5-12.偲ぶということ
「おじさん、おばさん、来たよ」
お袋の穏やかな声が、けたたましい蝉の声に溶け込みながらも優しく響く。俺たちの目の前には、一基の墓石。そこには辻中の大伯父さん夫婦が一緒に眠っている。
お墓が建っているのは、辻中地区のお寺の一角。古くからある地域の共同墓地のような場所で、墓石の並びはこぢんまりとしているが、どれも丁寧に手入れされていた。
今日は去年から恒例化した、辻中の家での勉強合宿の最終日。午前中の学習を終えてから、お袋、森平のじいちゃん、ばあちゃんに加え、凛、みずき、結乃、七海、藍の5人もここへ来た。
「お兄さん、お義姉さん、今年は隆ちゃんに凛ちゃんたちも一緒に来てくれましたよ」
「こんにちは、おじさん、おばさん。今年もお世話になりました」
ばあちゃんが2人に向かって語りかけると、凛が2人に挨拶し、4人も自然と頭を下げた。もちろん、大伯父さん夫婦と5人に面識はないが、この1週間は辻中の家で2人と一緒に確かに過ごした。面識はなくとも、たとえ2人がこの世にいなくとも、俺を含めて5人は2人の立派な孫だ。
「じゃあまずは掃除だ。俺とじいちゃんで水かけと高いところの掃除をやるから、みんなは低いところと花立ての掃除と草取りを頼む」
俺の指示に、みんながそれぞれ返事をして作業に入る。夏の日差しをバケットハットで和らげているとはいえ、周囲の熱気に5人の顔には汗が滲む。しかし5人は文句を言わず、黙々と作業に没頭した。
特に藍は普段以上に真剣な眼差しで、お墓の周囲の草取りに勤しんでいる。被っているカーキ色のバケットハットは、4人が被っているものと色違いで、今年の藍の誕生日に女子4人が用意したプレゼントだった。
「よし、こんなもんかな。みんなありがとう。おかげでいつもより早く済んだよ」
じいちゃんがお墓と俺たちを交互に見てお礼を言うと、女子陣は少し照れて微笑んだ。ばあちゃんが花を供え、お袋が線香に火をつける。白い煙が風に乗ってふわりと揺れ、ほのかに甘く懐かしい香りが周囲に漂う。お袋から順番に線香を受け取って香炉に供えていき、全員供えると誰が音頭を取るでもなく自然と一斉に手を合わせた。
今回の5人の墓参りの発端は凛だった。
合宿前、俺は親父と河台のじいちゃんと一緒に、河台にある片山家の菩提寺に行った。住職さんに挨拶した後、お寺とは別の敷地にある片山家一族の霊園へ向かう予定だった。だがその際に、俺はこのお寺の敷地内に凛の祖母のお墓もあることを思い出した。そこで、片山家の霊園へ向かう前に彼女のお墓に立ち寄って線香を手向け、手を合わせたのだ。お墓の場所は、少し前に凛から聞いていた。
後日そのことを凛に話したとき、凛は目を丸くし、ほんの少し涙ぐんだような顔で「ありがとう」って言ってくれた。そして、「今度は私が、辻中の大伯父さんたちのお墓に行きたい」と提案してくれ、結乃たちもそれに賛同した。そこでお袋とじいちゃん、ばあちゃんに相談して、今回の墓参りが決まったのだ。
「じゃあ行きましょうか。次は藍ちゃんね」
「はい」
ばあちゃんに声をかけられた藍が、少し緊張ぎみに返事をする。荷物をまとめ、俺たちは大伯父さん夫婦と別れを告げる。
「おじさん、おばさん、また来年な」
去り際に俺が2人に声を掛けると、5人が再び2人にお辞儀する。微笑みながら手を振るお袋に、2人は仲睦まじく並んで手を振り返してくれているはずだ。
再び蝉の声に包まれながら、俺たちは敷地の奥へ向かって歩いていく。次に向かう場所は、すでに全員が知っている。先頭を歩く藍の後を、俺たちは何も言わずに静かについていく。
やがて、藍がとある場所で立ち止まり、その場にゆっくりとしゃがみ込んだ。
「お母さん、また来たよ。今日はみんなも一緒だ」
藍の目の前には「石川家之墓」と刻まれた石塔。その傍らの過去碑には藍の母親・麻実さんの名前、そして旅立った日付が静かに記されていた。
麻実さんのことは、俺たち全員が知っている。藍の部屋の片づけをした後、麻実さんの話を藍から直接聞いてからちょうど1年が経つ。
麻実さんへの墓参りの提案者は俺。大伯父さん夫婦の墓参りに凛たちも行くことを決めた際、俺は麻実さんのことを思い出した。辻中のお寺なら、もしかしたら麻実さんのお墓もあるのではと思って藍に確認したところ、やはり同じお寺にあることが判明した。それなら麻実さんにも挨拶しようと俺が提案し、藍を除く4人も賛同したのだ。
