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7、終焉

 慎理は、準備があるのだと言って雅子から巫女装束を譲り受け着替えた。そして神経を研ぎ澄ます為、慎理は十メートル四方の結界で瞑想を始める。


 慎理の結界を術士たちが囲んで護衛する。幸いにも礎石の化身である大蛇は紫錠家と社家の術士と交戦していてこちらに気付いていない。


 ふと、結界を守る雅子が隣に立つ義旺に声をかけた。


「ここであなたと慎理が居るのを見て驚いたわ。まだ親交があったのね」

「どういうことですか?」


 訝しむ義旺に、雅子は呆れた目で義旺を見やる。


「気付いていなかったのですか?慎理はあなたが婚姻の日に放り出した元婚約者ですよ」


 義旺は驚き目を見開いた。雅子は彼女の過去を語る。


「あなたが婚姻を放り出したことで、嵩薙家は娘の嫁ぎ先を探すことになりました。そこに紫錠家が名乗り出た。その時の名義は金剛でしたが、今思えば全て実睦の策略だったのですね。そして拒否した嵩薙家は慎理を除いて滅ぼされた。あたくしは、天涯孤独になった慎理を引き取ることにしました。あの子さえ望めば藤郷の養女にしてずっと居てくれてもいいと思っていた。なのに実睦からの縁談をあの子が承諾してしまった。あたくしも実睦の口車に乗せられ、ついあの子を送り出してしまった。ただ幸せになって欲しかっただけなのに。今はあの決断をとても後悔しています」

「でも結局紫錠家に行くことや生贄になることを選んだのは慎理だ」

「あなたとの婚姻を放り出したのはあの子が選んだことではないわ」


 チクリと嫌味を言われた。だが、義旺にも婚姻を放り出したのには理由があった。


「でも俺は家のしきたりなんてまっぴらごめんだった。俺は十八歳になったばかりで、相手はまだ十五歳。選ぶ権利も無いままに、顔も名前も知らぬ相手と家の都合で無理やり結婚させられ、後継を強いられる。きっとこのままじゃ誰も幸せにならない。誰かが打ち破る必要があった。……確かに逃げたのは俺の都合だ。だがあの時結婚していたとて慎理は幸せになりませんでしたよ」

「……。確かに、今更どうこう言っても詮無きことよね……。慎理の代わりに実睦を殺してくれたことには礼を言います。あの子に無駄な罪を背負わせたくありませんから」


 それから義旺と雅子は喋らなかった。もう過去はどうにもならないのだ。






 慎理の精神統一が終わり、結界が解かれる。義旺は慎理に近付いた。


「どうだ」

「良い調子よ」


 そう言って微笑んだ。


「お前、()()()の花嫁だったんだな」


 慎理は表情を変えずに「ええ」と答える。この女は最初から知っていたのだ。でも言わなかった。


「俺はあの日のことを後悔していない。でもお前は俺を恨んだか?」

「まさか。私は『自由に飛び立っていったあなた』に憧れたの。何も恨んじゃいないわ」


 義旺は驚いた。前に話していた『憧れ』が自分のことだとは思わなかった。


 ふと慎理は袖からあるものを取り出した。


「これ、使わせて貰うわね」

「それは」


 直径五センチほどで、中に龍の紋様が入った水晶。義旺には見覚えがあった。


「婚姻の儀の日、あなたが私に渡していったものよ」


 あの日はしんしんと雪が降り積り、凍えるほど寒い日だった。渡り廊下を歩き、離れに向かう。義旺は結婚するまで会ってはならない結婚相手に会いに行った。部屋の戸を開けると、白無垢で綿帽子をかぶり、静かに佇む少女が居た。


 顔は見えなかったが、今日ここを去ることを決めていた義旺には興味が無かった。


『悪いが俺はここを去る。結婚はしない』

『……』


 少女は驚くでも喜ぶでもなく、黙って聞いていた。


『俺を恨むなら恨め。しきたりなんてまっぴらごめんだ。短命でもなんでも、俺は死ぬまで自由に生きる』


 その時初めて少女は微かに顔を上げた。その目がどんな感情を映し出しているのか見えなかったが、義旺は少女にある玉を渡した。


餞別せんべつだ』

『これは迅宮家の家宝では?』


 意外にもしっかりとした声で驚いた。彼女は結婚に怯えたり緊張していたのではない。腹をくくってここに居たのだと分かる。


『俺にはもう必要ない。お前も家なんてものに縛られずに生きろ』


 それだけ言い残して義旺は家を去った。何もかもを捨てて、自分でどこまで行けるか試したかった。


 今思えば身勝手でわがままな幼子のようだと後悔していた。


 だが、慎理の顔は晴れ晴れとしていた。


「私はあなたの言うように自分の家を捨てられなかった。でもあの日、寒空の下飛び出していったあなたを思い出すだけで、自分にもいつかああいうことができるかもしれないと希望を抱けたの」


