02
「着いたわ!」
「ミラ、足元に気をつけて」
そして翌週、フィンはミラに連れられて、鉄道で一駅の隣町にやってきていた。長いスカートで転ばないように、汽車から先に飛び降りたフィンがミラを下から抱えて下す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そこは小さな町だった。
真っ黒い蒸気を吐く汽車に揺られて二人が降り立ったのは、フィンたちが暮らす町よりも何倍も緑が多かった。駅前に並ぶ店店や石を敷き詰めた舗道は、この町のほうがずっと新しいものに見える。汽車の窓から見えた点在する民家は古いのに、街は築浅。
(ちぐはぐな町だ)
恐らくここは、戦火に巻き込まれて再開発された地なんだろう。その証拠に、あえて残された崩れかけの焼けた建物が駅前にあった。
「こっちよ」
降車客と入れ違いに汽車に乗り込む人を避けながら、ミラがフィンの左側に立った。フィンに抱き下ろされたことでしわの寄ったウエストまわりを簡単に整えて、当然のようにフィンの腕を抱く。
「場所を知っているのかい?」
「知らないわ。だけどこっちのほうからパンのにおいがする気がするわ」
「ええっ?」
フィンは目を閉じて鼻をぴくぴく動かすミラに呆れて笑った。
「こんなに埃っぽいのに、よく嗅ぎ分けられるものだよ」
ミラの頬に手の甲を軽く押しつけて目を細めると、発車の合図を鳴らす汽車から急いで離れた。
それにしても大きな川に隔たれているとはいえ、こんな近くに生き別れの姉妹がいるだなんて、よくぞいままで気がつかなかったものだとフィンは感心した。
「生まれてきたのが双子だってわかったお父さまは、産後の肥立ちが悪くて意識が朦朧としているお母さまをごまかして、産婆さんにも大金を渡すことで生まれてきたのは一人だったってことにしたらしいの」
「うん」
しょうもない差別はまだこの国にも残っていて、それは目を凝らすと案外至るところに習慣だとか信仰として染みついてしまっている。双子を禁忌とする風習もその一つだ。嘘みたいだけれど、ほんの少し昔までの教会の教えだ。神が母体に宿す命は一つきり。二つ以上なんてありえない。
「だから二つのうち一つは悪魔の子だなんて、まったく馬鹿げているわ」
「そうだね」
「まったくいつの時代を生きているのかしら」
「戦時中の口減らしのために創作されたものだから、これは比較的新しい思想だよ」
「そんな話をしてるんじゃないのよ」
真面目に返すフィンにミラが目くじらを立てる。
フィンは生まれてこのかた、双子を実際に目にしたことはない。双子の生まれる確率がどれくらいのものなのか皆目見当がつかないけれど、もしかしたらそれは異常なことなのかもしれなかった。現にこうして存在をもみ消された双子が身近に存在した。
「命を奪うことは、さすがにお父さまも思い浮かべもしなかったらしいけれど、外国人の子どもでさらに双子でしょ? そのうえ女児。ものすごい恐怖感に襲われたんだって。お母さま含めわたしたちが恐ろしい目に合うんじゃないかって怯えたらしいの。それで教会に駆け込んだんですって」
「教会に? 余計に危ないんじゃないのかい?」
「お父さま曰く、お金で問題を解決できて、かつトラブルが発生しても対応できそうな場所はそこしか思い浮かばなかったそうよ」
「ああ、なるほど」
(それでも、思い切ったものだな)
フィンは快闊に笑うミラの父親を思い浮かべて、感心した。危険な賭けだ。よく決断したものだと思う。
戦後数十年、フィンたちの世代にとっての教会は、王家と並ぶ力を持つ営利組織でしかない。戦前あるいは戦時中や戦後直後に生まれた世代は信仰心が強い傾向にあるけれど、時勢に合わせてその教えを都度変える教会に、若い世代は冷ややかだ。皮肉なことに思想の多様性を教えたのも教会だから、仕方ない。
「教会から赤ん坊を引き取ったのが、あそこのパン屋さん夫婦ね」
「ははっ。本当に地図もなしに辿り着いた。ミラの鼻はすごいな」
