2-4.みずきの家②
「お邪魔しまーす!」
「はーい、どうぞー」
結乃は挨拶を済ませると、朝子さんの後をついて家の中へ進んでいく。その後ろに俺、さらにその後ろには凛が落ち着かない様子で続く。
みずきの家族が武道一家であることは知っていたが、みずきの家は良い意味でそのイメージを崩さないものだった。戦後直後に完成したと思われる2階建ての木造家屋。おそらく、みずきの祖父か曾祖父が建てたのだろう。玄関から中に上がると、板張りの廊下の両側に襖が並んでおり、昔懐かしさを思わせる匂いが鼻腔をくすぐる。
「みずきー。みんな来てくれたわよ」
「みずきちゃん!」
朝子さんが廊下の奥にある襖を開けると、部屋の真ん中に敷かれた布団の中にパジャマ姿のみずき、その脇にみずきの祖母らしき老婦人の姿があった。
「隆くん、結乃ちゃん……」
みずきは目を見開いて俺と結乃を見ながら硬直している。俺たちがここに来ることを予期していなかったかのような反応だ。
「凛ちゃんに……おや?初めて見る顔だね」
「片山隆一くんと村中結乃ちゃんです」
「おお、お2人さんがそうかい。みずきからよく話を聞いてるよ」
「初めまして」
俺たちは布団の傍に腰を下ろし、その向かいのおばあさんに挨拶をする。どうやら俺たちのことはみずきから聞いているらしい。
「みずき、2人ともみずきのお見舞いに行きたいって言ってくれたのよ?」
「具合はどうだ?みずき」
「あ、うん、もう大丈夫だよ……」
「良かったあ!」
俺の質問にみずきは返答するが、まだ心ここにあらずといった様子だ。
「みんな、もし良かったらおやつ食べていって?みずきも食べるでしょ?一緒に居間へいらっしゃい」
「え?あ、うん……」
「ありがとうございます!」
朝子さんに促されてみずきは布団から出て、俺たちと一緒に居間へ向かう。
居間に入ると、部屋の真ん中に大きな円卓が置かれており、その最奥にみずきの祖父らしき老人が座っていた。
「おお!」
そしてその背後の壁にかかっているものに、俺の目は釘付けになった。
「お客さんか?」
「みずきのお友達ですよ」
「おおそうかい。ほらそこ座んなさい」
おじいさんに促されて円卓を囲うように座り、自己紹介兼挨拶をする。
「今から準備するからちょっと待っててね」
そう言うと、朝子さんは居間に隣接している台所に向かった。
「すげぇ……」
しかし俺は自分の意識をずっとおじいさんの背後に向けていた。
「隆一くん、時計が気になるかい?」
おばあさんが俺の様子に気づいて声を掛けてくれた。
「あ、気になると言うか、俺時計がすごく好きなんだ。今までいろんな時計見てきたけど、こんなに大きい時計は初めてだよ」
おじいさんの後ろにあったのは巨大な壁掛け式の柱時計だった。
俺は幼少期から時計が、特に柱時計とからくり時計が好きで、初めて入る家やお店に行くと時計をチェックするのがお決まりだった。
ただ転生前の記憶を辿ってみても、床置き式は別にしても、壁掛け式でこの柱時計の大きさに匹敵するものは見たことがない。ローマ数字が刻まれた文字盤からして、おそらく外国製だろう。小さい振り幅で動く巨大な振り子が、重厚感と高級感を醸し出している。ゼンマイ式で、かなり年代も古そうだ。
「はは、そうだろうそうだろう。俺も65年生きてるが、この時計より大きい時計にはお目にかかったことがない」
おじいさんが嬉しそうに俺を見ながら言う。
「この時計はな、俺の親父がヨーロッパへ行ったときに一目惚れして買ったものなんだ。その頃の親父は結婚したてでな、自分の家を建てるために貯金をしてたんだが、この時計を買って貯金を全部使い果たしちまった。日本に帰ってきたら、貯金は無いわでかい時計がやってくるわで、お袋も呆れ返ったらしくてな」
おじいさんのお父さんが結婚したて、ということはおそらく70年ほど前の代物だ。確かに当時からしても、一般庶民がポンと出せる金額では買えないだろう。
「ええ!じゃあお家はどうしたの?」
「はは、しばらくは実家暮らしさ。そのときにじいさんから大目玉喰らったって言ってたな。『道場に不似合いなものに大金注ぎ込んでどうすんだ』ってな。だがな、あまりにもこの時計が珍しいもんで、隣の村からも子どもたちが道場に集まってきて、みーんなうちで稽古するようになった。道場に貢献できて親父は喜んだが、じいさんは最後まで良い顔しなかったなあ」
