4-9.掃除⇒宿題⇒片付け②
全員が宿題を終えたことで、3日目の昼食後は完全なフリーとなった。しかし、女子陣は全員プレッシャーから解放されたためか活動意欲を失い、午後は個々でのんびりと過ごした。相変わらず、ばあちゃんはじいちゃんを伴って山へ繰り出して行った。
夕食では、みんなのためにばあちゃんとお袋が打ち上げパーティを催してくれた。各自の好きなメニューが居間の机に並び、女子陣は全員目を輝かせていた。みんながお礼を言うと、ばあちゃんは嬉しそうに目を細めた。
「お礼を言うのはこっちの方よ。家をきれいに掃除してくれたんだしね。それに、おかげで久々にこの家の中を賑やかにすることができたわ。お兄さんとお義姉さんも、みんなが来てくれて喜んでるはずよ」
ばあちゃんが、居間の壁に掲げられている2人の肖像を見ながら言う。
ばあちゃんの兄、俺の大伯父さんにあたるが、大伯父さん夫婦には子どもがいなかった。そのため、同じ町内に住む姪っ子であるお袋を、2人は我が子のように可愛がった。お袋にとっても、この家は小さい頃から何度となく訪れた思い入れがある場所だ。
2人は俺が生まれる前に他界したと思っていたが、それは俺の勘違いで、小さい頃に俺も2人に会っていたらしい。亡くなったのは、俺が2歳を迎える直前だったそうだ。俺は写真でしか2人のことを見たことがないが、穏やかな表情で赤ん坊の俺を抱く姿を見れば、2人の人柄を推し量るには十分だった。今も存命だったら、俺を含め、みんなのことも孫のようにかわいがってくれたに違いない。
「ねえ!また夏休みになったらここへ来ようよ!みんなでさ!」
結乃の提案に、みずきと七海が即座に賛同する。
「私も賛成!今回の合宿がなかったら、宿題間に合わなかったかも……本当に助かったし!」
「私も!またここに来たいです!」
女子全員が口々に賛同の声を上げる。
「もちろんよ!この家を気に入ってくれて、私も嬉しいわ」
ばあちゃんは何度も頷きながら言う。今まで10年近く主がなく、ただ月一で手入れされるだけだった辻中の家。その家は今、子どもたちの笑い声と賑やかさに包まれている。この場所が、年に一度とはいえ新たな用途を持つことになったことを、ばあちゃんは心の底から喜んでいるようだった。
「あ、軽トラ!河台のおじいちゃんちと一緒だ!」
とある家の敷地内に入ったところで、結乃が車庫の中の軽トラを指差しながら言う。そしてその隣の空きスペースに、今まさに1台のステーションワゴンが納まろうとしていた。
ここは藍とその家族が住む石川家。実はかねてから巧さんたちから、この間のお礼も兼ねて俺たちを石川家でもてなしたいという話をいただいていた。俺たちからすればすでに十分お礼をいただいているが、向こうからしたらちゃんと自分の家に呼んでお礼をしたかったのだろう。そこでお言葉に甘えて、今回の合宿の帰りに石川家へ立ち寄らせていただくことにしたのだ。
敷地内の一角に車を停めると、玄関から巧さんと君代さんが出てきて俺たちを出迎えてくれた。
「お越しいただきましてありがとうございます」
「わざわざ外まですみませんねえ」
「いえいえ、お呼び立てしたのは我々の方ですから」
大人たちが互いに挨拶を交わす中、俺たちのもとに藍と剛さんがやって来た。
「藍、先にみんなと中に入っていなさい」
「わかった。みんなこっち!」
剛さんに促され、藍は俺たちを家の中に招き入れた。俺はその際、気になっていたことを藍に訊いてみた。
「藍が凛に頼みたいことってなんなんだ?」
「ああそれな。実は、私の部屋を見てほしくて」
「藍ちゃんの部屋?」
前日の夜、翌日の予定を確認している際に、藍は凛に頼み事をしていた。どうも石川家に関係することらしく、藍は石川家に着いたら詳しく教えると話していた。
「うん。まあ見ればわかると思う……」
藍が2階へ続く階段を上りながら、少しバツが悪そうに目を泳がせながら言う。俺はもしやと思ったが、ほどなくしてその予想が正しかったことを知ることになる。
「……えっ、これ……」
目の前の状況に、結乃が思わず口元を覆い、凛も言葉を失って立ち尽くす。
「足の踏み場もねえな……」
俺が苦笑いしながら呟くと、藍は頬を赤くして視線を逸らした。
目の前にあるのは藍の自室。しかしその中は、本やゲームソフトが散乱し、床や机の上もものだらけ。とてもじゃないが、座る場所さえ確保するのが難しそうだ。
「ごめん。私、片付けが本当に苦手でさ……だから、凛に助けてほしかったんだ」
