4-5.金井家、それぞれの想い⑤
「胴あり!」
実さんの声が道場に響き渡ると、凛、結乃、七海の3人が歓声を上げた。
「みずきちゃんが勝った……!」
「すごい!すごいよみずきちゃん!」
「勝ったんだよね隆ちゃん!?みずきちゃん、勝ったんだよね!?」
「ああ。綺麗に胴に入ってた。見事な一本だったな」
俺の言葉を聞いた3人が再び歓喜するが、俺自身はそこまで驚いてはいなかった。辰之介さんの意図を試合中に汲むことができれば、みずきなら十分勝てる可能性があった。
「勝負あり!」
みずきと辰之介さんが開始線に戻ると、実さんの落ち着いた声が試合の終了を告げる。その後、2人は蹲踞して納刀し、試合終了後の作法に則って退場した。
その場を見守る静枝さんは腕を組んだまま、うんうんと頷いている。千代子さんは驚いた表情で口に手を当てている。
「みずきちゃん!」
一通りの動作を終えてこちらに戻ってきたみずきが面を外すと、凛たちがすぐに駆け寄って声をかけ始める。
「みずきちゃん!おめでとう!」
「最後の胴、すごくかっこよかった!」
「私感動しちゃった!」
みずきは驚きながらも3人に笑顔を見せる。
「ありがとう!まだ信じられないけど、私勝てたんだよね?」
みずき自身はまだ自分の勝利を実感できていないようだが、今の晴れやかな表情から察するに、自分の実力はしっかり出し切れたようだ。
パチパチパチパチ。
みずきが3人に囲まれたまま笑顔で話していると、辰之介さんが拍手をしながらゆっくりと歩いてこちらに向かってきた。その表情は柔らかく、どこか楽しげな余韻が漂っている。
「素晴らしかったよ、みずきちゃん」
辰之介さんが言葉をかけると、みずきは少し驚いたように目を見開き、すぐに深く頭を下げた。
「ありがとうございました!本当に勉強になりました!」
みずきの声には感謝と敬意が溢れている。その様子を見た静枝さんが微笑みながら歩み寄る。
「いい試合だったわよ。特に最後の一本、見事だったわ」
みずきは静枝さんにも頭を下げ、照れくさそうに笑った。辰之介さんはゆっくりと腕を組み直しながら言葉を続ける。
「技術もさることながら、試合中にこちらの意図を見抜き、それを活かす吸収力が素晴らしい。これは誰にでもできることじゃないぞ」
「そ、そんなことないです!」
辰之介さんの賛辞に、みずきは慌てて手を振って答える。
「いや、本当にすごかった」
俺はみずきにそう言いながら頷いた。
「県でナンバーワンの実力者である2人がこう仰ってるんだ。みずきはもっと自信を持っていい。実際、2人に勝てるだけの稽古を今までもやってきたんだから」
俺の言葉に辰之介さんと静枝さんが深く頷くと、みずきは顔を赤らめながらも嬉しそうに笑った。
さて、そろそろ頃合いだな……
「辰之介さん、静枝さん。俺は、みずきは剣道か弓道のどっちかに絞るんじゃなくて、これからも両方を続けるべきだと思っているんだけど、どう思う?」
俺がそう切り出すと、2人の後ろにいる実さんと千代子さんが目を見張って驚く。対して辰之介さんと静枝さんは、互いに顔を見合わせて笑顔で頷いた。
「もちろんだとも」
辰之介さんが柔らかな口調で答える。
「みずきちゃんからどちらか一方を取り上げるのはもったいない。適切な指導と環境があれば、間違いなく両方で名手になれるはずだ」
「私も藤堂さんに賛成よ」
辰之介さんと静枝さんの言葉にみずきは驚きの表情を見せる。
「でもそれは、みずきちゃん自身がそれを望むならの話。本人が嫌がっていることを無理強いしたくはないからね。みずきちゃん、あなたはどうしたい?」
静枝さんの問いかけにみずきは一瞬逡巡するが、本人の中で言うべきことはすでに決まっている。
「私は……剣道と弓道を両方続けたいです……!」
「みずき……!」
初めて耳にするみずきの願いに、実さんと千代子さんは驚きを隠せない。だが、実さんはすぐに我に返り、みずきの傍に駆け寄る。
「みずきを認めてくださるのは、とても嬉しく思います。しかし、剣道と弓道の両立に関してはやはり現実的ではないかと存じます。実際、充も過去に……」
みずきの傍で実さんは辰之介さんと静枝さんに自分の考えを述べるが、充さんの話になると言葉に詰まってしまう。
「確かに昔は間違った指導法で充くんをケガさせてしまった。だが、今はその経験を教訓として活かすことができる。実もみずきちゃんに同じことを繰り返すつもりはないだろう?」
「も、もちろんです!」
辰之介さんの問いに実さんが食い気味で答える。