結乃の質問におじいさんが答える。なるほどね、この柱時計が客寄せパンダになったわけか。本人は意図してなかっただろうけど、投資の話としても結構面白い。
「けどいざ戦争が始まって金属供出が始まると、じいさんも親父と一緒になって必死でこの時計を隠したんだ。今はもうなくなっちまったが、昔の実家の屋根裏が隠し場所だった。2階が急に慌ただしくなったと思って見に行ったら、親父とじいさんが2人がかりで、この時計を2階の押し入れの天井から屋根裏へ押し込んでるんだもんなあ。ありゃあおったまげたなあ」
「え?道場に飾ったの?おうちじゃなくて?隠したって?」
結乃が混乱したように矢継ぎ早に質問を投げかける。
「ほらおじいさん、喋りすぎだよ。ごめんね、話が難しかったでしょう?」
「ああ、すまんすまん。昔のことになるとついな」
おばあさんに嗜められ、後頭部に手をあてながらおじいさんが謝る。
「結乃の言う通り、最初は道場に飾ったんだよ。この時計が大きすぎて、昔の実家には飾る場所が無かったか、あっても重すぎて掛けられなかったんだ。昔の家は今の家ほど丈夫じゃなかったしね。道場だったら広くて場所もあるし、普通の家よりは頑丈だから」
「そっかあ!でも、隠したっていうのはどういうこと?」
結乃が最初の疑問を解消したところで次の質問をする。
「日本が昔、アメリカと戦争していたのは知ってるか?」
「うん、聞いたことある」
念のための質問だったが杞憂だった。まだこの頃は戦争経験者が多く存命で、話を聞く機会も多かった。
「戦争で戦うには鉄砲とかの武器が必要だろう?鉄砲とかは鉄でできてるんだけど、戦争が始まるとその鉄とかの金属が足りなくなったんだ。だから日本中から金属は何でも集めて、武器の材料にしたんだ」
「何でもって?」
「家にあるものなら鍋とかやかんとか。それ以外だとマンホールとかお寺の鐘とか。鉄道の線路も持っていったって聞いたことがある」
「ええ!?線路がなかったら電車が走れないじゃん!」
結乃が目を見開いて驚く。だが、当時は小学生でも普通におかしいと思うことがまかり通っていたのだ。
「そう、今考えるとバカバカしい話だけどな。で、そんな状況だったから、この時計も武器の材料にされる可能性が高かった。だからこの時計を持っていかれる前に、道場から家に持ち込んで屋根裏に隠したんだ。ってことだよな、おじいさん」
「お前さん大したもんだな!全部合っとる」
「ええ。頭の回転も速いし、物知りだねえ」
俺が確認すると、おじいさんが笑いながら驚き、おばあさんも感嘆する。
「物知りだけじゃないんだよ!力持ちで足も速いし、絵も上手だし、ピアノも弾けるんだよ!」
「すごいねえ、本当になんでもできるんだねえ」
結乃があたかも自分のことのように俺を自慢すると、おばあさんはまた笑みを浮かべて驚く。
「は〜い、お待たせしました。お義父さんとお義母さんはお茶でいいですか?」
「はいはい、ありがとう」
「ありがとうね」
和菓子が詰め込まれた大きな皿と飲み物を持って、朝子さんが台所から戻ってきた。
「和菓子しかないけど、お口に合うかしら?」
「俺、和菓子好きだから大丈夫」
「私このおせんべい好きー!」
「なら良かったわ」
俺と結乃の反応を見て朝子さんが安堵する。
「時計の話をされてたんですか」
「ええ、またおじいさんの長話が始まったけど、隆一くんすごく賢くて、1回聞いただけで全部理解しちゃったのよ?」
「ええ!?あの長話をですか!?」
おばあさんの話を聞いて朝子さんも驚く。
「まだ終わってないぞ?戦争が終わった後の話がまだだ。どうだ、聞きたいか?」
「うん、聞きたい」
「そうかそうか」
俺が返答すると、おじいさんは嬉しそうに頷く。
「屋根裏に隠した甲斐あって、この時計は供出されずに済んだ。戦争が終わってから親父がこの時計を引っ張り出そうとしたんだが、男手がいなくてな。じいさんからも『お前の実力で道場を引っ張っていけ』言われて、しばらくは屋根裏にそのままだった。で、家を建て替えるときにようやくこの時計を出すことができて、今の家になってからはずっとここにある。この家を建てたのが俺が15のときだから、もう50年になるなあ」
「50年……なんか全然想像つかないなぁ……」
結乃が時計を見ながら呟く。小学生の時間感覚では致し方ないだろう。
