3-1.テスト、プール、覗き見事件①
キーンコーンカーンコーン……
「じゃあ2時間目はここまで。3、4時間目はプールだから、休み時間が終わったら全員水着に着替えてプール前に集合すること」
担任の田沢先生が「プール」と発した瞬間、3年1組の男子たちのほとんどが「よっしゃあ!」と色めき立つ。女子ははしゃぐ子とそうでない子が半々といったところか。
小学校3年の6月中旬の月曜日。プール開きとなった今日は、それに相応しく真夏並みの気温と湿度を有する好天に恵まれた。1、2時間目はどの学年も体育の授業は無かったようで、今年は3年生がプール一番乗りとなった。
「それと朝にも言ったが、今年から着替える教室が男女別々になる。男子は1組のままでいいが、女子は2組の教室に移動して着替えること。いいな」
田沢先生の連絡にみんなは「はーい」と返事する。その後、20分間の休み時間となり、クラスメイトの半分以上は晴天の校庭へ飛び出していった。
「隆さん隆さん!さっきのテストの点数見せ合いっこしようぜ!」
「俺も俺も!」
そう言いながら俺の席へやってきたのは、3年生から同じクラスになった江端広輔、峰谷陽太の2人だ。
広輔は転生前も3年生からクラスメイトになり、その後もクラスが別れても互いの家を行き来する仲になった。勉強はそこそこだったが幼少期からテニスを習っており、県大会では上位の常連だった。
陽太はスポーツ万能、成績優秀、なおかつ明るくお茶目な性格を持つクラスの人気者。転生前は、成績優秀であること以外は俺と正反対の彼とそこまで交流を持たなかった。彼も広輔とともにテニスを習っており、2人はダブルスのペアでもある。
ちなみに「隆さん」とは広輔が最初に呼び始めたもので、基本的に3年生から一緒になったクラスメイトが使っている。
「行くぞー!せーのっ!」
陽太の掛け声に合わせて、3人同時に2時間目に返却された算数のテストの点数を開示する。結果は俺と陽太は満点、広輔は80点だった。
「だあ!また負けたあ!」
「隆さん100点以外取ったことあるの?」
「ない」
「嘘だろー!?」
陽太の質問に俺が即答すると、広輔が机に突っ伏しながら嘆きの声を上げる。
「嘘じゃないよ。隆くんは1年生のときからテストはぜーんぶ100点だもん」
声がした方を向くと、結乃が凛とみずきを伴ってこちらへやって来た。
3年生でのクラス替えで、凛とみずきはまた同じクラスになったが、結乃だけが2組になった。だが休み時間になるとこうして毎回1組に遊びに来ており、1組の中では十分顔が知られた存在になった。2組でもテストの返却があったらしく、結乃も答案を持参していた。
「マジかー……」
「3人はテストどうだったんだ?」
陽太が3人に聞くと、結乃はピースサインを添えて100点の答案、凛は95点、みずきは75点の答案を恥ずかしがりながら見せた。
「結乃ちゃんも満点かぁ……」
「結乃は今回も頑張ったな。凛は惜しかったな。計算ミスが1問だけ。でも良く頑張ったよ。みずきはまあ、いつも通りだな」
俺の言葉にみずきは「うぐっ」とうめき声を上げる。
「だって時間が全然足りなかったんだもん。あと10分ぐらいあれば最後まで解けたもん」
確かにみずきの答案をよく見ると、埋まっているところはほぼ正解で、ある問題を境に解答欄がすべて空欄になっていた。
「なるほどな。解いた問題をちゃんと正解できているのは偉いぞ。ちゃんと内容を理解できている証拠だ。計算スピードを上げたいならとにかく量をこなすのがいい。俺が専用のプリントを作るから、1ヶ月それをやってみろ」
「本当!?じゃあね、今度はプリントにネモコとニャンミーとコクミちゃんを印刷してほしい!」
俺が「プリントを作る」と言った瞬間、みずきは目を輝かせて俺に催促する。
昨年パソコンが我が家に来てから、俺は3人の勉強の手助けのためにオリジナルの問題プリントを作るようになった。基本的に、問題は教科書や問題集、学校で配布されたプリントの問題を再録したものだ。だがそれだけでは面白みに欠けたため、ちょっとした思いつきでプリントの端に女子向けのキャラクターを配置したところ、これが3人の心を掴んだ。
