5-9.復讐、そして決意⑥
「とりあえず、一区切りか……」
校長室の扉を見ながら俺が呟く。今校長室にいるのは俺、七海、結乃、凛、みずき、藍、友加里、悟さん、香苗さん、幸雄さんの10人。俺の呟きを合図に、結乃たちが七海のもとに集まる。
「七海ちゃん、本当にお疲れ様!」
結乃が七海を正面から優しく抱きしめる。
「七海ちゃんが頑張ったから、ここまで来られたんだよ」
凛が目を潤ませながら微笑む。
「もう大丈夫だよ。もう、あいつらに怯えなくていいからね」
みずきも感慨深げに言葉を紡ぐ。
「ずっと辛かったよな。でも、ちゃんと立ち向かった。すごいよ、七海!」
藍は後ろから七海の肩を抱きながら言う。
「七海、本当によく頑張ったね」
友加里が七海の手をぎゅっと握り、涙を浮かべながら言う。
「みんな、本当にありがとう。七海もよく頑張った」
「うんうん。みんなが七海の友達で本当によかったわ。七海も、私の自慢の娘よ」
悟さんと香苗さんも涙を浮かべながら結乃たちにお礼を言い、七海をねぎらう。七海は両親と仲間たちの温かい言葉に包まれ、目を潤ませながら小さく頷いた。
「うん……お父さん、お母さん、みんな、ありがとう……」
その小さな声には、確かな安堵と、これまで耐えてきた苦しみから解放された喜びが滲んでいた。
「幸雄さん、ありがとう」
「なに。学校の問題を解決するのは校長の大事な仕事だ」
俺がお礼を言うと、幸雄さんは微笑みながら当たり前といった口調で言った。幸雄さんとともに両親と結乃たちに囲まれている七海を見守りつつ、俺はあかねが白旗を上げた後の出来事を思い返した。
今回のいじめの加害者、あかね、桃子、萌は、それぞれの両親の了解を得た上で自宅謹慎となった。謹慎の期間は、少なくとも7月に開催される七海の学校の開校100周年記念式典まで。これは政巳さんを含めた加害者たちの両親全員の判断だった。
「親として、いじめをした3人を大事な式典に出席させるわけにはいかない」
それが、政巳さんの言葉だった。とはいえ、ただ期間を区切った謹慎ではない。政巳さんは、こうも言った。
「謹慎をいつ解くかは、学校……特に七海さんの意思を尊重します」
それはつまり、七海が金輪際関わりたくないと望めば、3人は卒業まで謹慎となるという意味だった。実際、政巳さんは本気でそうするつもりだった。
「いじめをした者が何事もなかったかのように学校に通い、被害者がそれを耐えなければならないなど、本来あってはならないことだ」
とは言え、さすがに七海はすぐに答えを出すことができず困惑した。幸雄さんはそれを見越したように切り出した。
「実はそれに関連してなのですが、3人と斉藤さんをクラス替えさせることを検討しています。具体的には、鈴木さんは斉藤さんの元のクラスである1組に移り、代わりに斉藤さんを春野さんのクラスである3組に入れます。伊藤さんと高橋さんは2組に移ってもらいます」
その言葉に、校長室に居合わせているほとんどのメンバーは驚いた様子を見せたが、俺と友加里は特に驚かなかった。
「実はこの提案は、斉藤さん本人からの発案がもとになっています」
幸雄さんの言葉に、俺以外のメンバーは驚きの表情そのままに友加里に視線を向ける。
俺が驚いていないのは、この提案について予め友加里から相談を受けていたからだ。厳密には、友加里は自分とあかねの交換のみを発案した。
「こうすれば、少なくとも七海は、あかねと同じクラスで関わることはなくなるでしょ?」
友加里はそう言って、俺にこの案を提示してきたのだった。その時点で、俺はすぐに賛同した。そして幸雄さんに友加里の案を提示し、了承してもらったのだ。桃子と萌のクラス替えは、友加里の案に幸雄さんが付け加えたものだ。
この提案に対し、政巳さんは「まったく問題ございません」と即答し、他の保護者からも同意を得た。幸雄さんは七海を見つめながら、慎重な口調で続ける。
