃん!」
「片山さん!隆一くんも!」
橋のたもとに集まっていたのは、芽依ちゃんの捜索に出ていた近所の人たちだった。懐中電灯の光で俺たちの顔を認めた彼らが口々に俺らの名前を呼ぶ。
「みんなご苦労。どうだった?」
「だめです。用水路の向こう側も北側も探したんですが...」
じいちゃんが近所の人たちに訊ねると、その内のひとりが答える。全員息を切らせ、額に汗を浮かべている。
俺は腕時計を確認すると、有子さんから電話を受けてからもう30分は経っていた。
「とりあえず、これからは再度この辺り一帯を捜索する組と、用水路に沿って捜索する組に分かれて探してみようと話していたところです」
「そうか。わかった。こっちも周囲を探してみる」
じいちゃんが返答すると、近所の人たちは再び暗闇の中へ散って行った。
「結乃、ほかに心当たりはないか?」
俺は結乃に訊ねる。結乃は眉間に皺を寄せ、唇を噛んだ。
「……わからない。昼間だったらあの子が行きそうな場所、いくつもあるのに……夜に1人で行くなんて、考えられない」
そんな彼女に、じいちゃんが口を開く。
「八幡様はどうだ?」
八幡様とは、結乃の家の西側に位置する八幡神社のこと。河台地区の氏神様であり、俺ら含め地元民からは「八幡様」と呼ばれて親しまれている。結乃の家からは少し離れていて近所と呼ぶのは憚られるが、子どもが歩いてたどり着けるギリギリの距離だ。
だが、じいちゃんの問いかけに結乃は黙って首を横に振った。
「確かに芽依も家族に連れられて何度も行ったことはあるけど……あそこ、山の中にあって、夜は真っ暗だし、人も全然いないから、芽依が1人で行くなんて……考えにくい」
結乃の言葉はもっともだった。八幡様は小さい山の麓に鳥居があり、そこから階段を上った先の山の中腹に社がある。神主が常駐していない小さい規模の神社であるため、夜は人気も明かりも全くない。俺も昼間に何度か訪れたことがあるが、確かに夜は大人でも足を踏み入れるのをためらうような場所だ。
だが、じいちゃんは首を横に振った。
「子どもは高いところに行きたがるもんだ。俺も昔、同じくらいの子どもが行方不明になったとき、八幡様の近くの雑木林の中で見つけたことがある。大人には考えられん道を、平気で行くのが子どもだ」
その言葉に、俺と結乃は顔を見合わせた。確かに、思いもよらない行動をとるのが子どもだ。可能性はゼロじゃない。
「行ってみよう」
俺が結乃に言うと、結乃はしっかり俺を見据えて頷いた。
「よし、行くぞ」
じいちゃんの声を合図に、俺たちは八幡様への道へ向かって走り出した。
まず国道に出て西へ進むと、ほどなくして田園地帯が視界に広がる。その中の脇道の1つに入る。アスファルトはところどころひび割れ、両側は草むらに覆われていた。外灯はもうなく、頼りになるのは俺とじいちゃんが手にした懐中電灯の光だけだ。
そして1分も経たないうちに、闇の中から朱色の輪郭がぼんやり浮かび上がった。
「見えた。鳥居だ」
俺の言葉に、結乃が小さく息を呑む。鳥居は小さな山の麓にひっそりと佇んでおり、その背後には階段が山の中腹へ向かって伸びていた。
「俺が先に行く。足元、気をつけろよ」
俺がそう言って先頭に立つと、次に結乃、じいちゃんが殿となって鳥居をくぐり、階段に足をかける。懐中電灯で照らされた階段は石造りだが、苔が薄く張り付き、夜露でしっとりと濡れていた。背後では、田園地帯の虫の声が遠くなる代わりに、木々のざわめきが周囲に響き渡る。
「芽依ー!芽依ー!いたら返事してー!!」
階段を上りながら結乃が芽依ちゃんの名を呼ぶが、返ってくるのは相変わらず木々が擦れる音だけだ。
やがて階段が平らな道に変わり、前方に小さな社が現れた。木造の古びた建物で、拝殿の屋根は月明かりをかすかに反射している。
じいちゃんが懐中電灯の光を下ろし、周囲をぐるりと見回す。人の気配はない。相変わらず木々が擦れる音だけが響いている。
結乃は息を整え、社の前に立った。
「芽依ー!」
山中にその声が響き渡る。静寂が戻りかけた、そのときだった。
「……ゆのねー!」
木々が揺れる音に混じって耳に入ったかすかな声。俺と結乃、じいちゃんは同時に顔を見合わせ、その場の空気が一気に張り詰めた。
「芽依!?芽依!!どこにいるの!?」
「ゆのねー!」
再び、今度はより大きく聞こえた。俺とじいちゃんは最大限聴覚を研ぎ澄ませてが声の出処を探る。
「ゆのねー!」
3回目の声が響く。しかしまだ距離が離れているためなのか、声が出ている方向までは掴めない。
「にゃ!」
「レオ!?」
突如、ずっと俺の肩に乗っていたレオが地面に降り、社の脇まで走った後、こちらを振り返った。
「にゃあ!」
そして「こっちだ!」と言わんばかりに鳴き声を上げる。
「そっちなのか!?」
俺が呼びかけると、レオは社の側面へと消えた。俺たちがその後を追うと、社の裏手でレオが待っていた。俺たちが追いつくと、今度は社の背後に広がる雑木林の前まで走って止まる。懐中電灯でそこを照らすと、ちょうど人ひとり通れる幅の獣道が雑木林の奥に続いていた。
「ここか!」
「にゃあ!」
俺の声に呼応するように鳴くと、レオはその獣道を上がり始めた。俺はレオを見失わないように懐中電灯で照らしながら続く。さらにその後ろから結乃とじいちゃんも雑木林に入る。
「芽依ー!!芽依ー!!」
「ゆのねー!」
獣道を進むにつれ、結乃の呼びかけに答える声がどんどん大きくなっていく。何度か結乃との呼びかけ合いを繰り返しながら雑木林の奥へ進むと、斜め右前方からはっきりと声が聞こえた。
「ゆのねー!!」
「芽依!」
声がした方向に懐中電灯を向けると、杉の木の下でパジャマ姿で立っている芽依ちゃんの姿があった。




