4-1.金井家、それぞれの想い①
パァーン!
「めーん!」
「嘘……」
勝負が決した瞬間、凛は驚きの表情で呟き、手で口元を覆った。隣にいる結乃と七海も、心配そうな表情で会場を見つめている。
「負けちゃったの?みずきちゃんが?1回戦なのに?」
「ああ、もう竹刀を収める動作に入ってるからな」
結乃が目の前の状況を確認するように言う。だが、今日のみずきの様子を振り返ると、俺自身はこの結果にあまり驚いてはいなかった。
今日は、みずきが小学4年生になってから最初に出場する剣道の大会。対象は県内全域の小学生であり、この大会で優勝すると全国大会に出場できる。みずきは1年生のときからこの大会に出場しており、小学2年生のときには優勝を経験している。今回も優勝を目指して出場したわけだが、1回戦で辛酸を嘗めることとなった。
「行くぞ」
「あ、隆くん!」
みずきが会場を後にしたのを見計らい、俺たちも観客席を離れて試合出場者の待機室へ向かう。本来、待機室への入室は試合出場者やその監督者に限られるが、みずきのおじいさん・実さんとおばあさん・千代子さんの計らいで、俺たちは以前から専用パスをもらって関係者区域にも出入りできるようにしてもらっている。
会場1階の待機室では、剣道着姿の出場者たちが談笑したり、監督者と戦術を確認したりと思い思いに過ごしている。その部屋の片隅で、剣道着に胴と垂れを身に着けたみずきがパイプ椅子に腰掛けて項垂れていた。
「みずきちゃん!」
みずきに気づいた凛が真っ先に駆け寄ると、結乃と七海が慌ててその後を追う。凛の声に気づいたのか、みずきは顔上げてこちらを向く。表情は虚ろで、心ここにあらずといった様子だ。
「みんな……」
みずきがか弱く呟きながら椅子から立ち上がる。
「みんな、ごめん……せっかく応援に来てくれたのに」
「ううん!みずきちゃんが謝ることないよ!」
「そうだよ!私たちのことは気にしないで」
結乃と七海がみずきを宥めるが、みずきの表情は晴れない。
「隆くん……」
3人から遅れてやって来た俺にみずきが気づく。
「みずき」
名前を呼ぶと、みずきは口を真一文字に結んで目線を下に向ける。さながら、親から注意を受ける子どものようだ。
「落ち込むな、と言っても、そんなことできっこないことはよくわかってる。この3ヶ月間、みずきが必死で剣道と弓道に打ち込んできたことを、俺はよく知ってるからな」
俺の言葉にみずきがハッとして顔を上げる。
実際、ここ3ヶ月間のみずきの頑張りには目を見張るものがあった。朝は早く起きて走り込みをして、放課後は俺たちと学校で宿題を済ませたらすぐに帰って稽古。土日も祝日もずっと稽古。遊びや外出を我慢して、ひたすら稽古に打ち込んでいた。
「俺だけじゃない。凛も結乃も七海も、みずきがずっと頑張ってきたことを知ってる。だからみずきを責めようなんて、誰も思っちゃいない。失望することもしないし、ましてや見限ることなんか絶対にしない」
「隆くん……みんな……」
俺の言葉に凛たちが力強く頷くと、みずきは顔を歪めて目に涙を溜め始める。
「今日の結果は、すぐには受け入れられないかもしれない。けど、それでいい。泣きたければ泣いていい。みずきが前を向けるようになるまで、俺たちはいくらでも待つからな」
「う、うう……うわあああん!」
刹那、みずきは俺の肩に顔を埋め、堰を切ったように泣き出した。凛も泣きながらみずきを抱きしめ、結乃と七海もみずきの肩や背中をさすりながら励ましの言葉をかけ続けた。
しばらく泣いた後、落ち着いてきたみずきは俺から離れ、涙を手で拭った。
「みんな、ありがとう。もう大丈夫だから」
「みずきちゃん……」
お礼を言いながら笑顔を見せるみずきだったが、無理をしているのは誰の目からも明らかだった。
「みずき」
後ろからの声に振り返ると、実さんがこちらに歩み寄ってきていた。
「おじいっ、先生……」
みずきが実さんの呼び方を訂正する。道場や大会で師匠と教え子の関係になるときは、みずきは祖父母を「先生」と呼ぶ。
「今日の試合のことは、あまり引きずるな。勝負の世界ではこういうこともある。だが、今日の試合の反省点はしっかり修正しないといかん。帰ったらすぐに錬進館で確認するぞ。いいな」
「はい!」
実さんの言葉にみずきは力強く返事をする。
錬進館は金井家の裏手にある剣道場の名前で、実さんが責任者を務めている。俺が金井家を初めて訪れたときに案内されたのがこの錬進館だ。