「はは、今じゃこの時計だけじゃなく、この家もこの辺りじゃ一番の古株になっちまったなあ。お前さんたちも、ここまで古い家には入ったことがないだろ?」
「俺、100年前に建てられた家に入ったことある」
「100年前!?」
「ほお、そりゃ大したもんだなあ」
俺の言葉に結乃とおじいさんが驚嘆する。
「それ本当?隆くん」
「ああ。平森のばあちゃんが生まれた家が辻中にあって、それが築100年を超えてたはず。今はもう誰も住んでないけど、俺が気に入っててもう何度も遊びに連れていってもらってる」
みずきの問いに答えるが、いつになく真剣な表情に見える。
辻中地区は河台地区と平森地区の南に位置している。地区のほとんどが山地であり、野辺山も辻中地区に属している。そこに平森のばあちゃんの生家がある。かつてはばあちゃんのお兄さん夫婦が住んでいたが、2人とも俺が生まれる前に他界しており、家だけが残った。2人に子供はなかったため、今は妹のばあちゃんが管理している。月に1回の頻度でじいちゃんと一緒に家の手入れをしているので、毎回それに便乗して俺も連れて行ってもらっているのだ。
「隆一くんは古いものが好きなのかい?」
「うん。うまくは言えないけど、雰囲気っていうのかな。自分のものじゃないけどどこか馴染みのある感じがする。この家も辻中の家に似てて俺は好きだな」
「あ、なんかそれ私もわかるかも!なんか懐かしい感じがして好き!」
おばあさんの質問に答えると、結乃が俺の言葉に賛同する。
「そうかそうか。そいつは嬉しいねえ。この家を褒められることはもうないと思ってたが、天国の親父も喜ぶわい」
そう言うと、おじいさんは湯呑みのお茶を一気に飲み干した。
「隆一、お前さんのこと気に入ったぞ!どうだ、うちに入門して剣道をやってみないか?」
「ええ!?」
おじいさんが少し身を乗り出して俺に言うと、みずきが驚きの声を上げる。
「ちょっとおじいさん!抜け駆けはなしだよ。うちには弓もあるんだから」
次におばあさんがおじいさんに待ったをかける。なるほど、おじいさんが剣道の師範、おばあさんが弓道の師範なのか。
「おじいちゃん!おばあちゃん!隆くんは習い事をしないって決めてるんだから誘っちゃ駄目だよ!」
俺の意向を予め把握しているみずきが2人を牽制する。
「あら、そうなの?みずきこの間『隆くん、うちの道場に来てほしいなぁ』って言ってたじゃない」
「!そ、それは、その、遊びに来てほしいっていう意味で///」
朝子さんの暴露に赤面しながらみずきが答える。
「遊びに行って良いなら俺はいつでも行くぞ?」
「私も道場見てみたーい!」
俺の返答に結乃も乗っかる。
「それじゃあ今から行くか?今日は稽古が休みだから貸し切りだぞ?ちょっと待ってろ」
「ちょっと、おじいちゃん!」
そう言うやいなや、みずきの静止も聞かずおじいさんが立ち上がって居間から出ていってしまった。
「私も行くよ。おじいさんが余計なことしないか見張っておかないとね」
おばあさんも笑いながら居間を後にするが、目は明らかにおじいさんを牽制している。
「もう、おばあちゃんまで……」
「2人ともごめんね?こうなるとおじいさんもおばあさんも止まらなくて」
朝子さんが結乃と俺に謝る。おそらく、入門希望者が来たときはいつもこんな感じなのだろう。
「ううん、すごく楽しみ!」
「道場ってどこにあるの?」
「この家の裏よ。お庭から回って入れるようになってるの」
遠い場所だとみずきに無理させられないと思っていたが、その心配はなさそうだ。
「みずき、道場に行くなら着替えてからにしなさいね。後で私と一緒に行きましょう」
「は〜い」
朝子さんに促されて、みずきも着替えるために居間を離れる。
「ようし行くぞぉ。ん?みずきはどうした?」
「着替えてから行きますから、隆一くんたちを連れて先に行っててください」
「おお、そうか」
みずきとほぼ入れ替わりでおじいさんが居間に戻ってきた。その手には竹刀が2本握られているが、1本は明らかに子供サイズだ。
「お庭の裏を回っていけば道場だからね」
おじいさんの後ろから声を掛けるおばあさんの手にも、大人用と子供用の弓が1つずつ握られている。
2人の見え見えな思惑に内心苦笑しながら、俺は他のみんなと一緒に家を後にし、道場へ向かうのだった。