なるほどな。おそらくこれまで何度も片付けを試みては失敗を繰り返していたが、今回の合宿で凛の家事能力を目の当たりにして「凛ならあるいは……」と思ったのだろう。
「どうかな?凛」
「……」
凛は手を顎に沿えて少し考え、やがて覚悟を決めたように呟いた。
「まずは整理から始めないとだめね……藍ちゃん、この部屋は何のお部屋?」
「おじいちゃんとおばあちゃんの寝室、だけど」
凛が廊下を挟んで真向かいにある部屋のドアを指差しながら藍に訊ねる。
「ちょっと使わせてもらってもいいかな?」
「あ、うん、大丈夫」
藍はそう言うと寝室のドアを開ける。凛はその中を一瞥して頷いた。
「じゃあまず、衣類以外のものを一旦全部外に出しちゃうね。みんなも手伝ってくれる?」
「ラジャー!」
「いいよ!」
こうして凛主導のもとで藍の部屋の片づけが始まった。
まず、藍の部屋の中にある衣類以外のものを部屋の外、廊下や寝室に一旦全て出し、文房具、本、玩具、といった具合で種類別に分別した。そして最後に女子だけが藍の部屋の中に入って、衣類を部屋の1か所にまとめた上で部屋の掃除をした。
「これで全部ね。じゃあ藍ちゃん、ここからが本番だよ?ここにあるものを、要るものと要らないものに分けていくからね」
「要るものと要らないもの?」
「そう。でも、その判断基準は私の言う通りにしてね」
凛はそう言うと、藍の目の前にものを掲げていくつか質問し、藍に答えさせ始めた。そして不要と判定されたものは即座にゴミ袋へ入れていく。このテンポがまた絶妙で、藍に余計なことを考えさせない意図がしっかり見て取れる。こうして、サイズアウトした衣類、前年度以前の教科書やドリル、重複している文房具、1年以上遊んでいないゲームソフトなどが次々に処分対象になっていった。そして、気が付くと残ったものは当初の半分以下にまで減っていた。
「うん!これで全部ね。じゃあ次は整頓。必要なものを収納していくよ」
次に、一度部屋から出した必要なものを再度部屋の中に入れ、適切な場所に収納していく。最初に女子だけが部屋に入って衣類を箪笥に収納。その後、勉強机の収納スペースには文房具、教科書といった学校や勉強で使うものを、本棚には本、マンガ、ゲームソフト、思い出の品などを何段目に何を入れるかをきっちり決めた上で収納していく。その他雑貨類は、藍の意見を取り入れた上で飾る場所や置く場所を決めていく。
こうして片付け開始から2時間半、無法地帯だった藍の部屋は見違えるほど整然とした空間へと変貌を遂げた。
「すごい!最初見たときと全然違う!」
「凛ちゃんさすが!」
「わ、私だけじゃないよ。みんなが頑張ってくれたからここまでできたんだから。もちろん藍ちゃんもね///」
みんなから称賛された凛は恥ずかしがりながら言う。藍はというとしばらく呆けたように自分の部屋を見つめていた。そしてハッと我に返って凛を抱き締める。
「凛ありがとう!凛のおかげだ!まるでお母さんみたいだ!」
「お、お母さん!?///」
抱き締められたことと予想外の言葉に凛は狼狽える。確かに凛は一般の主婦、主夫に引けを取らないレベルで家事能力に秀でているが、俺はその言葉にどうしても引っかかるものがあった。
「ああ、ごめん、変なこと言っちゃって。ただ、もしお母さんがいたら、こんな感じなのかなって……」
「藍ちゃん……」
やっぱりか。家の中に入ったとき見かけた、1階のとある部屋に置かれた仏壇。その上に、藍によく似た若い女の人の写真が飾られていることに俺は気づいていた。
「藍、言いたくないなら無理に言わなくてもいいけど、君のお母さんはやっぱり」
「うん。私が3歳のときに亡くなってる」
藍はそう言うと、部屋の床の上に座る。俺たちも、同心円状になるように床に腰を下ろした。
「お母さんとの記憶はおぼろげだけどある。でもそれ以上に覚えてるのは、仏壇の前でずっと落ち込んでいるお父さんの姿なんだ」
藍は目線を少し下げて思い出しながら言う。
「でも、私が明るく元気にしていたら、だんだんお父さんも立ち直ってきたんだ。最初はただ構って欲しかっただけだと思うけど、それが嬉しくて、それからずっと頑張って明るく振る舞ってきたんだ」
その言葉に、俺は心の中で静かに息を吐いた。藍の明るさは、ただの性格ではなく、剛さんを支えようとする努力の産物だったのだ。
「でも、そうしているうちに、なんというか、後に引けなくなっちゃったんだ。藍は明るくて元気なやつ、っていうイメージを崩したくなくて、どんなことがあっても明るく元気でいないといけないって思っちゃって」