「なら大丈夫だ。みずきちゃんが無理しそうになったら、今度はしっかり我々が止めればいい。俺と平野さんも喜んで協力する」
「ええ。みずきちゃんのためなら何だってするわ」
「藤堂先生、平野先生……」
辰之介さんと静枝さんの惜しみない協力宣言にみずきは感銘を受ける。対して実さんは「しかし……」と今ひとつ煮え切らない反応を見せる。
「それに、きっと彼も賛同してくれるはずだ」
辰之介さんの発言の意図を汲み取れない実さんが頭に疑問符を浮かべる。
ガラガラ。
「お、噂をすれば何とやらかな?」
と言いながら辰之介さんが向けた視線の先には、錬進館の玄関に立つ1人の男の人の姿があった。みずきはその人の顔を認識するや否や、脇目も振らず玄関へ駆け出した。
「お父さん!」
「みずき!」
玄関に立っていたのは、現在海外赴任しているはずのみずきの父・充さんだった。充さんが道場に上がるとほぼ同時に、みずきが充さんに抱き着き、充さんはそれを笑顔で受け止めた。
「充、いつ帰って来たんだ?」
「今日の午前中さ。朝子にはもう連絡してある」
実さんの質問に充さんが答える。
「今月は帰って来れないって言ってたのに、どうしたの?」
「みずきが悩んでいると隆一くんから聞いてね。会社にお願いして一時帰国させてもらったんだ」
みずきが充さんを見上げて問いかけると、充さんが俺を見ながら答える。
「充さんにメールで連絡したんだ。みずきが剣道と弓道の両立について悩んでることを伝えたら、すぐにこうして動いてくれたんだ」
「そうだったんだ……」
俺が2人に近づきながら答えると、みずきは充さんと俺を交互に見ながら言う。
「充くん、久しぶりねえ」
「平野先生、藤堂先生、ご無沙汰しております」
静枝さんがこちらへ歩み寄り、にこやかに声をかけると、充さんは深々と頭を下げた。その姿を見て、辰之介さんがにやりと笑う。
「向こうではどうだ?」
「おかげさまで、元気にやらせてもらっています」
充さんの返答に、辰之介さんは満足そうに頷いた。その後、充さんは実さんと千代子さんの方へ向き直り、真剣な表情で口を開いた。
「みずきのことは隆一くんから聞いている。親父、お袋、俺からもお願いだ。みずきに剣道と弓道を両方続けさせてやってほしい」
実さんはその言葉に眉をひそめ、厳しい視線を充さんに向けた。
「充、お前が一番わかってるはずだろう。剣道と弓道を両立することの大変さを」
「確かに大変だった。でも、それでも俺は辞めたいと思ったことは一度もなかった。それくらい、剣道も弓道も好きだったからな……」
一息置いてから、充さんは言葉を続けた。
「だから、みずきも剣道と弓道が好きで、両方続けたいのなら、その願いを尊重してやりたい」
「お父さん……」
みずきが充さんの言葉を聞きながら、小さく呟いた。そして、みずきは改めて実さんと千代子さんの方を振り向いた。その目には、これまでにない強い覚悟を感じ取れた。
「おじいちゃん、おばあちゃん。私は剣道も弓道も、両方とも大好き。錬進館も律志堂も大好き。私は錬進館で剣道、律志堂で弓道をずっと続けたい。私、頑張るから、両方続けさせてください。お願いします!」
頭を下げながら発せられたみずきの強い言葉に、道場内が静まり返る。実さんはしばらく沈黙した後、千代子さんをちらっと見る。すると、千代子さんは仕方ないと言いたげな表情で笑いながら頷いた。千代子さんの笑顔を見て、実さんは大きく息を吐いた。そして、みずきをじっと見つめた後、静かに口を開く。
「わかった」
その一言が放たれると、みずきは驚いたように顔を上げた。
「本当に……続けさせてもらえるの?」
「ただし!」
実さんは低い声を上げて、みずきを見据えた。
「みずきもわかっているとは思うが、剣道と弓道を両立させるのは並大抵のことじゃない。それに、俺やばあさんだけでなく、藤堂さんや平野さんにも協力してもらうことになる。生半可な気持ちで稽古に臨むのは許さないぞ」
「はい!」
実の言葉にみずきは一瞬身を引き締めるように姿勢を正し、力強く返事をする。
「私もみずきが決めたことなら何も言わないわ。でも、2つ約束してちょうだい。まず、行き詰まったり、苦しくなったら必ず相談すること。それと、剣道と弓道以外のことも疎かにしないこと。いいわね?」
「はい!」
千代子さんの言葉にも、みずきは同じように返事をする。その様子を見た実さんは、改めて辰之介さんと静枝さんに向き直る。