またそれとは別に、千代子さんが管理している弓道場・律志堂がある。錬進館ほど近くはないが、金井家からは徒歩圏内にあり、俺たちも何度かお邪魔したことがある。
一応、錬進館も小規模な弓道場を持っている。実さんが千代子さんの練習用に増築したもので、遠的場と近的場がそれぞれ1つずつある。
「よし。じゃあすぐに着替えて、他の選手の応援に回りなさい」
「はい!」
みずきは返事をすると、1人で待機室を出て更衣室へと向かった。
「みんな、みずきが世話かけたな。だがおかげで、どうにか立ち直れたみたいだ。ありがとう」
実さんが俺たちにお礼を言う。おそらく俺たちがみずきを励ましているのを陰から見ていたのだろう。
「おじいさん!みずきちゃんは……大丈夫なの?」
「なあに。今日の負けは事故みたいなもんだ。あまり気にすることはない。あいつもいつまでも引きずるほどやわじゃない。心配はいらんよ」
心配そうに訊ねる凛に、実さんは微笑みながら答える。だが凛、そして結乃と七海も表情が晴れることはなかった。
「さ、もう外に出よう。次の試合の子たちが入ってくるからな」
実さんに促され、俺たちは待機室を出る。実さんとはそこで別れ、俺たちは元いた観客席に戻った。
「隆くん、みずきちゃん、本当に大丈夫かなぁ……」
観客席に戻ってすぐに凛が俺に訊ねる。
「みずき次第ではあるけど、このままだと厳しいかもな」
「!隆くんもそう思う?」
俺の答えに凛が少し食い気味で返す。
「みずきちゃん、自分が辛いときや、我慢しているとき、いつも笑ってた。私は大丈夫、心配しないでって。でもそんなみずきちゃんが、今日は笑ってなくて、たくさん泣いて……絶対に辛いはずなのに、それでも最後は笑顔で、私たちを心配させないようにして……」
凛がみずきとのやり取りで抱いた違和感を包み隠さず吐露する。おそらく、結乃と七海も同じ印象を受けていただろう。実さんもみずきの実際の状況に気づいていたと思うが、俺たちを安心させるために敢えて「心配はいらない」と言い切ったのだろう。
確かにこの3ヶ月間、みずきは自発的に、そして今までにないほど一心不乱に剣道と弓道の稽古に打ち込んだ。だが、俺にはどうしても、みずきが何かに追い立てられているかのような焦りとともに稽古に臨んでいるように見えた。実際、なぜみずきがこれほどまで稽古に打ち込むのか、明確な理由を本人から聞いた者は誰もいない。しかし、稽古の打ち込み具合は大会が近づくとともに激しさを増していったため、この大会に照準を定めていることは明白だった。
そして満を持して臨んだ今日の大会。みずきは試合前の練習の段階ですでに体が硬く、動きが鈍かった。3ヶ月間の稽古の勤続疲労も当然あっただろうが、俺にはそれ以上にみずきがひどく緊張しているように思えた。まるでもう後がない、背水の陣に立たされているような雰囲気をひしひしと感じた。この時点で俺は最悪の結果を覚悟していたが、それが現実のものとなってしまったわけである。
「みずきが稽古に打ち込み始めた理由は誰も知らないんだよな?」
「うん」
「みずきが稽古に打ち込み始めたのは、3月の始めだったよな」
「うん」
俺の質問に3人全員が頷く。これは予想通りの回答だ。
みずきの急激な変化にはさすがに不思議に思い、俺も直接本人に理由を訊ねたのだが、曖昧な回答ではぐらかされてしまったのだ。
「じゃあその前、2月頃にみずきに何か変わったことはなかったか?」
「変わったこと……?」
俺の言葉を結乃が繰り返す。
「そうだ。何でもいい。例えば、みずきが何かに悩んでいたとか、元気がないときがあったとか、そんな感じでいい」
あまり考えたくはないが、例えば実さんが実は重い病気に罹って余命宣告を受けている……といった事態になっているとしたら、あの打ち込みようは頷けるし、理由を俺たちに話せないのも納得できる。現段階ではまだそういった核心には辿り着けないだろうが、何か手がかりになりそうな情報だけでも欲しい。
「2月頃……」
「2月って、バレンタインのときに隆くんの家にお泊まりしたよね」
「あ!」
結乃がバレンタインのお泊まり会について言及した直後、凛が閃きを得たように声を上げた。
「どうした?」
「みずきちゃん、剣道と弓道のどっちかに絞るって」
「ああ!」
「確かに言ってたね!」
凛の言葉に、結乃と七海も思い出したらしい。