「掃除は合宿前にやったから、今日は水をかけるだけでいい」
「わかった」
藍は合宿前、すでに家族で麻実さんへの墓参りを済ませており、その際にお墓の掃除も終えていた。俺は藍に返事をして、柄杓で水を汲んで石塔の上から静かにかける。石に触れた水が、まるで光をまとったみたいに優しくきらめきながら流れていく。
その後ろで、ばあちゃんが先ほどと同様に花を整え、お袋が静かに線香に火をつける。そして再び線香をそれぞれ香炉に供え、全員で手を合わせた。
「お母さん。ここにいるみんな、すごく頼りになって、すごく優しいんだ。今までも幸せだったけど、今はもっと幸せ。私、これからも頑張るから、私たちのこと、見守っててください」
声は小さかったが、誰にもはっきりと届いていた。もちろん、麻実さんにも。藍が語りかける先で、麻実さんが静かにほほ笑んだような気がした。
「さあどうぞ。召し上がれ」
「「「いただきまーす!」」」
麻実さんの墓参りを終えた後、俺たちはお寺の本堂にお邪魔していた。上がってすぐ、住職さんと奥さんが麦茶とメロンを出してもてなしてくれた。2つのテーブルの内、片方は大人たち、もう片方は子どもたちで自然に分かれて座る。
「いつもありがとうございます」
「いえいえ、こうして子どもさんたちがお参りに来てくれるのが、何より嬉しいんですよ」
お袋のお礼に、住職さんの奥さんが笑顔で返す。ばあちゃんの実家がこのお寺の檀家であり、住職さん夫婦と俺たちはずっと昔からの顔馴染みだ。俺が毎年お参りに来ると、いつもこうして麦茶と果物を出してもてなしてくれている。
「3人とも、初めての墓参りはどうだった?」
メロンを頬張るみずき、結乃、七海に訊ねる。3人ともこれまで墓参りの経験がなく、今回が初めてだった。
「最初は緊張したけど、大伯父さんのお墓に着いたら、なんか自然と落ち着いてきたんだよね」
「あ、わかる!お墓のところだけ雰囲気が違ってた!」
みずきの言葉に、結乃が身を乗り出すようにして同調する。
「私も、最初はお墓って怖いイメージがあったけど、今日のお墓参りは全然怖いって思わなかった。なんていうんだろう……あたたかい気持ちって、こういうことなのかなって……」
七海が胸に手を当て、そのときの感覚を思い出すようにゆっくりと語る。俺は物心がついた頃から大伯父さん夫婦の墓参りに行っていたし、ばあちゃんたちと同じように、2人はそこに『いる』と思っている。特別な行事というより、自然に会いに行く感覚だ。それが当たり前になっていて気づかなかったのかもしれないが、やはりお墓の雰囲気は入っている人の雰囲気に左右されるのかもしれない。
「私は物心ついたときからお母さんのお墓参り行ってたから意識してなかったけど、そう言われてみると、確かにそうかもな……」
藍が麦茶を一口含み、ふっと息をついて上を見上げる。藍もやはり俺と同じように感じていたようだ。
「……」
「凛、どうした?」
コップを両手で抱えたまま、俯き気味で黙り込んでいる凛に声をかける。
「あ。ううん、ちょっとね……」
凛はそう返事してまた黙り込む。だが少し間をおいて、ポツリポツリと話し出した。
「私ね、おばあちゃんが亡くなったとき、本当に悲しかったの。信じられなかったし、寂しかったし……なんで、私のそばからいなくなっちゃったんだろうって。すごく、やるせなかった」
凛は両手でコップを包んだまま、言葉を選ぶようにゆっくりと話す。
「お墓参りって言っても、おばあちゃんとお話ができるわけじゃないし、一緒に遊べるわけでもない。だって……もういないんだもん。そう思うと、お参りしてもつらくなっちゃって……だから今まで、お墓参りってあんまり好きじゃなかったの」
その言葉に、みずきがそっと凛の背に手を添える。
「でもね、去年、初めて辻中の家に行ったとき、すごくびっくりしたの。隆くんも、明子さんも、平森のおばあさんもおじいさんも、亡くなった大伯父さんたちのことを本当にそこにいるみたいに話していたから」
凛は顔を上げ、俺の方を見た。
「私はずっと、人は死んだら『いなくなる』って思ってた。でも、辻中の家では『いなくなってない』みたいだった……まだこの家に2人で住んでる、みたいな感じで」
俺は凛が話す言葉の一つひとつをかみしめながら聞く。人は死んだらいなくなる。それが普通だった凛にとって、俺たちの死者への向き合い方は大きなカルチャーショックだったに違いない。