 義旺は目を見張る。


「俺は……」


 言葉が出なかった。あの行動で感謝されると思っていなかったからだ。


 そして慎理は意外なことを告げる。


「あなたが居なくなったことを、迅宮家の人達は皆謝ってくれたわ。でも本当は喜んでいたのも知ってるの」

「喜んでいた?」

「あなたのお母様の千鶴さんに聞いたの」


 義旺の母親である千鶴は深々と慎理に頭を下げて謝罪した。


『不快な思いをさせてしまい、申し開きのしようもございません。でもどうか恨むのなら私を恨んで下さい。あの子を行かせてあげて下さい。身勝手なのは重々承知です。でも短命であるのにそれに臆せず、家を飛び出したあの子は迅宮家の光なのです。どうか、あの子を許してあげて下さい……』


 義旺の頬に一筋の涙が流れる。


 まさか母がそんなふうに言ってくれていたとは思わなかった。


 妹の心臓を父に奪われ息子に移植し、そして息子は家を飛び出した。こんなに親不孝な子供を庇ってくれていたなんて思いもしなかった。


「私も同じ気持ちだった。あなたの輝きを守りたかった。だからそう言った千鶴さんも、あなたのことも、何も恨んでいないわ」


 義旺は指で自分の涙を拭った。


「だが俺が逃げ出したせいでお前の家は滅ぼされた。その罪は償う」

「罪だなんて思っていないわ。あなたと結婚したていたとてそうなっていたわ。だって実睦は、私を愛していたんじゃない。私に怯えていたのよ。私の霊力の高さだと、礎石の因縁を終わらせられる可能性を秘めていた。それを阻止する為に嫁にしたのよ。逆に自分の掌中に収まってしまえば私を可愛がれるなんて馬鹿な男よね」


 あっけらかんと言ってみせる。慎理は強い心を持っていた。いや強くなったのかもしれない。色々な困難を一人で乗り越え、そうならざるを得なかった。そうさせたのは義旺にも責任の一端がある。


「慎理、『礎石の浄化』なんて本当にできるのか?」


 彼女が今から、六百年間宣旨五家にすら出来なかった偉業を成し遂げようとしている。


「できるできないじゃない、やるのよ。私にもとうとう、あの時のあなたのように自由になる日が来たのよ。それに我ら嵩薙家は代々ただ死んできたんじゃない、ずっと戦っていたの。そしてその因縁を私の代でケリをつけるの」


 不意に爆発音が響いた。


「もう紫錠家も社家も限界だわ。雅子さん!」

「いいわ!それに丁度お神酒も届きましたしね」


 酒樽を担いできたのは仙区家当主の次郎だった。その手にはさかきも持っている。雅子に叩き起されて来たのかまだ眠そうだった。


「ったくよぉ、夜中に呼び出されたと思ったら酒を差し出せなんて」

「あなたの家の酒はこういう時のために使うものでしょう。非常時なんですさっさとお出し!」


 こうして『祓え』の儀式の準備が整った。


 慎理は腕に数珠を巻き、水晶を握りしめる。霊力を腕に集め、口上を述べる。


「この地を統べる八百万の神よ、我嵩薙の子よりかしこみかしこみ申し上げる」


 溢れる清い気配に皆が固唾を飲んで見守る。


 だがそのあまりにも尋常ではない霊力の流れに義旺は目を疑った。


「これは」


 慎理の周りには霊力の流れがいくつもあって、一筋の縄のように、やがてそれは龍の形をなしていく。


「嵩薙は本来浄化の性質を持った家系。慎理の母や嵩薙の一族は今までただ生贄になってきたんじゃないの。ずっとあの礎石を祓おうとしていたのよ」


 それが慎理のいう『因縁』だった。そして彼女はとうとう自分の代で因縁を断ち切り、未来へ歩もうとしているのだ。


 やがて慎理は大蛇を真っ直ぐに見据える。


「祓われよっ!」


 そう叫ぶと龍の霊力を放った。龍は蛇に食らいつく。しかし蛇もしぶとく暴れ回っている。屋敷の上をのたうち回り、しっぽで辺りを破壊する。


「くっ……」


 慎理は内心焦っていた。


(私の霊力と迅宮家の宝玉をもってしてもあの大蛇は倒せないの!?)