そこまで聞いて、俺はふと思うことがあった。
「もしかして、それは学校でもか?」
「うん。学校でも、男子は他の男子と同じように接してくるし、女子からも頼りになる子って思われてて、いつの間にかそれが当たり前になっちゃってた。違和感はあったけど、やっぱり頼られるのは嬉しくてさ、つい大変なことを引き受けたり、学級委員長になったりして……」
俺の質問に対する藍の回答に、俺は思わず息を呑んだ。
転生前に俺が見ていた藍は、非の打ちどころがない優等生で、人を惹きつける魅力を持ち、周囲を引っ張っていくリーダーシップを持っていた。だが、それが彼女自身の素直な姿ではなく、「藍はこうあるべき」という周囲の理想に応え続けた結果だったのではないか。クイズを出すときなどに、いたずらっ子よろしく無邪気な笑顔を時節見せることがあったが、あれこそが藍の本来の姿だったのではないか。
「藍ちゃん、それってすごく辛かったんじゃないの?」
結乃がそっと声をかける。
「いや……辛いって思ったことはなかったさ。だって、最終的には自分でそうしようって決めたんだから」
藍は笑顔を浮かべながら答えたが、その笑顔はどこかぎこちなく見えた。
「けど、それって全部1人で背負い込んでるだけだろ?」
俺は藍をじっと見つめながら言った。
「誰にも弱音を吐かず、頼りにされる自分を演じて……そんなの、いつか限界が来るぞ」
藍は一瞬、驚いたような顔をした。そして視線を落とし、小さな声でつぶやく。
「……そうなんだろうな。でも、どうすればいいのか分からないんだ。弱音を吐くって、どうしたらいいのか分からない」
藍はより声のトーンを低くして俯きながら言う。ただ俺は特段心配してはいなかった。
「何言ってるんだ?弱音ならもう吐いてるだろう?」
俺がそう言うと、藍はきょとんとした表情で顔を上げた。
「え……?」
「だって今、藍は自分の気持ちをこうして話してるじゃないか。それが弱音ってやつだよ」
藍はその言葉にしばらく黙り込んだ。考えるように視線を彷徨わせ、そしてポツリと言った。
「……そっか、これが、弱音を吐くってことなんだ。こんなふうに誰かに話したの、初めてかもしれない」
藍は苦笑しながら続けた。
本人は無意識なのかもしれないが、藍が俺たちに弱音を見せた理由をある程度は推察できる。俺たちが藍と初めて対面したとき、藍は俺をけがさせたことに負い目を感じ、最後は泣いて謝罪したが、俺たちはそんな藍を無条件に受け入れた。つまり、弱い自分を見せる素地が俺たちとの間にはすでにでき上っていたのだ。さらに、俺たちが藍にとって「新しい人間関係」だったことも大きい。学校や日常生活で築き上げた「藍は明るくて頼れる子」という固定観念が、俺たちには適用されないからだ。まっさらな関係の状態から弱い自分を見せて受け入れられた経験が、自然と俺たちに対して藍に弱音を吐かせたのだろう。
「なんか変な感じだ。ずっと自分だけで抱えてたものを急に誰かに渡しちゃうみたいで、少し怖い……でも、少しだけ気持ちが軽くなった気がする」
「それでいいんだよ」
凛が藍の隣に座り、優しく微笑んだ。
「何かあったら、遠慮なく私たちに言ってね。弱音を吐くのに慣れなくても大丈夫。少しずつでもいいんだから」
「そうそう!無理する必要なんてないよ!私たち、ずっと藍ちゃんの味方だから! 」
凛の言葉を受けてみずきが続ける。
「そうだよ!頼れる子が誰かを頼っちゃいけない、なんてことはないんだから!」
「うん! 頼りにされるだけじゃなくて、私たちも藍ちゃんに頼られるのが嬉しいんだから!」
結乃と七海もにっこりと笑った。
「……みんな、ありがとう」
藍はぽつりとつぶやきながら、ゆっくりと涙を拭った。その顔には、肩の荷が少しずつ降りていくような安堵の表情が浮かんでいた。
「藍、これからは俺たちがいる。どんな気持ちでも受け止める。だから無理して笑うのはもうやめろよ」
藍は俺の言葉にこくりと頷き、再び小さく笑った。
俺の仮説が正しければ、俺は転生前、藍を完全に誤解していたし、結局何もしてやれなかったことになる。当時に戻って藍を救うことはもう叶わない。ならばせめて、今目の前にいる藍が、藍自身が望む未来を歩めるようにできる限り手助けしよう。幸い、今の藍には弱音を曝して、頼ることができる仲間がたくさんいる。結乃たちに囲まれて涙ながらに笑う藍を見ながら、俺は改めて誓うのだった。