フィンが揶揄うようにミラの頬に手の甲を押しつけると、いたずらな目をしたミラは逆に頬を押しつけてきた。フィンの笑い声を合図にミラは顔を引いた。まるで仲の良い恋人たちのじゃれ合いに、通りかかった老夫婦がにっこり笑みを浮かべるも、二人は気づかない。
ミラの目的地は、駅からほど近い場所にあった。肉屋であろうと服屋であろうと、どこもここも同じ外観(木造三階建てで一階は大きな窓を嵌めた店舗)の建物が並んだ大通り、いくつ目かの横道との交差路に目的のパン屋があった。画一的な街の造りがフィンには興味深い。
「行くわよ」
「ちょっと、ミラ!」
いうなり駆け出すミラの腕をとっさに掴んで、フィンが左右を確認して道を渡らせる。
「急に走ってはいけないと、いつもおばさまからもいわれているだろう?」
「わかってるわ。気が逸っただけよ」
広い通りを渡りきる前から、店内の様子が見えた。大きな窓に沿って低い木の棚が置かれて、その上にパンが陳列されている。繁盛しているようで、棚と客の向こうが覗えない。
「フィン、こっち」
「ミラ、はしたないよ」
通りを渡るや、ミラはフィンから離れて店の窓にへばりついた。フィンは通行の邪魔にならないよう、ミラから半歩後ろに立って、無駄だと知りつつ一応注意をした。ミラは直に窓に手をついてガラスを汚すようなことこそしないものの、背伸びをしてみたりかがんでみたり体を傾けてみたり、覗き行為をやめる気配はない。
不審者そのものの婚約者から頭一つ高い位置で、フィンは店の奥に視線を飛ばした。
ひときわ混み合っている一角が、おそらく会計カウンターだろう。列を作る客の頭の隙間から、時々赤髪が覗く。
「ねえミラ、なんだかとても忙しそうだけれど、お相手とは何時に約束をしているんだい?」
ミラの姉妹を引き取ったのがこの国の人間なら、チラチラ覗くあの人参色の髪の持ち主こそ、ミラの双子の妹になるのだろう。いまだ全容を見ない彼女と同じ色の頭を見下ろして、フィンは胸元から懐中時計を取り出そうとした。
「約束? そんなものしていないわ。驚かせたいじゃない」
窓の向こうから視線を外すことなくミラが答える。
ちょっとそれはさすがにどうかと思うとフィンが苦言を呈する前に、ミラが「きゃあ!」と歓声を上げた。
「あ! どろぼうねこのパンよ! かわいいっ! ねえフィン、買ってきていいでしょ?」
どうやら大通りに面した窓側の棚に、このところミラが夢中になっているキャラクターを模したパンが陳列されていたらしい。
それはちょうど家族連れが店を出たタイミングで、複数人が一気に退店した分店内の見通しが良くなったわずかな一瞬だった。ミラがパンに夢中になっているそのとき、フィンは視線を感じて店の奥へと目を向けた。
客の切れ間、この国では珍しい人参色の髪の女性が、窓の外に張りつくミラを凝視していた。それはほんの数秒で、彼女は遠目でもわかりやすくギョッとするも、また次から次へ会計客がやってきたことで、再び対応に追われてしまった。
短い間だったけれど、フィンにはそれで十分だった。彼女がミラの双子の姉妹だ。髪の色だけじゃない、雰囲気こそ違えどあんなに顔が似ているなんて、血縁者以外ありえない。
ミラは気がつかなかったようだ。フィンを遠慮なく引っ張ると、大通り側に回って、出入口横の猫の顔をしたパンを見て彼の手を揺らしている。
「あとにしたら? 忙しそうだよ」
「だけど、もう残り少ないわ。売り切れちゃうかも」
「……きみは、なにをしにきたんだ?」
店の正面に回ったことで、買い物を終えて店を出てきた客たちがミラを見つける。店内の女性と瓜二つのミラの顔を二度三度まじまじと確認して、店内の少女を振り返る。示し合わせたような客たちの態度に、フィンは小さく苦笑していた。
カランカランと店のベルが鳴る。客の出入りに合わせてひっきりなしに鳴るベルの音も、フィンはそろそろ聞き飽きていた。
(おや……)
けれども、今度出てきたのは、予想外の人物だった。そのため、フィンはミラの肩に手を触れようとして少し体を屈ませた。
