4-3.金井家、それぞれの想い③
ヒュン!ボスッ。
「はぁ……」
放った矢が盛り土に刺さり、みずきは思わずため息をこぼす。錬進館の近的場には西日が差し込み、盛り土に刺さった矢は的に影を落としている。
「気を緩めない。矢が当たった場所をしっかり見据えて」
千代子の注意を受け、みずきは気を引き締め直して次の所作に入る。が、ため息をつくみずきの気持ちは千代子も十分理解している。すでに何本もの矢が盛り土に刺さっていたり中庭に落ちてたりしているが、的を射ているものは1本もない。
「みずき、そろそろ休みなさい。2時から一度も休憩してないでしょ」
みずきが所作を終えたところを見計らい、千代子がみずきに休憩を促す。対してみずきは道場の時計を一瞥すると、すぐに矢立箱から矢を4本取り出した。
「もう少しやらせてください。お願いします」
そう言うと、みずきは再び足を開いて姿勢を作る。千代子は軽く息を吐き、再びみずきの所作を見守る。
ガラガラ。
「みずき、凛ちゃんたちが来とるぞ」
「みずきちゃん!」
道場の引き戸が開き、後ろから掛かった声に振り向くと、実、凛、結乃、七海の姿があった。
「みんな……」
「もうすぐ3時だから来たよ!」
ここ最近の休日は、隆一たちは凛の家に集まることが多くなった。道場にアクセスしやすい凛の家であれば、みずきの負担を抑えつつ集まることができると隆一が提案した。今では午後3時直前に道場に赴いて、みずきとおやつを食べる流れが恒例になった。
「みんなごめん。もうちょっとだけ続けさせてくれる?」
だがみずきは、休憩時間を惜しむほど今のコンディションに焦っていた。
「みずき、隆一も言ってたんだろう。適度に休息を取らないと、疲労で体が動かなくなる。焦っているのはわかるが、このままだと来週に響くぞ」
「でも……」
みずきは反論しようとしたが、すぐに口を閉ざして顔を下に向けてしまった。
1回戦敗退を喫した剣道の県大会から1ヶ月。みずきは次戦の弓道の大会を来週に控えていた。もし来週の大会でも結果を残すことができなければ、みずきが望む剣道と弓道の両立はさらに非現実的になる。それだけに、みずきの焦りはひとしおだった。
「ん?そういえば隆一はどうしたんだ?」
隆一の名前を出したところで、その本人が不在であることに気づいた実が凛たちに問う。
「隆くんは用事があるからって一旦おうちに帰ったよ。3時前には戻るから先に道場へ行っててくれって」
実の質問に結乃が答えると、実は「そうか……」と頭を掻きながら悩ましい表情を見せる。
「おじいさん、残っている矢はみずきが持っている4本だから、二手だけやらせてあげましょう。それでいいわよね、みずき」
「はい」
千代子の提案にみずきが頷く。実は空の矢立箱とみずきを交互に見て眉間に皺を寄せるが、ほどなくして先ほど千代子がしたような溜め息をついた。
「……わかった。二手だけだからな」
「はい!」
みずきが返事をし、再び最初の姿勢を作り始めたときだった。
ガラガラ。
「おっ。おったおった」
引き戸が開く音とともに道場内に響き渡る声に、道場内にいる全員が振り向く。直後、実と千代子は目を見開いて一瞬硬直するが、すぐに2人揃って引き戸の方へ駆け寄る。
「と、藤堂さん!?」
「静枝さん!?」
「しばらくね。千代子ちゃん」
玄関に立っていたのは2人の年配者。1人は竹刀袋を背負い紙袋を手に持った道着姿の老紳士、もう1人は大きめのトートバッグを肩に下げて弓袋を手に持った老婦人だった。
「ど、どうされたんですか!?」
「はは。友達に誘われて遊びに来たのさ」
突然の来訪に慌てふためく実とは対照的に、老紳士は至って自然体かつ茶目っ気たっぷりに笑いながら言う。
「友達?」
「俺のことだよ」
実が訝しげに呟くと、2人の背後から隆一が姿を現した。
「隆一!?」
「「隆くん(ちゃん)!」」
隆一の登場に女子4人は安心したように笑顔になるが、実と千代子は余計に混乱してしまう。
「隆一が、お2人と友達?い、一体どういうことですか??」