「もしこのクラス替えに春野さんが賛成であれば、3人の復帰時期はそれぞれのクラスの児童と保護者のみなさん、担任の先生方の意見を取り入れた上で私が判断します。春野さん、どうでしょう?」
七海は少しの間、考え込んだ。やがて、七海はゆっくりと顔を上げ、友加里の方を見つめた。
「……友加里ちゃん、本当にいいの?」
友加里は優しく微笑んだ。
「もちろん。七海の力になれるなら、私はそうしたい」
その言葉を聞いて、七海はしっかりと頷いた。そして、意を決したように、はっきりと言った。
「友加里ちゃんとあかねさんのクラスの交換、桃子さんと萌さんのクラス移動をお願いします」
その言葉に、幸雄さんは深く頷いた。
両親たちはその後改めて七海たちに謝罪し、娘たちを伴って校長室をあとにした。去年、あかねの標的にされていた女子2人は吹っ切れたような笑顔を見せて俺たちにお礼を言い、それぞれ帰路についた。辛い記憶と向き合って七海のために証言してくれたのだから、お礼を言うのはこっちの方だ。
そして担任の田中先生は、七海に辛い思いをさせてしまったことを七海と悟さん、香苗さんに謝罪した。七海があまりクラスに馴染めていない雰囲気を感じ取ってはいたが、いじめには全く気付いていなかったそうだ。「二度と、このようなことが起こらないよう、全力を尽くします」と誓い、その後は事後処理のため職員室に向かった。
現在に至るまでの出来事を思い出しながら七海たちを眺めていると、悟さんと香苗さんがこちらへやって来た。
「校長先生、本当にありがとうございました。隆一くんも、七海を救ってくれて本当にありがとう」
隣で香苗さんも続く。
「七海のために、ここまで動いてくださって……親として、心から感謝します。隆ちゃんも、感謝してもしきれないわ」
すると、幸雄さんは静かに頷きながら、穏やかな声で返した。
「礼には及びません。教育者として、これは当然のことです。ただ、春野さんと隆一くんが友達同士だったことには驚きましたがね」
そう言って、幸雄が俺をじっと見つめた。その瞬間、俺以外の全員の視線が、一斉に俺へと向けられた。
「ねえ隆一くん。そろそろ教えてよ。隆一くんと校長先生はどういう関係なの?」
俺を見ながら友加里がしびれを切らしたように言う。おそらくこの場にいる全員が疑問に思っていることだろうが、七海、結乃、凛、みずき、藍は特に不思議がる様子もなく、むしろ期待するような笑みを浮かべている。
俺は肩をすくめながら、幸雄さんを見た。
「……じゃあ、俺が話すより幸雄さんから話してもらおうかな?」
俺のパスを受けて、幸雄さんは苦笑しながら頷いた。
「そうだな。実は私は書道をたしなんでいてね。長年、県の書道コンクールの審査員を務めているんだ。私が隆一くんと出会ったのは、まさにそのコンクールの表彰式のときだった。彼がまだ小学1年のときだよ」
「そんな前からですか!?」
友加里が驚きながら言う。悟さん、香苗さんも驚きの表情を隠せない。
「小学生には楷書と草書の2つの部門が用意されているんだが、その2つともで隆一くんは大賞を受賞したんだ」
「確かに隆くん、1年生のときから書道コンクールの賞状もらってた!」
「普段書く字もすごくきれいだもんね!」
幸雄さんの説明を受けて結乃とみずきが思い出しながら言う。
「でも幸雄さん、最初は本当に俺が書いた作品なのかって疑ってたよな?」
俺が意地悪くニヤっと笑いながら言うと、幸雄さんはバツの悪そうな顔をしながら、頭をかいた。
「それは言わないでくれよぉ……」
幸雄さんの仕草と言葉に俺は思わず吹き出した。
俺が当時応募した作品の完成度があまりにも高かったため、幸雄さんは最初「親が書いたものを送ったのでは?」と本気で疑ったらしい。そこでコンクールの表彰式の前に、俺に直接、同じ作品をその場で書かせたのだ。結果、俺はそっくりそのまま同じクオリティで作品を書き上げ、幸雄さんは己の疑念を恥じてすぐに俺に謝罪した。それがきっかけで、俺と幸雄さんの交流が始まったのだった。
