よんぶんのに
よんぶんのに
「小さいんだよ! 残念すぎるだろ!?」
「おまっ、ちょっ、声がでかい!」
「でかいんじゃない、小さ――むぐっ」
隣に座る卓の手が伸びてきて僕の口を塞いだ。む、コイツの手、大きいな。どうやってこんな急成長を……って、僕が小さくなっただけだった。
目尻の吊り上がった卓の顔が近づいてくる。やたら動揺しているようだが、どうしたというのだろう。
「お前、ここがどこだか分かってるか?」
喋れないので頷く。食堂だ。私立ということで公立校と比べると多少割高だが、その分味は上々で、二階にある飲食スペースから望む中庭の景色はそこらのレストランより良いんじゃないかと評判な水葉高校の食堂棟だ。
弁当持参組ではない僕は、一年の頃から同じクラスで、席が近かったという単純な理由で仲良くなった有富卓とここで昼食を取るのが日課となっていた。それは女になった今でも変わらない。姿形がどうだろうが、中身は男の頃となんら変わっていないのだから、当たり前と言えば当たり前か。それに、女になってまだ二週間ちょっとだし。
「めっちゃ周りに人いんのに、おっぱいおっぱい連呼するな。いいな?」
有無を言わせぬ迫力。再び頷くと卓はため息を吐きつつ手を離した。僕は口を尖らせる。
「まったくなんだよ。おっぱ――ごほん。コレについてはこの間も熱く語り合ったばかりじゃないか」
「お前が一方的に語ってただけだろ」
「もしかして、今更恥ずかしくなったってのか?」
「人の話を聞け」
ニヤリと笑って指を差す。パシリとはたき落とされた。
「あの時のことは関係ねえよ。そうじゃなくて、この前と今じゃ状況が違うだろ」
「状況って、どちらかと言えば前の方がきつかったと思うけど? たしか図書室だったろ。静かな部屋に響き渡るおっぱい談議。冷たく突き刺さる女子の視線にもめげずに、二人で品定めしてたじゃないか」
「だ、だからアレはお前が勝手にやってただけだろ!?」
「結構ノリノリだったくせにぃ」
グフフと笑いながら卓の脇腹を突っついたら、またはたき落とされた。
「いいか」と、卓が僕の肩を掴む。
「今のお前は女。俺は男。ここまでは分かるよな?」
「ん? おぉ、そうだった。僕は女だった」
ガクッと卓が肩を落とした。そう落ち込まれても、二週間前までは男だったのだから、はい今から女! と言われてもはいそうですかと自覚することは難しい。実際何度トイレを間違えたことか……。
「とにかく、今のお前は女なんだよ」
「まあ、そうなるな」
「それで、ここは人でごった返す昼の食堂。男同士ならともかく、俺が女子と胸がどうとかの下ネタ会話はさすがにダメだろ?」
「なんで?」
意味が分からず首を傾げる。卓はサッと視線を逸らした。
「なんでって……そりゃ男同士ならただの健全なエロトークだが、相手が女となると……な?」
「な? と言われましても」
エロトークが健全とはこれ如何に。
「とにかく俺が恥ずかしいんだよ! 分かったか!?」
「お、おう」
剣幕に押されて頷いてしまった。しかしまあ、卓の気持ちも分からんでもないので、渋々ここは従っておこう。
「まったく……見た目は全然変わったってのに、中身はそのまんまなんだな」