「それはお茶でも飲みながらゆっくり話そう。土産も持ってきたからな」
手に持つ紙袋を見せつつ、老紳士は勝手知ったる場所のごとく道場に入り、老婦人も後ろから続くのだった。
「粗茶でございますが」
「どうもありがとうございます」
午後3時。俺たちは錬進館の休憩室に集まっていた。お茶を出す千代子さんがいつになく緊張している。まあこの2人の前なら無理もないか。
「ああ、そうだ。まずはお2人のことをみんなに紹介しないとな。隆一はもう知っているだろうが」
どこか所在なさげに座っていた実さんが、姿勢を正して俺たちの方に向き直る。
「まず、俺の隣にいらっしゃるのが藤堂辰之介さん。俺の剣道の先輩で、学生の頃から公私でお世話になっている大恩人だ。充も藤堂さんに大いに助けてもらった。県内で初めて範士九段を拝命された方で、今は県の剣道連盟の名誉会長を務めておられる」
「はは、お子さん相手にそんな大層な紹介はしないでくれ。剣道を取っ払えばどこにでもいるただのじいさんさ」
「そうはいきませんよぉ」
辰之介さんの言葉に実さんが反論し、「んん!」と軽く咳払いする。
「そしてその隣にいらっしゃるのが平野静枝さん。平野さんはばあさんの弓道の先輩だ。藤堂さん同様、充も大いにお世話になった。県内女性で最高位の範士八段で、県の弓道連盟顧問の1人でもある」
実さんが静枝さんを紹介する傍ら、静枝さんは辰之介さんが持参したお土産の饅頭を頬張る。
「それでお二方、こちらにいるのが」
「う〜ん!このお饅頭美味しいわ!藤堂さん、このお店どこにあるの?」
「私の地元に昔からある和洋菓子屋です。お気に召したならまた持ってきますよ」
静枝さんが目を輝かせて辰之介さんに質問すると、辰之介さんが微笑みながら答える。
「ぜひ!ほらほら!みんなも食べてみて!」
「あ、は、はい!」
静枝さんに促されて、女子4人が慌てて饅頭に手を伸ばす。端から見たら自由でお茶目なおばあさんで、弓道とは縁遠いように思える。
「この饅頭は隆一のお気に入りなんです。隆一が遊びに来るときは必ず用意してます」
「あら本当ですか!じゃあ今度は隆一くんと一緒にお邪魔させてもらおうかしら?」
「あのお、お2人ともよろしいでしょうか……?」
気ままに話を進める2人に実さんが遠慮がちに話しかける。
「おおすまんすまん。で、何だったかな?」
「お2人に3人を紹介しようと思いまして」
「この子たちなら隆一くんから話を聞いていますよ。凛ちゃんに、結乃ちゃん、七海ちゃん。みずきちゃんと隆一くんのお友達ね」
実さんが紹介する前に、静枝さんが3人の名前を答える。
「みずきちゃんは小さい頃に一度会ったことがあるんだが、さすがに覚えてないか」
「私もです。確か3歳頃だったかしらね。もう10歳になるなんて、時間が経つのは早いわぁ」
静枝さんが親戚のおばさんさながらのセリフを感慨深く言う。
「それで、お2人にお伺いしたいのですが、隆一とはどういう経緯で知り合ったのでしょうか?」
実さんが玄関での同じ質問をもう1回2人に投げかける。
「俺が知り合ったのは去年の12月だ。隆一が迷子になった美穂を保護してくれてな。それがきっかけだった」
「隆一が美穂ちゃんを?」
美穂ちゃんとは辰之介さんのお孫さんだ。辰之介さんの末娘の娘さんで、今年5歳になる。
「うん。藤田屋に行ったときに見つけたんだ。明らかに1人で、泣きそうな顔して右往左往してたから、迷子だってすぐわかったよ」
藤田屋とは、柳田駅のすぐ近くにある老舗デパートだ。ちょうどクリスマスが近く、中は多くの人でごった返していた。最初は迷子センターに連れて行くつもりだったが、幸いその道中で辰之介さん夫婦と娘さん夫婦を見つけ、無事引き渡すことができた。
「美穂はかなり隆一に懐いてな。その日は隆一から片時も離れないで、ずっと一緒に遊んでもらった。別れるときも大泣きしてな。そのときに連絡先を交換して、いつでも連絡を取り合えるようにしたんだ。今も機会があればうちに寄ってくれて、美穂の遊び相手になってくれている」