その後、金井家の道場で結乃と俺は、自由遊びを隠れ蓑にしたおじいさんとおばあさんの勧誘合戦を受けた。俺は神様チートを使って、剣道、弓道ともに初心者とは思えない腕前を披露し、2人の舌を巻かせた。結果、2人の勧誘合戦はより白熱したが、俺は申し訳ないながらも固辞し続けた。最終的には「せめていざというときの助っ人要員としてでも」と提案を受け、俺はそれに了承した。
みずきはずっと俺の側にいてくれて、おじいさんとおばあさんを制し続けてくれた。病み上がりで無理させてしまったと思い、後でお礼と一緒に謝ったが、逆にみずきから助っ人要員にさせられたことを謝られた。無理に助っ人を引き受けなくてもいいと言ってくれたが、その表情はどこか嬉しそうだった。
「隆くん、結乃ちゃん。また明日ねー!」
みずきは凛と一緒に、片山家の車で帰路につく隆一と結乃を金井家の玄関先から見送った。気がつけば時間は4時を回っており、空はすっかり夕焼けに染まっている。
「……みずきちゃん、ごめんね」
「え?何が?」
車が見なくなったところで凛がみずきに謝ったが、みずきはその理由がわからなかった。
「みずきちゃんに何も言わずに、隆くんと結乃ちゃんを連れてきちゃったから……」
隆一と結乃が金井家を訪れることになってから、凛はずっと気が休まらなかった。あの2人に限ってそんなことはないと思っていたが、万が一、みずきの家を悪く思われたら、悪く思わないまでも気を遣われてしまったら……今のみずきなら、気を遣われれていることにすぐに気づいてしまうし、それだけでもダメージになってしまう。かと言って、2人にみずきの心中を伝えるわけにもいかず、凛は状況を見守ることしかできなかった。
「凛ちゃんは何も悪くないよ。2人を連れてきたのはお母さんだし。謝るのは私の方。凛ちゃん、ずっと私の家のこと黙っててくれたでしょ?おかげで凛ちゃんのおうちにも2人を呼べなかったんだもん。私のせいで、ごめんね」
みずきも、凛が自分に気を遣っていることに気づいていた。内心申し訳ないと思いつつ、自分の家を知られる恐怖が勝ってしまい、凛の気遣いに甘えていたのだ。
「ううん!気にしないで。私も、自分がみずきちゃんだったら、多分同じことしてたと思うから」
「ありがとう、凛ちゃん」
みずきは改めて凛にお礼を言うと、後ろを振り返って我が家を見上げる。
「私ね、あの日からずっとこの家が嫌いだった。なんでうちはこんなに古いんだろう?壁は汚れてるし、畳の部屋ばかりだし、廊下は音が鳴るし。もっときれいな家だったら、みんなにも隠さないで済むのにって。でもね」
『この家も辻中の家に似てて俺は好きだな』
『なんか懐かしい感じがして好き!』
みずきは隆一と結乃の言葉を思い返した。
「隆くんと結乃ちゃんがこの家を好きって言ってくれて、私すごく嬉しかった。もちろん、凛ちゃんが好きって言ってくれたときも嬉しかったけど、初めてうちに来た人がそう言ってくれたのは初めてだったから」
隆一と結乃が自分の家を「好き」と言ったとき、みずきは胸から熱いものがこみ上げ、涙が出そうになっていた。みずきが人生で初めて体験した「嬉し涙」だった。
「私もだよ。私もこの家が好きだから、隆くんも結乃ちゃんも好きになってくれてとても嬉しかった。2人とお友達で本当に良かったって思ったよ」
結乃も2人の言葉を聞き、1日張り詰めていた緊張が一気にほぐれ、心の底から安堵していた。
「私、明日隆くんと結乃ちゃんに今までのことを全部話すよ。2人にちゃんとお礼を言いたいから」
「私もお礼言いたい。みずきちゃんを助けてくれてありがとうって」
「凛ちゃん……」
凛の言葉に、みずきは再び胸からこみあげる熱いものを感じた。
先週、隆一の家で遊んだ際に来週の土曜、すなわち明日も隆一の家に4人が集まる予定を立てていた。明日みずきの体調に問題がなければ、予定通り隆一の家で遊ぶことになっている。今日は祖父母の勧誘合戦などで言葉にするタイミングがなかったため、みずきは明日2人にちゃんとお礼をすると決心していた。
「じゃあそろそろ帰るね。また明日」
「うん。バイバイ」
みずきが隣の家に帰る凛を見送る。その光景は先週の土曜日とほぼ同じだが、唯一の違いは先週より明らかに晴れやかになった笑顔だった。
ガラガラ。ボーン。
玄関の戸を開くと同時に、居間の柱時計が4時半の鐘を打つ。聞き慣れた音に初めて誇らしさを感じて頬を緩ませながら、みずきは居間にいる家族のもとへ戻るのだった。