店を出るや、大股に歩き、自分たちの横で立ち止まった人物に、フィンは軽く目礼したけれど、仁王立ちした彼女の視線は、膝に手を当てて中腰状態のミラに固定されていた。
「営業の邪魔よ。店の前で立ち話しないで」
店内にはまだ客がいる。出てきて大丈夫なのだろうかと心配するフィンをよそに、同じ顔をした女性二人はあまり友好的ではない初対面を果たしていた。
「あなたに会いに来たのよ」
取り乱すことなく冷静に声を出したミラを見て、フィンはここは黙って見守ることにした。
(いや、いきなりそんなことをいわれても困るだろう……)
ミラと同じ、人参色の髪の毛にはっきりとした形の眉。目や鼻のパーツは瓜二つだというのに、パン屋の彼女のほうが目も顎のラインも吊り上がって、ミラよりもきつい印象を受けた。白い麻のシャツの襟を立てて、その上から長年使っていることがわかる少しくたっとしたエプロンをつけている。ミラと同じく二人分はありそうな量の髪は、頭のてっぺん近くで無造作に一つにくくられて大きなポニーテールになっている。ミラよりも大人びて見えた。
「見ての通り大忙し。客じゃないのならどいてちょうだい」
それだけいうと、ミラと同じ顔をした彼女はもう用は済んだとばかりに背を向けてしまう。突然押しかけられた彼女が困るようであれば助け舟を出すつもりだったけれど、さすが双子というべきか、相手もミラと同じく気が強い。
「あなた誰? って聞かないのね」
軽く追いかけて自分と並んだミラを彼女は鼻で笑い、ドアに手をかけた。そうして並ぶと、ますますそっくりな二人に、フィンだけでなく通りかかった通行人も感嘆の息を漏らした。
「お客さんがつかえているわ。どいてちょうだい」
「あら、わたしも客よ。どろぼうねこのパンをいただくわ」
(うわあ……)
明らかに自分を鬱陶しがっている相手に対して、平素のペースを乱さない婚約者の心臓の強さに、フィンは呆れつつも感心した。
ツンとすまし顔をしたミラは、同じ顔をした彼女を押しのけて店内に入ると、まっすぐに目当てのパンの棚に向かった。店内の客の注目を集めながらも、大女優さながら平然としている。フィンなら脚が震えてしまいそうだ。
その姿を目で追ったのは無意識だったのだろう。あっけにとられる気持ちはよくわかる。呆然と立ち尽くす彼女に、フィンはなんとなく「ごめんね」と謝った。思いっきり眉間にしわを寄せて、「べつに」と返してきた彼女は、大股でカウンター内に戻っていった。
(うん、気が強い……)
口元を引き攣らせたフィンは、知らず胃を擦った。
「注文していい? 早朝に食事したきりなの」
自己紹介よりも先にそういった彼女は、店内の厨房に体を向けて脚を組んだ。フィンのまわりに脚を組むような女性はいない。フィンはたじろぎつつも、え、なにこの子――とちょっと引き気味だ。
彼女からすれば、フィンの婚約者のほうがよっぽど引かれるようなことをしているに違いない。なんと、あのあとミラは強引にランチの約束を取り付けてしまったのだ。
――あんな会計途中に強引に約束させるなんて、忙しい相手に対して脅迫みたいなものだ。
店を出たあと、ミラの強引なやり口に流石のフィンもミラを叱った。品がないとまでいったフィンに、ミラは反発することもなく、「わたしもちょっとやりすぎだと思っているわ」と小声でもにょもにょいっていたので、悪かったとは思っているらしい。
休憩時間になって再会した彼女にミラは、「さっきはお仕事の邪魔をして悪かったわ」と声をかけた。悪かったではなく、きちんと謝罪するように口を挟もうとしたフィンを制したのは当の彼女で、「本当にね」の一言で話を終わらせてしまった。そればかりか、「店はわたしが決めるわよ」と二人を先導して歩きだすものだから、フィンはずいぶん驚いてしまった。ミラは「サバサバ系ね」と意味のわからない感想を呟いていた。
「ええもちろん。わたしもなにか頼むわ。フィンはなににする?」
「そうだね……」
「白身魚のプレートってなにかしら?」
「鱈のフライよ。付け合わせにポテトもつくわ。量が多いからハーフサイズがおすすめね」