「剣道と弓道のどっちかに絞る?」
「うん。お泊まり会の夜に、私たちでおしゃべりしたときにみずきちゃんが言ってたの」
「おじいさんに言われたんだって。これからも本格的に続けるなら、どっちかに集中しないとだめだって」
あの夜中に布団の上で駄弁ってたときか。確か俺はそのときもう眠いからって言って、そこに加わるのを遠慮したんだったな。
「そう言えば、その話したとき、みずきちゃんあまり元気がなかったような……」
「うんうん。なんか落ち込んでるような感じだった」
その様子からして、みずきの本音を想像するのはそう難しくない。だが、みずきをあそこまで切羽詰まらせる理由としては弱い気もする。
「その話は、その後どうなったか知ってるか?」
「ううん。みずきちゃんからは何も聞いてない」
「私も……」
「私もわからない……」
3人ともわからない、か。確かにみずきが稽古で忙しくなって、一緒にいる時間も少なくなったからな。ただみずきを助けようにも、まだ手がかりが少なすぎる。
「隆くん……」
「……本人に直接訊いてみるしかないな」
「みずきちゃん、今日はお疲れ様」
「みんなありがとう。私のために」
午後、俺たちは俺の家の遊び部屋に集まっていた。残念ではあるが、みずき以外の錬進館の教え子たちも午前中には全員敗退してしまった。そのため、弁当を食べた後の昼過ぎには会場を後にしたのだ。
「いいのいいの!おじいさんも休みなさいって言ってくれたんでしょ?たまには息抜きしないとね」
「うん……」
結乃の言葉にみずきは頷くも、表情を見れば納得していないのは明らかだ。
みずきは午後も稽古をする気だったが、実さんから「試合の振り返りをしたら今日はもう休め」と通達された。そこで七海以外は一旦各自の家に戻った後、みずきの大会お疲れ様会を開くために片山家に再集合したのだ。
「みずき、稽古の成果を出したいなら、ちゃんと休むことも大事だ。適度に休みを取らないと、体に疲労が溜まって思い通りに動けなくなる。今日のみずきの動き、明らかに鈍かったぞ」
「……やっぱり、隆くんもそう見えた?」
俺の指摘に、みずきは苦笑いしながら答える。
「私も変だと思ったの。なんか体が思い通りに動かないなって。それで余計に焦っちゃって、試合になったらもっと体が言うこと聞かなくなっちゃったの」
みずき本人も、自身の体に違和感を覚えていたようだ。
「そうだな。確かにみずきの動きは試合が近づくほど硬くなってた。けど、硬くなった理由はそれだけじゃないだろ」
俺の言葉に、みずきは下に向けていた顔を上げた。
「今日の大会、いつになく緊張してるように見えた。今日会って試合が始まるまで、リラックスしている様子が一切なかったしな。まるで、今日優勝できなかったら、もう二度と剣道ができなくなる、そんな雰囲気だった」
「!」
俺の言葉に、みずきが目を見開いて反応する。これは図星か?
「凛たちから聞いたぞ。実さんに、剣道か弓道、どっちかに絞れって言われたらしいな」
「……うん」
少しの沈黙の後、みずきは再び顔を俯け、頷いて答える。
「けどみずき自身は、剣道と弓道、両方続けたい。そうだな?」
「……うん」
先ほどと同様にみずきが頷く。
「そしてその本心を、何らかの理由で実さんや千代子さんに打ち明けられずにいる」
「……やっぱり隆くんには敵わないや」
みずきは体の強張りを解き、苦笑しながらため息混じりで呟いた。
もし、みずきが実さんと千代子さんに本心を打ち明けているなら、俺たちにもすでに本音を話しているだろう。一番相談に乗りやすい凛でさえ知らないということは、誰にも知られたくない本音である可能性が高かった。
「みずき、これは俺の個人的な願望だけど、俺はみずきに剣道も弓道も両方続けてほしい。今まで両方頑張ってきたのに、みずきが望まない形で片方に絞るのは、正直もったいないと思う」
「私もそう思う!」
「そうだよ!みずきちゃん!」
俺の意見に結乃と七海が同調し、凛も強く頷く。
「みんな……グスッ……ありがとう……」
自分を応援してくれる存在を実感したのか、みずきは目に涙を溜めながらみんなに感謝する。
「みずき、無理にとは言わない。けどみずきがいいなら、その理由を教えてくれないか。もしかしたら俺たちにできることがあるかもしれない」
「グスッ……うん……まずね……」
みずきは鼻をすすりながらポツリポツリと話し始めた。