卓の視線が僕に向けられたまま上下する。
「ふふん。可愛いだろ」
「ま、まあな」
視線をそらし、同意する。しかし反応はいまいち。一体何が悪いのか。うーむ……はっ。
「卓、パンツ見たいのか?」
「ぶはっ!?」
卓が飲んでいたお茶をテレビで見るコントのように吹き出した。前がガラスで良かったな。人がいたら今頃襟元を掴まれているところだ。
「どっ、どどどうしてそうなるんだよ!?」
一瞬にして卓の顔が赤くなった。
「男なら見たいだろ? 僕はもう自給自足できるからそうでもないけど」
「一応女なんだから自給自足とか言うな!」
「あ、悪い。自給自足とは言ったけど、実はそんなに性的な意味で自分のことは見てないんだよ。何故か全裸よりも服の方に興味がいっちゃってさ。なあ、卓知ってるか? 女の服って男の服と結構構造が違うんだぞ。ボタンが逆なんだよ」
「そ、そんなこと知らねーよ。うちは上も下も男で女なんて母さんぐらいしかいないし」
「ほーう。女日照りな環境、と」
「どうしてそうなるんだよ」
「だというのにパンツには興味なしってことは……はっ。やっぱりおっぱいか! そうだよな。どこに興味があるかと言われたらそりゃおっぱいだよな! あんな布きれ一枚より、夢希望詰まったおっぱいだよな!」
「だからおっぱいおっぱい連呼すんなって言ってるだろ!」
あー、そんなに叫んだら……ほら、みんなこっちというか卓を見てるじゃないか。恥ずかしいとか言ってたヤツが注目されてどうするんだっての。
しかし、照れ隠しで僕以上に叫んで……なるほど。やっぱりおっぱいはもっとも重要な部位だよな。
◇◆◇◆
「と、いうように、おっぱいはとても重要であるということを再認識したわけなんだよ」
「どこが『というように』なのか説明して欲しいんだけど……」
机に片肘をついた玖村小夜子が半眼で僕を見つめる。
「つまり、男はおっぱいしか見てないってことだよ」
「……ねぇ、奈月って本当に元男よね?」
訝しげに眉をしかめる。何を今更。
昼休みを終えて教室に戻ると、小夜子を中心とする女子グループが輪になって話に花を咲かせていたので、僕も混ぜて貰った。男と話すのも楽しいが、女子と話すのも結構楽しかったりするのだ。特にファッションやら化粧やらアレやコレやの女にしか分からないことは同性に聞くのが手っ取り早く、そういった知識はこうして話に加わることで得ていた。二年三組の女子のリーダー的存在である小夜子がオープンな性格で良かった。そうでなければ僕みたいなヤツが女子に受け入れられることはなかっただろう。
「そうだって言ったろ? なんなら証拠を見せ……るにしても完全に今は女だからなぁ。アルバムでも持ってこようか?」
「いえ、いいのよ。ただ言葉にして確認したかっただけだから」
苦笑交じりの表情で小夜子伸ばした手を僕の頭に乗せた。
「ふむ、なるほど。あまりにも僕が可愛くて信じられないってことか」
顎に手を当てキリッとドヤ顔。小夜子はクスッと笑って「そういうことにしとくわ」と頭を撫でた。手つきが柔らかくて気持ちが良い。
「たしかに可愛いよね~」
「ふぎゅっ」
突然背後からのしかかるように抱き締められて変な声が漏れた。犯人は声からして静か?