特にみずきはこういったキャラクターものに目がなく、家の自室にはお気に入りのキャラクターのぬいぐるみが所狭しと並べられている。普通のプリントはすぐに捨ててしまうが、俺が作成したプリントは全て大切に保管しているという。
「はいよ。でもその代わり、ちゃんとプリントで計算練習するんだぞ。あといつも通り、紙は自分で用意すること。今回は5枚な」
「やったあ!」
「隆くん、私もほしい!」
「私も……」
結乃と凛もプリントを催促する。基本的に俺が作るプリントは凛向けかみずき向けだが、今は誰用に関わらず3人分用意するのがお決まりになっている。ただし消耗品の紙は各自で用意してもらうことにしている。
「じゃあ土曜にまとめて印刷するか。土曜は紙を5枚用意してうちに来てくれ」
「「はーい」」
俺の言葉に結乃とみずきが返事をし、凛は頷いて答える。
「広輔ー!陽太ー!外遊びに行こうぜー!」
「あ、京平」
広輔と陽太を呼びながら近づいてきたのは、2人と同じく3年生から同じクラスになった増岡京平だ。
京平は由伸や圭司と同じく河台スワローズに所属する野球少年だ。勉強嫌いでいたずら好きなお調子者だが、大好きな野球には真摯に打ち込む一面を持つ。チームでは1番ライトのリードオフマンだ。
「お、さっきのテストじゃん。うわっ!なんなんお前ら!いつもいつもこんな高い点数取って!」
京平は俺達の答案を勝手に覗くなり、勝手に気味悪がって悪態をつく。
「そういうお前だって今回は良い点数なんじゃないのか?テストの前に『今回は絶対100点取れる!』って言ってたろ?」
陽太がニヤつきながら京平に言う。そういえばテスト前、そんな風に息巻いていたようないなかったような。
「ふふん。まあちょっとミスって100点は無理だったけど、今までで一番いい点数は取ったぜ?」
ほう、自己ベストは更新したってことか。
「へぇスゴイじゃんか。何点だったんだ?」
「ちょっと待ってろ」
広輔に点数を聞かれた京平は一旦自分の席に戻り、机から自分の答案を引っ張り出して戻ってくる。
「見て驚くなよ?じゃーん!」
「こ、これは……」
自信満々に広げられた答案。その右上に書かれた点数を見て、俺らは一瞬固まった。
「よ、40点……」
「ああ、まあ京平が取ったと考えれば高いか」
「ちょっとミスった」レベルでは取れない点数を見せられ、女子陣は苦笑し、広輔と陽太は気を遣って言葉を濁す。ただ確かに京平の場合、いつもなら良くても20点台が関の山だから今回は健闘した方だろう。
「みんな何話してるのよ?」
「お、彩香!」
そう言って俺の隣の席に座って来たのはクラスメイトの三上彩香。
彩香も広輔たちと同じく、3年生から同じクラスになった。成績優秀で正義感に溢れ、このクラスの学級委員長を務めている。転生前も成績優秀で、高校まで俺と同じ学校に通った。俺の隣の席に座ったのは、ちょうど今の彼女の座席が俺の隣だからだ。
「さっきのテストの話だよ!ほら見ろ見ろ!今回は俺も点数高いだろ?」
先程と同様に京平は意気揚々と自分の答案を掲げる。
「全然高くないわよ。半分以下じゃない」
「ひどっ!?」
俺の予想通り、彩香はストレートに感想を述べ、京平が彩香を非難する。
「今回は頑張ったんだぞ?ちょうどテストの前が休みだったから宿題のプリントをやって、自学ノートでもちゃんと算数やったんだからな!」
「どっちも宿題なんだから必ずやらなきゃいけないでしょ?やって当たり前のことで威張らないでよ」
自学ノートとはいわゆる「自主学習用ノート」のことで、自分でテーマを決めて勉強するためのノートだ。毎日1ページのノルマがあるが、もちろんそれを超えてもいい。
「いつも土日は野球の練習で宿題なんかやってる暇ないんだって!」
「なら野球辞めればいいじゃない。野球より勉強の方が大事なんだから」
「なんだと!?」
「はいはい俺を挟んで喧嘩するのはもう止めにしてくれないか?」
俺の両サイドから口角泡を飛ばし合う2人を制する。適当なところで止めておかないとエスカレートするばかりだからな。