 父と母の顔が脳裏に浮かぶ。親族ももう誰もいない。どうして嵩薙の一族ばかりこんな目にあうのか。とうとう最後の血筋である自分も居なくなって、嵩薙の歴史は闇に葬られるのかと思うと、先祖たちの無念が悔やまれてならない。


 急に心細くなって、霊力が揺らいだ。それが龍にも伝わるのか、急に劣勢に転じる。


(だめ!)


 その瞬間、不意に誰かに肩を掴まれ腕に手を添えられた。慎理は目を見開く。


「義旺!」

「持っていかれるなよ、お前の代で終わらせるんだろ!」


 ハッとした。義旺の霊力が宝玉を通して慎理に注がれる。


 慎理は義旺に支えられながら、一心に霊力を注ぎ、大蛇へと放った。やがて龍が蛇の皮膚を引き裂き、骨を噛み裂いた。その瞬間、光が溢れて誰もがその眩しさに目を瞑った。慎理と義旺だけが大蛇の最期を見届けた。


 やがて蛇は朽ち、白い胞子のようになって霧散する。龍も天へと登っていった。


 しん、と静まり返る。辺りが再び夜の闇に包まれた時、慎理は意識を失った。倒れそうになったのを義旺が支える。


「慎理!義旺!」

「おい大丈夫か!?」


 雅子や次郎、術士たちが駆け寄ってきた。慎理を支えている義旺も期待に玉のような汗をかいている。


「ギリギリ、体力が持ちました」

「慎理は!?」

「生きてますよ。一応ね……」


 義旺には慎理の鼓動が伝わっていた。ただその鼓動は酷く小さくゆっくりで、生命活動を維持しているだけに留まっていた。



 ***



 義旺は病棟の最上階にある個室へと向かった。


 祓えの時から慎理は昏睡状態が続いていた。備え付けの机にはヒビの入った宝玉が置かれている。


 義旺は椅子に座って青白い顔で眠っている慎理を見つめた。


「お前が眠ってから一週間が経った。たったそれだけの間に宣旨五家の状況は大きく変わった……」


 紫錠家、社家は当主を失い、また当主の行動が咎められ宣旨五家から除名された。


 そして宣旨五家陣地の結界の基礎となる礎石を破壊したことで、陣地の区分が消滅する。


 義旺はあらかじめこうなることを予想できていたので、結界の準備をしていたのに、事はあまり上手く運ばなかった。雅子率いる藤郷家がとんでもない勢いで陣地を定めてきたのだ。


 そして意外にも次郎率いる仙区家も猛追し、結局陣地は迅宮家とで等分されたような結果になった。


「雅子はともかく、あの飲んだくれめ、実力を隠してやがった。結界だって、あの礎石ほど強力な代替品があるわけでもなく、陣地というよりも魔除けの聖域になっただけ。結界宣旨五家も席次も無くなり、俺の筆頭の夢は潰えた。……だが、お前が俺の呪いをとっぱらった。この結末に後悔はしていないし、きっと死んで行った一族もこれ以上は望まないだろう」


 後に雅子から聞いたのだが、千鶴を看取ったのは慎理だったという。婚約破談になったにも関わらず、何故か仲がいいと噂だったらしい。


 だから慎理が迅宮の墓参りに行っていたのは、義旺に会う為と、千鶴をいたんでくれていたからだった。


「さっき墓参りをしてきた。俺はこの土地を離れる。お前の望み通り、家に縛られずに自由に生きる。俺はもう、迅宮家当主として役目を果たしたと思っている」


 だが一つだけ心残りがあった。


「もう誰も旧三家を疎んでいない。お前はちゃんと旧三家の汚名を返上し、名誉を挽回した。その先お前自身はどうする、慎理。ずっとここで眠っているのか?」


 いまだに青白い顔で眠る慎理を見つめ、そして義旺はコートをひるがえした。


 不意にそのすそを引っぱられ、義旺は足を止めた。


「ちょっと……私が起きてなかったら、置いていくつもりだったの?」


 振り返ると、じとっとした目で慎理が義旺を見上げていた。


「寝たフリをしてるのは分かってた。いつ目覚めた?」

「今朝。でもまだ話すだけで疲れるのよ。だから目を閉じて聞いていたのに……」


 そっと手を離した慎理の手を、義旺は留めるように握る。冷たい手に、義旺の体温が移っていく。


「慎理」

「なに?」

「───……」


 義旺の言葉に、慎理は閉じていた目少しだけ開いて微笑んだ。


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