「髪は綺麗だし肌はつやつや。お目々は二重でぱっちり。あーん。静、こんな妹ほしかったな~」
羽仁静が頬をすり寄せながら言う。充分に静も柔らかもち肌だと思うけど、そんなクラスでも一、二を争う人気者の子からさえも羨ましがられるとは、僕の可愛らしさは天井知らずらしい。奈月、恐ろしい子っ。
「これで胸がもう少し大きかったらね~」
「うぐっ」
胸を抉られるとはこういうことを言うのだろうか。靜の言葉が杭のように胸に突き刺さった。
「靜」
「あ、ごめんね奈月ちゃん」
靜が僕から離れる。と思いきや、今度は頭を胸に抱き寄せられた。靜は素晴らしいおっぱいをお持ちの女子だ。噂ではEだとかFだとか。そんな彼女に頭を抱き寄せられたのだ。当然僕の顔は彼女の深い谷に収まることとなった。
素晴らしい大きさと弾力。男であったならば昇天していたであろう状況。しかし今の僕は女の子であり、さらには傷心真っ最中。
「ぐふっ……」
「追い打ちを掛けてどうするのよ……」
「へっ? ……あっ」
開放された僕が復帰するのには、少々時間を要した。
僕は机に病院で受けた健康診断の結果を広げた。女子的には隠したいらしい身長体重胸腰尻などのデータが数値となって並んでいる。それを見た小夜子が「羨ましい」と地を這うような怨念染みた声で呟いていたが、まあ些細なことだ。
「おっぱい教でありおっぱい狂であるこの僕のおっぱいが小さいだなんてことは決して許されないことだと思うんだよ」
アルファベットの最初の一文字が書かれた診断表を指差して断言する。
「まあ、そうね」
診断表と僕を往復して小夜子が頷く。
「えぇ~。奈月ちゃんはこの小さな胸だからこそ可愛いんだと思うけど」
靜が人差し指で僕の胸をつつこうとする。そうはさせまいと体を捻って防ぐ。
「それは自分が『持ってる人』だから言えるんだよ。『胸が大きいと肩が凝るし下が見えないし、良いことないわよ』とか持ってる人が言っても、僕みたいな乳のない人からしたらただの嫌味にしか聞こえないんだよ!」
「そ、そんなことないよ。本当に肩が凝るし……。ねっ、小夜子ちゃん?」
「奈月の言う通りね」
「小夜子ちゃん!?」
小夜子も僕ほどではないにしろ、ないかあるかと言われたらないに属する人だ。僕の気持ちが分かるはず。
「で、そんなにおっぱいおっぱい連呼して、奈月はどうしたいの?」
……うーん。小夜子がおっぱいって言うと、ちょっとエロい感じに。お、これがさっきの卓の感覚なのかな。
「おっぱいを大きくしたいんだよ」
「そんなことだろうと思った」
胸を張って答えたら、案の定と言いたげな顔をされた。
「せっかく完璧に近い美少女になったのにさ」
「よくそこまで自分を持ち上げられるわね」
小夜子のツッコミはスルー。
「おっぱいが小さいせいで魅力が半減してるんだよ。もったいないだろ?」
「半減は言い過ぎじゃない?」
「いやいやいや。そんなもんだって。言い換えればそれだけおっぱいが重要だってことだよ」
「あなたの中でどんだけおっぱいは偉大なのよ」
「テレビのリモコンぐらい」
「……それは凄いの? 凄くないの?」
もちろん凄い。その場から動かずにチャンネルが変えられるんだ。文明の利器。充分偉大だと思う。
「まあいいわ。胸を大きくしたいのよね」
「おっぱいだ」
「言い方はどうでもいいのよ」
胸よりおっぱいと言った方が大きい感じがする。ない者としては結構重要だ。
「はいこれ」
小夜子が鞄の中から一冊の雑誌を取り出した。堕天使モンシロチョウ? ファッション雑誌のようだった。
「前半の方は飛ばして。間違ってもそのファッションを真似しちゃだめよ」
「じゃあなんでこれ買ったんだよ……」
ペラペラと捲りながら言う。化粧の濃いモデルが都会の夜の繁華街で練り歩いている妙齢の女性のような格好をしている。お世辞にも小夜子には似合いそうにない。似合うとすれば……このクラスだと靜くらいか?
「前半はどうでもいいのよ。大事なのは後半。そっち目的で買ったの」
後半……むっ。
ページを捲る手が止まる。後半には大きくページを取った特集が組まれていた。
その特集とは、
『これであなたも大きくなる!? 胸を大きくするあの手この手!』
「ふおおおおっ」
雑誌を小脇に抱え、バシバシと小夜子の肩を叩く。
「え、ちょっと奈月、なに興奮して……いたっ、いたいって!」
「小夜子、ありがとう! やっぱり持つべき者はおっぱいの小さな友人だよな!」
「あんたそれ喧嘩売ってる!?」
良いモノを手に入れた。さっそく家に帰ったら試してみよう!