もっとも、書道の腕も神様チートで底上げしてもらったため、幸雄さんが疑うのも無理はないのだが。
「それ以来、何かと気にかけてもらってたんだよね」
「いやいや、むしろ君が毎回コンクールに応募してくるから、私の方が君の作品を気にする羽目になったんだよ」
俺がそう言うと、幸雄さんは苦笑しながら冗談めかして返す。
「じゃあもうコンクールに応募するのやめようかな?」
「おいおい、それは困るよ。せっかく毎回楽しみにしているのに」
友加里、悟さん、香苗さんはそんなやり取りを交わしている俺と幸雄さんを見ながら唖然としている。小学生と校長先生の関係としてはあまりにもフランクであるため、違和感を覚えるのも無理はない。
「そんなわけで、俺と幸雄さんは前々から知り合いなんだ。最初に友加里とここを訪れたときにも、事前に俺が幸雄さんに直接連絡を入れて、状況を把握してもらってたのさ」
「まあでもそれなら納得だわ。最初、校長先生に話をしに行くって聞いたときにも驚いたけど、『もう話をつけてある』って言われたとき意味が分からなかったもん」
友加里は腑に落ちた表情ではありながら呆れが混じった声で言う。
証拠を掴んだ木曜の翌日、金曜日の夕方に、俺は友加里を伴って校長室の幸雄さんのもとを訪れ、証拠の映像を見せながら事態の詳細を説明した。友加里が発案したクラス替えについて話をしたのもこのときだ。事態を把握した幸雄さんはすぐに動いてくれた。田中先生を呼んで状況を説明し、加害者3人の保護者に直接連絡して月曜日に来校するよう要請。さらに俺の依頼を受けて鈴木家には、あかねの自室に髪留めがあったら本人に気づかれないように回収するよう頼んでくれた。もちろん、ゴミ箱の中にある可能性が高いという予想を添えて。
友加里は金曜日に俺と幸雄さんのやり取りを目の当たりにした直後、俺に幸雄さんとの関係についてすでに探りを入れにきていた。しかし俺が「それは月曜に教える」とはぐらかしたため、今日までずっと気に掛かっていたのだろう。
「七海たちは驚いてないの?」
「ああ、うん。前にも似たようなことがあったから……」
友加里からの質問に、七海は苦笑しながら答える。七海はおそらく、辰之介さんと静枝さんの一件を思い出しているに違いない。
「私も結乃たちから話を聞いてただけだったけど、こういうことなんだな……」
「そう。私はもう隆くんが誰と知り合いでも驚かなくなっちゃった」
藍が頷きながら言うと、結乃が肩をすくめながら返答する。
「それにしても……」
と、幸雄さんが七海が手に持っている髪留めに目を向ける。あかねの部屋のゴミ箱から政巳さんが回収し、政巳さんから七海に返されたものだ。
「あの髪留めの一件が、すべて演技だったとはね……」
幸雄さんが机に両肘をつき、手の甲に顎を乗せながら言う。
そう、あの髪留めは七海の思い出の品でもなんでもない。俺が先週に適当に買った、ただの安物だ。七海が登校した木曜日に交わされた七海と友加里のやり取りは、すべてあかねたちを陥れるための芝居だったのだ。俺はこの作戦を七海たちに話した月曜日のことを思い出していた。
「で、いつカメラを起動させるかだが、ちょっとした芝居を打とうと思ってる」
「芝居?」
俺の言葉を友加里が繰り返す。
「そうだ。実際には七海と友加里にやってもらうんだけど……」
俺はそう言いながら、懐から白い花の装飾があしらわれた髪留めを取り出した。
「この髪留めは?」
「俺が昨日適当に買ってきたものさ」
凛の質問に答える。この髪留めは家電量販店で携帯端末等を買った後、雑貨店で適当に購入したものだ。俺は髪留めを七海に手渡しながら続ける。
「まず、七海はこの髪留めをつけて学校に行く。そしてあかねたちが教室にいるときを狙って、友加里が七海の教室にやって来て、わざとその髪留めに興味を示すんだ」
「ふむふむ……」
友加里が身を乗り出して聞く。
「たとえば、『ちょっと見せてくれない?』みたいに言って、七海から髪留めを外させる。そして、ここが肝心なんだけど……七海を教室の外に連れ出してほしいんだ」