辰之介さん夫妻は娘さん一家と同居している。美穂ちゃんにはもちろん友達がいるが一人っ子で、年が離れた子どもと遊んだ経験がなかった。俺は貴重な年が離れた友達、いわば美穂ちゃんの兄代わりとして辰之介さんたちの信頼を得て、ここまで密な関係を築くことができた。
「平野さんも、同じような感じで隆一と知り合ったんですよね?」
「そうなんです!最初に藤堂さんのお話聞いたときびっくりしちゃった。私の場合は猫だったけどね」
辰之介さんから話を振られた静枝さんが大きく頷きながら言う。
「猫って、ハッちゃんですか?」
「そう!私の不注意で窓を開けっ放しにしてたら、いつの間にか脱走しちゃって。でもその日の夕方に、隆一くんが抱っこして連れ戻してくれたの」
静枝さんの飼い猫は、ハチワレのブチネコであるため「ハチ」と名付けられた。基本的には「ハッちゃん」という愛称で呼ばれている。
「隆一、どうやって見つけたんだ?」
「平森のじいちゃんちに行ったときに偶然見つけたんだ。人懐っこいし、毛並みが綺麗で首輪もしてたから、脱走した家猫だなってすぐ気づいたんだ」
実さんに訊ねられて、そのときのことを思い出しながら答える。
ばあちゃんと近所を散歩していたときに、1匹の猫が目の前を横切った。それがハチだった。横切ったかと思いきや、こちらに真っ直ぐ向かってきて俺に甘えてきた。そこで、ばあちゃんと一緒に近所を回って猫を飼っている家を教えてもらい、最終的に同じ平森地区に住む静枝さんの家に行き着いたわけだ。
「人懐っこい?ハッちゃんって人見知りしますよね?」
「そうなの!だから余計びっくりしちゃって!私以外に懐いたのは今のところ隆一くんだけ。今も平森に来たときにはうちに寄ってもらってるわ」
静枝さんは数年前に旦那さんを亡くし、今は一人暮らし。近くに息子さん一家が住んでいるので安心だが、話し相手は多い方がよいとのことで、平森に来た際にはばあちゃんと一緒に静枝さんの家にお邪魔するようになった。
「それにしてもすごい偶然ですねえ。それぞれ違うきっかけで隆一くんとお2人が知り合うなんて」
「私も、後から金井さんや藤堂さんとも知り合いって聞いてびっくりしちゃったわ。ここには長いこと来てなかったし、せっかくだから2人で来てびっくりさせようと思って」
「確かにとても驚きました……」と千代子さんがため息混じりに言う。千代子さんの半分諦めたような表情から察するに、静枝さんの自由な性格は昔から変わっていないようだ。
「そういえば、さっきはみずきちゃんの稽古中だったのか?」
「は、はい。来週弓道の大会がありまして、それに向けて」
辰之介さんの質問に実さんが答える。
「そうかぁ……みずきちゃんは弓道を選んだのかぁ。そりゃあ残念だなぁ」
「!あ、あの」
辰之介さんが寂しく笑いながら言うと、みずきが目を見開きながら口を開く。
「弓道だけじゃないです!みずきちゃんは剣道もやってます!」
みずきが何か言いかけるより先に、凛が辰之介さんに話しかける。
「おお!本当か?」
「うん!みずきちゃんは剣道も弓道もすごく上手だよ!」
「両方とも大好きなんだよね?」
「う、うん!」
凛に続いて結乃と七海も会話に加わり、みずきは驚きながらも七海からの問いかけに力強く頷く。
「そうかそうか。お父さんと一緒だなぁ。充くんも小さい頃から両方好きで、よく稽古に打ち込んでいたからなぁ」
辰之介さんが感慨深くそう言うと静枝さんに目配せし、静枝さんはそれに応えて頷く。
「みずきちゃん、もしよければなんだが、俺たちと試合をしてみないか?」
「!試合、ですか?」
辰之介さんの提案に、みずきは目を見開いて聞き返す。
「もちろんハンデはつける。試合というよりは、今のみずきちゃんの実力を見るための実戦稽古だ。どうかな?」
実さんと千代子さんが2人揃ってまごつく中、みずきは辰之介さんと静枝さんの2人だけを真っ直ぐ見据えていた。
「ぜひやらせてください。お願いします!」