「おばあさんと物置の掃除をしてたとき、私訊いてみたの。『大伯父さんたちって、本当にここにいるんですか?』って。そしたら、すごく自然な顔で『いるわよ。それから、私たちの中にもね』って……」
「私たちの中にも……?」
七海が反射的に小さくつぶやく。
「うん。その時はよくわからなかったけど、最近になってわかったの。おばあさんにとって、大伯父さんたちは本当に『いる』んだって。もちろん、隆くんにとっても、明子さんにとっても、おじいさんにとっても。たとえ亡くなっても、その人のことを想う人にとっては、その人は『いない』んじゃなくて『いる』んだって」
そこまで言ったとき、凛の目にふわりと涙が浮かんだ。
「私、今までおばあちゃんのこと、一度も忘れたことなかった。そのとき気づいたの。おばあちゃんは、今もちゃんと私の中に『いる』んだって……そうしたら、すごくあたたかい気持ちになってたの」
みんなが息を呑む。結乃が目頭を押さえ、その隣で藍が静かに目元をぬぐっていた。
「それで、隆くんが、おばあちゃんのお墓にお参りしてくれたって聞いたとき……私だけじゃなくて、隆くんの中にも、おばあちゃんがちゃんと『いる』んだって思って……すごく、嬉しくて……泣いちゃったの」
俺は、そのときの凛の涙の理由を、ようやく完全に理解した気がした。
「……ありがとう、隆くん」
凛の声はかすかに震えていた。俺はただ静かに頷いた。その隣で、藍がぽつりと口を開いた。
「私も……同じだった。隆が、お母さんのお墓にも行こうって言ってくれたとき、嬉しかった。ちゃんと、覚えてくれてたんだって」
藍の目にまた涙が浮かぶ。それは悲しみではなく、感謝の色を帯びていた。
「俺も一緒さ。凛が大伯父さんたちのお墓に行きたいって言ってくれて、みんなが賛成してくれたとき、すごく嬉しいと思ったし、ありがたいと思った。ここだけの話、みんなが大伯父さんたちの墓参りに行きたがってるって話したとき、ばあちゃん泣いて喜んでたんだ。改めてお礼を言わせてくれ。みんな、ありがとう」
誰かが静かに鼻をすする音がした。胸がぎゅっと締め付けられるような、でも、どこかあたたかい空気が、その場を包んでいた。
「なあ、人が本当に死ぬときって、どういうときだと思う?」
俺の問いかけに、みんなが俺の方を見つめる。俺は少しだけ間を置いて言った。
「それは、体がなくなったときじゃない。誰の記憶にも、心にも残らなくなったときだ。誰にも思い出されなくなったとき、本当に『いなくなる』んだと思う」
俺の言葉に、5人の目がゆっくりと見開かれた。
「だから、こうして手を合わせたり、話したりして偲ぶことって、すごく意味があるんだ。亡くなった人たちを、今ここに『いさせる』ってことなんだ」
凛が目元を拭いながら、はにかんだように笑った。
「……そうだね。だから、私、これからもおばあちゃんのこと、ずっと想ってる。ちゃんと心の中にいてくれるって、わかったから」
藍もまた、ゆっくり深く頷いた。
「私も、お母さんのこと、ずっと一緒にいるって思ってる。ずっと……」
しばらくの静寂のあと、結乃がふわりと笑って、声を上げた。
「ねえ。またみんなでここに来て、お墓参りしようよ。次の合宿でも、その次の夏も、みんなでね」
思ったことをそのまま言葉にしたような、自然な提案だった。
「うん、賛成。次はもっといろんなお花持ってきたいな」
「私も!今度はお菓子とかもお供えしたい!」
七海がすぐに頷き、みずきも明るく声を上げる。藍も柔らかな笑みを浮かべながら「うん」と頷いた。
「それから……凛ちゃんのおばあちゃんのお墓にも、今度みんなで行こう」
続けて出された結乃の提案に、みんなが揃って「うん」と答えた。もちろん、俺も。
不意に凛が口元を押さえ、ぽろぽろと涙をこぼしながらゆっくりと頭を下げる。
「……ありがとう、みんな……本当に、ありがとう」
その言葉に、誰もがそっと微笑んだ。もう、何も言わなくてもいい。
亡くなった人たちが確かに「ここにいる」と、みんなが信じられた今日。それは、ただの合宿の締めくくりではなく、これからも続いていくつながりの始まりだった。
真夏の陽射しの下、境内を抜ける風は、まるで今日の出来事を空へ届けてくれているかのように、優しく吹き抜けていった。