「彩香、確かに京平は普段勉強しないけど、今回は自分の意思でテストに向けて勉強して自己ベストを更新したんだ。彩香からすれば低い点数かもしれないけど、京平の努力は認めてやるべきだろう」
「うっ……」
俺に窘められた彩香はバツが悪そうに視線を逸らす。
「京平も京平だ。彩香の言う通り、本来宿題は必ずやらないといけないもの。野球が大変なのはわかるけど、それを宿題をやらない言い訳にはできないぞ」
本音を言うと、彩香の「勉強がおろそかになるなら、野球を辞めることも考えないといけない」ことには賛成だ。だがこれは京平の保護者やスワローズの監督が言うべきことで、俺らが言うことではない。
「けど大変なものは大変なんだ!ただでさえ眠いのに最近勉強が難しくなってきて全然わからないから余計やる気起きねえし」
彩香とは対照的に、京平は尚もぶうたれる。
「だから勉強がわからないなら教えてやるっていつも言ってるだろう。今日の放課後にでもうちに来いよ」
「ああ、いや、それは……」
と、俺が京平を勉強に誘うと、これまでの威勢が消えてわかりやすく目を泳がせる。そうして少し逡巡したのち、急に目を見開いて「ああ!」と声を上げる。
「そういえば俺用事があったんだ!じゃあなみんな!」
わかりやすいホラを吹いて京平は脱兎のごとく俺らから離れ、自分の机に無造作に答案を突っ込んで教室から出ていった。
「また逃げたな」
「うん、逃げた」
「全く京平は……」
京平が出ていった方向を見ながら広輔と陽太が呟き、彩香は呆れ顔で机に頬杖をつく。
4月に京平が広輔や陽太とともに初めて俺の家に来た際、遊ぶ前の宿題時間で俺にしごかれたのがトラウマになっているらしい。以後、俺が京平を家に誘っても何かしら理由をつけて断わるか、先程のように逃走するのがお決まりになった。
まあ本音を言うとそれを狙っていたし、計画通りではあるんだけども。
「彩香はテスト、どうだったんだ?」
陽太が目線の先を彩香に変えて言う。
「私?最後の問題だけ間違えちゃったのよねぇ」
そう言いながら、彩香は自分の机から答案を出してみんなに見せる。結果は、最後の10点の大問だけ誤答の90点だった。
「あれ?凛ちゃん、彩香に初めて勝ったんじゃね?」
広輔が凛を見ながら思い出したように言う。
「おお!ホントだ!」
「凛ちゃんの方が5点上だよ!」
「やったじゃない凛ちゃん!」
陽太とみずきと結乃がそれぞれの答案を見ながら言う。
「とうとう負けちゃったわねえ。でも凛に負けるのは時間の問題って思ってたわ」
彩香が今日初めて見せた穏やかな笑顔を凛に向けながら言う。当の凛は5人から褒められ、恥ずかしさと嬉しさから顔をより赤くしてお礼を言っている。
1、2年生のときは、凛はほとんどみずき、結乃、俺としか話していなかったが、広輔たちが積極的にコミュニケーションを取ってくれたお陰で、この3人とは打ち解け合うことができた。俺は3人に心の中で感謝しつつ、凛に新たな交友関係ができたことを密かに喜ぶのだった。
「ワーーー!冷てーーー!」
「キャーーー!」
休み時間が開けて3時間目。3年生は今年初のプール授業に臨んでいた。今はプール前のシャワーと消毒槽の真っ最中。日差しが照りつけ熱くなったプールサイドに、子どもたちの叫び声が木霊している。
「ひゃあ!1年ぶりだからか余計に冷たく感じるなぁ」
「隆さんはなんでそんなに平気なの?」
一緒に消毒槽に入った広輔と陽太が体を震わせながら、平然としている俺を見て訊いてくる。
「思い込みの力さ」
「思い込み?」
俺の言葉を広輔が繰り返す。実際のところこれも神様チートのお陰だが、ありのまま言う訳にはいかないので実践的な方法を教えることにする。
「そう。消毒槽は確かに冷たい。でも心の中では『消毒槽は冷たくない』もしくは『今自分は寒くない』と思うんだ。心の中まで『冷たい』と思っていたらいつまでたっても冷たいままだ」
「あ!暑い日に『暑い~』って言うと余計暑く感じるのと同じか!」
俺の説明に陽太がひらめきを得て言う。
「正しくそれだ。思い込みは単純だけどとてつもないパワーを発揮する。まさかと思うかもしれないけど、一度騙されたと思ってやってみろ」