与えた印象が悪いはずのミラの呟きにも、間髪入れずにハキハキ答える。椅子の背もたれに肘を乗せて顔半分向けるなんて男みたいだ――とフィンはさらに尻込みしてしまったけれど、雑に受け答えをされた当のミラはまったく気にした様子もなく「じゃあわたしはそれをいただくわ」と姿勢を正した。
「わたしも今日は魚ね」
「じゃあ……」
――ぼくも同じものを、と店員を呼ぶ前に、
「あなたはサンドイッチのプレートにするといいわ」
と彼女が立ち上がった。追いかけるように腰を浮かせかけたフィンにすぐに気がつくと、
「なに? パンが嫌いなの?」
と眉をひそめる。
「いや。サンドイッチを買うのであれば、ここではなくきみのところでと思っただけだよ」
「紳士なのね。かまわないわ。この店の名物はフィッシュフライと、具だくさんのサンドイッチ、この二皿なの。まあ、そもそもランチはこの二つしかメニューにないんだけれどね。おいしいわよ。ボリュームたっぷりのミートボールとサラダに驚くと思うわ」
いうや厨房を兼ねたカウンターにさっさと歩いて行ってしまった。そこで料理人と言葉を交わしている。どうやら彼女はここの常連らしい。
「なんというか、すごい子だね」
「うふふ。フィンが困ってる」
周りにいない押しの強い女性にタジタジになっているフィンの様子がおかしいのか、ミラは楽し気に笑った。
やがてテラスに戻ってきた彼女の手には、水滴がたくさんついた水差しと、重ねたコップが三つあった。慣れた手つきで水を注ぐと、フィンたちに渡してくれた。
「ありがとう」
「いいえ。それで? あたしになんの用?」
隣町と違って高い建物に囲まれていないテラスには、昼を過ぎてちょっと黄味がかった太陽の光がしっかりあたる。大きめの傘の下で影に隠れるように背筋を伸ばして座るフィンとミラに対して、彼女は日焼けなどこれっぽっちも気にしないのか、椅子を机から離してゆったりと腰かけている。脚はやっぱり組んだまま。店を出るときに外したエプロンの下は、シャツと、ミラと同じように膨らんだくるぶし丈のスカートだった。この国の女性はみんな、生地をたっぷり使ったワンピースを着ているので、シャツ姿は珍しい。
「わたしはミラ。彼はフィンよ。あなたに会いに来たの」
「そう。わたしはユリアよ。ご覧の通りパン屋で働いているわ」
「ユリア、ユリアっていうのね」
ミラは感激したように両手を合わせた。生き別れの姉妹に会えたことがうれしくて堪らないように見えるけれど、ミラの感情表現が大げさなのは珍しくない。今日はいつもに増して演技がかっている。
一方、ユリアは必要以上に表情を動かさなかった。彼女は、フィンたち二人を歓迎しているようにも疎んじているようにも見えない。ただ淡々とミラに応じていた。
(見た目がきれいな分、ちょっと冷たく感じるな)
ミラほどではないにせよ、フィンもユリアを観察していた。ミラとそっくりな顔をした彼女の存在が不思議でしかたない。
「ねえ、なによ、あなた! とか、どうしてあたしと同じ顔してるの! とかいわないの?」
「大げさに騒ぐのは好きじゃないの」
「――もしかして、驚かないの?」
信じられないとばかりに身を乗り出したミラに、ユリアはわざとらしく肩をすくめた。それはもう、大げさに。
「だって知っていたもの」
「ええっ!?」
驚いて欲しがっていた本人が一番驚愕していて、観客に徹していたフィンは思わずクスクスと肩を震わせた。
「知ってたってなんで!? それじゃあわたしがあなたと血がつながっていて、双子の姉だってことも!?」
「座ってちょうだい、あなた目立っているから」
「目立っているのはミラのせいだけじゃないよ。きみたち、本当にそっくりだからね、みんなが見ていく」
「見世物じゃないわ」
フィンの差し出口にユリアは気分を害したようだった。
「それにあなたのほうが姉だっていうのは初耳だわ」
言外に『逆じゃないのか』と含みを持たせて、ユリアはちょうど席までやってきた店員から慣れた手つきでプレートを受け取った。二つのプレートをミラと自分の前にそれぞれ置く。ハーフサイズを注文していたはずなのに、もうそれだけで丸いテーブルはいっぱいだ。間を置かずに、同じ店員がフィンの前にもプレートを置いた。