「藤堂さん、平野さん、この年になってまでお手数をおかけするのは大変忍びないのですが、孫のために、どうかご協力のほど宜しくお願いいたします」
実さんはそう言って2人に頭を下げる。そして同じタイミングで千代子さんが、続いてみずきも慌てて頭を下げた。
「うん、もちろんだ。俺たちの目が黒い内は何があってもみずきちゃんを守る。もちろん、その後も継続して支援する体制も作ろう」
「ええ。みずきちゃんは剣道界と弓道界の宝だもの」
辰之介さんが笑いながら言うと、静枝さんも微笑みながら続けた。実さんと千代子さんはこれを受けて改めて2人にお礼を言う。
「俺もできる限り協力する」
しばらく様子を見ていた充さんが、実さんと千代子さんに話しかける。
「実戦稽古はできないけど、稽古の様子を見ることはできるからな。週に1回は必ず見にに来るようにするから」
「週に1回も帰って来れるのか?」
実さんが半ば驚いたように訊ねると、充さんはにやりと笑った。
「実は辞令が下って、7月に日本へ戻ることになったんだ」
充さんの言葉を受け、みずきの目が再び大きく開かれる。
「お父さん、帰ってくるの!?」
「ああ。夏休み前にはおうちで一緒に暮らせるよ」
みずきの問いかけに、充さんは満面の笑みで答える。
「やったーー!!」
みずきは今日一の笑顔で幼子のようにはしゃぎ、充さんに抱き着いた。凛、結乃、七海の3人もみずきのもとに集まり、自分のことのように喜ぶ。特に凛は感極まって嬉し涙を流していた。
その様子を傍で見守っていた俺の両脇に、辰之介さんと静枝さんがやって来る。
「めでたし、めでたし、だな」
「うまくいったわね」
「2人ともありがとう。俺の頼みを聞いてくれて」
2人のトーンに合わせて、俺も小声でお礼を言う。いまさら言うことでもないが、今回の辰之介さんと静枝さんの金井家訪問、そして充さんの一時帰国はともに俺が発端となって実現した。
辰之介さんと静枝さんは昔ながらの義理堅い性格で、美穂ちゃんとハチを助けた後に「ぜひお礼させてほしい」と言ってくださった。だが俺はすぐにはお礼を受け取らず「次に自分が助けを求めたときに協力してほしい」と要請し、了承してもらっていた。そして今回、まず2人が剣道と弓道の両立に賛成であることを確認した上で、満を持してみずきのことを話して協力を仰いだのだ。金井家と双方がそれぞれで交流があったことはその際に判明して互いに驚いたものの、俺の頼みを2人はすぐに快諾してくれた。アポなしの金井家訪問は静枝さん、みずきとの実戦稽古は辰之介さんの発案だ。
充さんには、先ほどみずきに話した通り、フリーメールでみずきの今の状況を報告し、協力を要請した。その後数回のやり取りを経て、辰之介さんと静枝さんとも一度国際電話で繋いで、今回の件について打ち合わせの場を設けた。そして充さんの一時帰国日が決定すると、その日を金井家訪問日に設定し、詳細を詰めていった。
忙しい中で俺とみずきのために時間を割き、真摯に付き合ってくれた3人には感謝しかない。
「なに。恩人の頼みを聞くのは当然さ」
「そんな大げさな」
「本当にそう思っているのよ。また何かあったら、いつでも言ってちょうだい」
俺が苦笑しながら言うと、静枝さんは微笑みながら返し、辰之介さんも頷いた。
「またこっちに遊びに来てくれ。そろそろ美穂が寂しがる頃だからな」
「わかった。来週行くよ。静枝さんちにも、来週ばあちゃんと遊びに行くから」
「楽しみにしてるわ♪」
辰之介さんと静枝さんに、来週の訪問を約束する。それで2人が満足してくれるならお安い御用だ。
凛たちと喜んでいるみずきのもとへ向かうと、みずきが俺のもとへ駆け寄ってきた。
「隆くん!」
そして勢いそのままに俺に抱きつき、肩に顔を埋める。思わず俺はバランスを崩しそうになるが、踏ん張って彼女を支える。
「よかったな、みずき」
「うん!隆くんのおかげだよ!本当にありがとう!」
みずきの声は弾んでいて、体全体からも喜びが伝わってきた。一応、これで俺の描く理想的な形で、みずきの願いを叶えてやることはできたかな。
「あらあら、2人ともアツアツね♪」
「はっはっは!どうやら錬進館も律志堂も、当分は安泰みたいだな」
辰之介さんの笑い声が道場に響くのを耳にしながら、俺は無意識に張っていた肩肘をようやく緩めるのだった。
翌週、みずきは地方の弓道大会に出場し、小学生の部で史上最年少で優勝を飾った。これをきっかけに、みずきは天才武道少女としてその名が知れ渡っていくことになる。