「よーし!俺は今寒くない、俺は今寒くない……」
俺の言葉を受け、広輔と陽太が自分に言い聞かせるように念じながら「自己暗示」を実践する。
「……あ、ホントだ!寒くなくなってきた!」
「俺も!スゲー!」
2人ともしっかり自己暗示が効いたようだ。実際のところ今日は気温が高いから、暗示をかけるまでもなくすぐ体が温まるだろうけど。
「ひぇーつめてえ!さみい!お、お前ら平気なのかよ!」
一際大きな声で叫びながら消毒槽から京平が出てきた。俺たちを見つけるなり、体を震わせながらこちらに近づいてきた。
「『俺は寒くない!』って念じたら平気なったぞ!」
「マジか!?」
「おう!隆さんに教えてもらった」
広輔の言葉に最初笑顔を見せたが、俺が伝授した方法だと陽太が言った瞬間、表情からスンと笑みが消えた。
「そ、そんなんで寒さがなくなるわけないだろ!」
「まあまあ騙されたと思ってやってみろよ」
「……俺は寒くない、俺は寒くない」
俺の言葉をそっくりそのまま借りた広輔に促されて、京平は渋々自己暗示をかける。だが、実際は暗示をかけたふりをしているだけだろう。
「やっぱりさみい!ほらやっぱり効かないじゃないか!隆さんは嘘つきだ!ううさみい!」
案の定、京平は自己暗示が効かないと俺を非難してきた。何なら先程より体を震わせている。口では「寒くない」と言っておきながら、心の中では「チョー寒い」と自己暗示をかけたに違いない。
「お前真面目にやったか?適当にやったら効かないぞ?」
「真面目にやったさ!でも寒いもんは寒いんだって!」
陽太が釘を刺すが、京平はあくまで自分に落ち度はないと言い張る。何としてでも俺を陥れたい意図が見え見えだ。
「そうか、そいつは済まなかったな。けど暗示が効く効かない以前に、その震え方は異常だぞ?」
もちろん俺もただで終わるつもりはない。俺は京平の身を案じた上で田沢先生のもとへ向かい、先生を京平の傍に連れてきた。
「ほら、消毒層から出て時間が経ってるんですけど、結構寒そうにしてるんですよ」
「ホントだなあ。こりゃあ風邪かもなあ」
先生が放った「風邪」というワードに、京平の顔が別の意味で凍りつく。
「先生、今日は念のため休ませた方が」
「そうだな。増岡、今日のプールは休め。一旦保健室へ行って体温を」
「ああ!もう寒くなくなった!先生、俺もう大丈夫だから!」
京平が先生に大慌てで「寒くない」と主張する。
「何言ってるんだ。そんなすぐに寒気が消えるわけないだろう」
半ば呆れた表情で先生は言う。
「ホントだって!ほら俺もう大丈夫だから!全然寒くないから!」
京平は懲りずに元気さを必死にアピールする。実際元気なので京平の主張は間違っていないのだが、思いつく限りのカッコいい、と本人が思っているであろうポーズを取って先生にアピールしている様はなんとも滑稽だ。
「強がってもダメだ。プールに入れないのが嫌なのはわかるが、ここで休んでおかないと悪化する一方だ。ほら行くぞ」
「ええ……」
半ば強引に先生に手を引かれ、俺らから離れる京平。その表情にはわかりやすく後悔と落胆による影が落ちていた。
「隆さん、ちょっとやり過ぎじゃ……」
「何がだい?この暑い中に関わらず、あいつは消毒層から出て十分時間が経っているのに震え続けていた。だから風邪を引いていると判断して先生に引き渡した。俺は当たり前のことをしたまでだぞ?」
「ああ、まあ確かにそうだな...」
広輔が言わんとしていることは理解できるが、俺があえて惚けてみせると陽太が苦笑しながら同意する。
俺は聖人君子ではないし、敵が現れたなら俺が納得するまでは容赦なく叩く。このスタンスを隠すつもりもない。そうすることで俺への妨害の抑止力になり、大切な人を守れるなら願ったり叶ったりだ。
その後、京平はプールに戻ってきたものの、服に着替えてプールサイドの見学者用テントの下で過ごすこととなった。テントに向かうまでの間ずっと視線を感じたが、俺は反応するだけ無駄と無視した。そしてプールの「授業自体」はつつがなく終了した。