「悪いけど食べながら話をしてちょうだい。あたしは店に戻るから先に出るけど、あなたたちはゆっくりしていけばいいわ」
ユリアのフォークはすでにフライに刺さっている。ナイフも使わずに、パクパクと食べ物を口に運ぶのを見て、瞬きの回数が急増したフィンとは反対に、ミラはキョトンとしている。豪快な食事風景に興奮も落ち着いた……どころかすっかり醒めてしまったらしい。
「あんまりジロジロ見ないでくれない? 行儀の悪い人たちね」
「ええ、ごめんなさい」
「ミラ、ぼくたちもいただこう。とてもおいしそうだよ」
どこかぼんやりしたミラを促して、フィンも食事を始めた。朝から汽車に乗ったり、その前にミラを迎えに行ったり、朝食はもう何時間も前だ。フィンは空腹を感じていたし、それはミラも同じはずだけれど、残念ながら食事に集中はさせてもらえないらしい。
「あなたはどうしてわたしの存在を知ったの? いまさらなにか噂にでもなった?」
「え、えっと。――いいえ、そうじゃないの」
ナイフで半分にしたポテトを口に入れた直後に話しかけられて、ミラは慌てて口の中のものを飲み込んだ。食後ならともかく、食事中にこんなふうに話しかけられて、返事を求められるなんてないことだ。戸惑ながらカトラリーから手を離し、ハンカチで口を覆って答える。
「お父さまに聞いたの」
「ふーん」
質問しておいてさほど興味がないのか、ユリアはポテトを二本同時にフォークで突き刺す。やはりナイフは使わない。一口で口に放り込み、頬をモゴモゴ動かしている。ミラもハンカチを膝の上に置き、食事を再開させようと両手にカトラリーを握った。
「病気かなにか?」
「え? ――えっと、お父さまが? 違うわよ。どうして?」
胸の高さまで持ち上げていた白身フライをプレートに戻して、ミラはまたハンカチで口元を隠した。
「家族に秘密を打ち明けるのって、だいたいが死ぬ前でしょう。ほら、いい旦那を装っていた男が実は若いときに不貞を働いていて、隠し子がどこそこにいる~なんてぶっちゃけ話から始まる遺産相続の泥沼なんて、よく聞く話じゃない」
「聞かないわよ、そんな話。――ちょっとフィン、なに噎せているの? あたしは絶対にそんなの許しませんからね。そんなことするなら、ちゃんと離縁してちょうだい。亡霊になっても恨みつくしてやるから」
「ゴホッゴホッ……なんでぼくの話になるんだ」
斜め前から送られる凍えるような視線に、フィンは慌てて否定した。右斜め前からも同じ顔で非難の視線を送られたから堪らない。
「ちがうよ、ミラも先週不貞がどうのっていっていただろう。二週続けて、同じような話を、よりによってきみたち二人がするものだから、びっくりしただけだよ」
「それならいいけど」
「なによ、聞かないなんていいながらとんでもないわ」
「わたしが聞かないっていったのは、どこかの誰かの不貞の話よ。わたしが先週フィンに話したのは、お父さまに不貞を働いてできた異母姉妹がいないかしらってだけよ」
「変わらないじゃない」
「変わるわ。わたしね、わたしそっくりな姉妹が欲しかったの。それもとびきりね。そうしたら、わたしとその子とときどき入れ替わったりなんかして遊べるでしょう」
「はあ?」
「でも実際は一人っ子。親戚に女の子はいるけれど、あんまりわたしとは似てないわね。だからね、考えたのよ。お父さまがお母さまの妊娠中に浮気していれば、わたしと数か月違いで生まれた子がいるかもしれない。数か月違いなら、たとえ血が半分でもわたしたち似ているかもしれない」
「最低ね」
まったくだ、とフィンも頷く。
「だから聞いたの。『お父さま、よそにお子はいたりしない?』って。お母さまには内緒にするから教えてくださいってお願いしたの」
「最低ね」
フィンの頭もゆっくり深く下に動く。
「そうしたらお父さま真っ青になっちゃって、あなたの存在を教えてくれたのよ」
「とんでもない娘ね」
フィンは三度頷いた。本当にとんでもない。