「教室の外に?」
友加里が俺の言葉を繰り返す。
「そうだ。適当な理由をつけて、『ちょっと来て!』って感じで、少し強引気味に七海を教室の外に誘導してほしい。そうしたら、七海は慌てて立ち上がって友加里について行く。そしてそのとき、七海はうっかり髪留めを床に落とすんだ」
「えっ、それって……」
七海が驚いたように俺を見る。
「そう、わざとだ。でも、あくまで自然に見せることが大事だ。無理に落とそうとせず、ポケットにしまおうとして、軽く指を滑らせる感じがいい。で、七海は髪留めを落としたことに気づかないフリをして、そのまま友加里と一緒に教室を出る」
「!なるほど、そういうことね……」
友加里は俺の意図を察したのか、感嘆の息を漏らしながら呟く。
「その様子をあかねたちが見ていれば……」
「ああ、やつらは十中八九、髪留めをくすねる」
「その現場を隠しカメラで撮影するんだね!」
友加里の言葉に俺が続き、さらに結乃は閃いたように言う。
「そうだ。もしあかねたちが、髪留めを拾って『どうする?』とか話し合ったり、『七海には黙ってもらっちゃえ』なんて言おうものなら、それが決定的な証拠になる」
俺は一通りの説明を終え、七海と友加里の顔を見た。
「という感じだ。どうだ?できそうか?」
「うまくできるか自信ないけど……やってみる!」
「うん!私もこれはやった方がいいと思う」
俺の問いかけに2人が賛同する。
「よし、じゃあこれでいこう。仮にうまくいかなくても、向こうに感づかれる可能性はほぼないからあまり心配しなくていい。そのときは次の作戦を考えよう」
「まさか、あんなに綺麗に嵌ってくれるとはね」
結乃がくすっと笑いながら、七海の髪留めを見つめる。
「うん、ほんとに。これ、絶対に返さないつもりだったよね」
みずきが腕を組んで少し苦笑する。
「あいつら、『後で返すつもりだった』とか言ってたけど、完全に嘘だったよな」
「まあ、盗んだことを認めるよりは、適当に誤魔化したかったんだろうな」
藍の言葉に俺は半ば呆れながら付け加えた。
「でも、この髪留めのことをネタバラシしたときのあいつらの顔、マジで最高だったな」
「うんうん!すごく気持ちよかった!」
藍の言葉に友加里が思い出し笑いをしながら同意する。
髪留めについてネタバラシしたのは、政巳さんが七海に髪留めを返したタイミングだった。その瞬間、あかねは固まったまま目を見開き、口をパクパクと開閉させた。桃子も「う、嘘……」と震えながら青ざめ、萌にいたっては「そ、そんな……」と呟きながら膝から崩れてその場にへたり込んでしまった。
「あの顔、カメラに収めておけばよかったなぁ……」
俺がそう言うと、結乃と藍と友加里が吹き出し、みずきが「それはさすがにやりすぎ!」と笑い、凛が「そうだよぉ」と少し驚いた表情で言う。
「まったく……髪留めのトラップを思いつくわ、お手製で隠しカメラを作るわ、校長先生とは知り合いだわ……隆一くん、本当に小学生なの?」
「もちろん。れっきとした11歳さ」
水曜日に友加里が俺に投げかけたのと全く同じ質問に俺は苦笑しながら、そのときとまったく同じ答えを返した。
「……毒薬飲まされて体縮んだりしてない?」
「マンガの見すぎだ」
冗談めかして言う友加里を、俺は軽く手を振ってあしらった。結乃が「ほんとにね」とくすくす笑い、凛とみずきもつられて笑う。藍は「いや、実際謎すぎるだろ」と半ば呆れたように言い、悟さん、香苗さん、幸雄さんは苦笑しながら俺を見ていた。
辺りは和やかな雰囲気に包まれ、ようやく一連の騒動が終わったという安堵感が漂い始めていた。たった1週間前まで、苦しそうにうつむいていた七海が、今こうしてみんなと一緒に笑っている。俺たちは確かに、七海を救うことができたのだと、俺は七海の笑顔を見て心の底からほっとした。
だが、その裏で七海がある決意を抱えていたことを知るのは、それから少し経った後のことだった。