「そうかしら? でも聞いてみてよかったわ。あなたに会えたもの」
あっけらかんと答えたミラをどう思ったのか、ユリアはまた大げさに肩をすくめた。そして意外にも、今度は自分の番だというように、語り始めた。
「わたしは、学校で見かけたの」
「え、知らないわ」
「そうでしょうね。あなたを見かけて、すぐにやめたから」
「そんな……」
ユリアのほうは、なんと子どものころにミラを見つけていたらしい。騒ぎになる前に退学したと話すユリアを見て、ミラが青褪めた。
「安心して。あなたに恨み言をいうつもりはないわ。教会で学ばせてもらえたしね」
「でも協会はお高いでしょう」
「そりゃあね。でもそこは、大人同士の話し合いね。あなたの父親が出しているから、安心してくれていいわ」
ミラの戸惑いはユリアにどう映ったのか、
「いちいち食事の手を止めなくていいから。そんなわけで、わたしはあなたを知っていたわ」
ミラと同じ顔で、彼女とはまったく違う食事マナーを披露するユリアは、呆れたようにいい放った。
フィンは眼球だけを動かして、二人の表情を窺った。淡々とした表情のユリアと、若干顔色の悪いミラ。二人とも視線を下げてそれぞれの食事プレートを見下ろしている。カチャカチャとカトラリーの音が響く。
以降は、会話が弾むこともなく、ユリアはさっさと食事を終わらせた。
「じゃあ、わたしは仕事に戻るわ。くれぐれも、もう店には来ないでちょうだい」
立ちながら釘を刺すユリアに、ミラも大人しく頷いた。自分がいたことでユリアが学校を退学していたことが響いたらしい。フィンはそんなミラを気にしつつも、もう一つどうしても気になることを口にした。
「ユリア、今日ぼくたちがきみを訪ねたことで、きみが不利益を被ることはないだろうか」
その言葉に弾かれたように顔を上げたのはミラだった。今更ながらに、ユリアが双子だと知られる問題に気がついたらしい。そんな婚約者の考えの足りなさに苦いものを感じながらも、フィンはユリアからの返答を大まかに予想していた。もしこれが問題になるようであれば、ユリアは絶対にここで一緒に食事なんてとらなかったはずだ。フィンたちがパン屋に現れた時点で、どうとしてでも目立たぬように追い払っただろう。
「いまさら聞くことじゃないわね」
「あの、わたし、ごめんなさい……!」
「本当。考えなしのお馬鹿さんね」
今度こそ真っ青な顔になったミラに、心から呆れたとばかりの大きなため息を吐いて、ユリアはテーブルの上にコインを置いた。
「あ、ここは」
「そうね、ここはオネエサマにお支払いいただくわ」
フィンの言葉を遮ったユリアは、あっさりとコインを財布に仕舞うと片手でスカートの皺をはらった。
「迫害はされないわ。ここは過疎地だから。双子は神様からのギフトよ」
皮肉気に笑ったユリアは、振り返ることもなく雑踏に紛れた。残されたミラは、ユリアの姿が見えなくなるまで、ずっと後姿を目で追いかけていた。
(あっさりしているな)
礼を失しているのはこちらだから、歓迎されないのは仕方ない。それにしても、クールな子だなあとフィンはミラに視線を戻した。
「うん、おいしい。ミラ、これ食べてみて」
先に食事を再開させたフィンはようやく食事に集中できそうだと、濃い味付けのミートボールを口に入れた。大き目のそれを半分に切って、ミラのプレートの上に載せてやる。フィンの両親から行儀が悪いと見咎められるお裾分けは、二人のときだけの特別だ。食いしん坊のミラのせいで身についてしまった子どものころからのやり取りだから、大目に見てほしい。
「……どうして過疎地だとギフトなの?」
「税金が必要なんだろうね」
「ああ、頭数……」
ミラがミートボールを頬張って眉間にしわを作る。頬がもごもごしたあと、フィンのプレートが狙われる。ミートボールを気に入ったらしい。
「もう一つだけだよ」
「ケチね。じゃあわたしも一つだけあげるわ」
場所によって命を左右するお教えを変える。非常に『柔軟』な教会の方針と、どうも計算が合わないお裾分けに、フィンは思わず唸っていた。