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3、回顧

 一月の半ば、義旺は郊外にある迅宮家の墓参りに向かった。そこで思いもよらぬ人物に出会った。黒い喪服のワンピースを着た慎理だった。胸元に白い真珠のネックレスが陽の光に照らされ輝いている。


「奇遇ね、迅宮義旺殿」


 慎理は薄く笑んだ。義旺は眉をひそめる。


「待ち伏せていたのか」

「ええ。あなたは今日ここに来ると思っていた。あなたのお母様の命日だから」

「何故そんなことを知っている。わざわざ他家の命日を調べるほど暇なのか」

「たまたま知っていただけよ」


 たまたま旧三家の人間が宣旨五家の故人の命日知っているはずがない。義旺は警戒を強める。


 ひとまず話を進めることにした。


「それで、待ち伏せてまで何の用だ」

「紫錠家の結界を破ったあなたの才能を見込んで『取引』がしたいの」


 真剣な眼差しだった。まるで死ぬ覚悟で決めてきたような顔だった。


「お前の目的は何だ?」

「紫錠家の前当主を殺したい」


 義旺は息をのむ。


「その為に屋敷の最奥にある、最も強い結界を破って欲しいの」


 まさか暗殺を持ちかけられるとは思わなかった。何より前当主というのが引っかかった。


「前当主……紫錠実睦の祖父、紫錠金剛しじょうこんごうか。お前と何の関係がある」

「あの男は二年前に私の両親を殺した」


 先程から突拍子もない話ばかり出てくる。しかしもしそれが本当なら慎理は紫錠家の分家の出身ではない。同門での争いはありえないからだ。


「お前、やはり分家の出じゃないな」

「ええ。私の名前は──」


 慎理は言葉を切って、すっと息を吸った。


嵩薙慎理かさなぎしんり


 義旺は一瞬言葉を失った。それは聞くはずのない苗字。


「嵩薙……やはり旧三家の血筋だったのか」

「さすがは宣旨五家ね。すでに私の正体に気付いていたなんて」

「半信半疑だった。旧三家とは古の時代、宣旨五家より以前に帝に選ばれ、後に謀反を図ったとして宣旨五家により滅ぼされた。その生き残りがいるとは知っていたが、何故紫錠家の養女になった?いやそもそも、旧三家の出自で紫錠家当主の婚約者になるなどありえない」


 義旺の言葉に慎理はそっと目を逸らした。


「嵩薙家が代々生贄になる血筋だから?」

「そうだ。どこより現れたのかは分からないが、表舞台に出てきた嵩薙家の人間はすべからく、結界の強度を保つ為の生贄にされてきた。そしてそれを推し進めたのは紫錠家だと聞く。一体どういう了見でお前は実睦と婚約した。何より金剛がお前の親の仇とするなら、実睦はその孫だぞ」


 風が頬を刺すほどに冷たかった。慎理の目から光が消え、長い黒髪が揺れる。


「私の両親を殺した金剛を止めに来て、私を助けてくれたのは兄様だった。だから兄様は恨んでいない。私はただ金剛を殺せたらそれでいい」

「嘘だ。人間はそんなに簡単に感情を割り切れるものじゃない」


 慎理はキッと義旺を睨んだ。


「そんなことどうでもいいでしょ!私は金剛を殺したい!それが目的であることに変わりはないわ!」


 初めて慎理が感情的な表情を見せた瞬間だった。


(割り切れていないのは図星か。だがまあ、利用価値のある話にはなってきたか)


「で、お前の金剛殺しに手を貸して俺は何を手に入れられる?」

「宣旨五家の陣地を囲む結界。その基礎となっている礎石をあなたに渡すわ」


 義旺は苦虫を潰した。よりによって。


「どうやら単に借りを返して欲しいわけじゃないようだな」

「あの程度で貸したと思っていないわ。私は正当な取引を持ちかけているの。元々あなたが屋敷を調べていたのは礎石が狙いだったんでしょ」


 その通りだった。義旺はあの日、礎石の位置を探っていた。よりによってどうして、ドンピシャで義旺の欲しいものを引き合いに出してくるのか。


「なぜ俺が礎石を探していると分かった?」

「迅宮家は宣旨五家の末席、つまり第五席。席次は各家が持っている結界内陣地の広さで決まる」


 古の時代、宣旨五家が都に張った大きな結界。その中に各家々の陣地がある。席次を決めるのは術士の実力や実績などもあるが、主に陣地の広さが大きく関係している。


 陣地は各家々が総力を持って守っている。今更どうにかできるものではない。だが礎石を手に入れたとなれば話は別だ。


 礎石を別のものに変える、または破壊することで陣地は根底から覆され、消滅する。つまり陣地決めが再スタートする。


「迅宮家は実力はあるものの、宣旨が出された五家の中で選ばれるのが最も遅く、陣地を広げるのに遅れを取った。今なおその影響が続いているのは当主として不服でしょう。その知力を活かせば宣旨五家筆頭の地位も夢じゃない。礎石さえ手に入れば、ね」

「俺をそそのかしているのか」


 しかし慎理はたたみかけてくるようなことはなかった。


「嫌なら無理強いはしないわ」


 あっさりと引いて見せた。「でも」と続ける。


「三年失踪していたあなたが、わざわざ当主にまでなって戻ってきたのはその為じゃないの?」

「……」

「話を戻すわよ。紫錠家当主は兄様だけど、その実権は今なお金剛にあり、宣旨五家の陣地を守る結界の礎石も握っている。でも金剛は最近、持病が悪化している。そのせいか自ら施した屋敷の結界全体の力が弱まっている。礎石を奪えるのは、紫錠家で院政という歪な状態が続いているの今だけよ」


 昔は陣地を巡る縄張り争いが絶えなかったという。今でこそ少なくなったとはいえ、縄張り争いをしないという明確な協定は無い。これはチャンスだ。


「お前の言いたいことは分かった。だが、もう一つ教えろ」

「何?」

「そもそも何故金剛はお前の両親を殺した?お前達は進んで生贄になる奇特な一族だ。生贄なんて制度は心底けったくそ悪いが、必要であるのも事実。しかし当の宣旨五家以下分家は自ら生贄を差し出すことを嫌がる。それにさっきも言ったが、今まで嵩薙家を生贄に推してたのは紫錠家の圧力もあった。殺すメリットが無い」


 宣旨五家は陣地を敷く代わりに自分達で生贄を用意する必要があった。生贄の霊力を結界の補強に使うのだ。つまり生贄にはそれなりに霊力が求められる。そう簡単には見つからない。


 しかし宣旨五家の中から差し出さなければならないという決まりはない。そこで嵩薙家は、言い方は悪いがいいカモだった。


 特に紫錠家は旧三家を嫌い、疎んでいた。宣旨五家の問題を他家に押し付けることに罪悪感を抱く四家を押し切り、嵩薙家の人間を生贄にした。


 慎理は唇の端をつり上げて皮肉げに笑う。


「金剛は耄碌もうろくしたのよ。一族の命よりも、自分の欲を優先させた。目障りだった旧三家を滅ぼすという欲をね。そして身寄りをなくした私を、兄様は『ケジメ』として引き取ったの。結婚で責任を取ってくれるらしいわ」

「ケジメだと……」


 まだ義旺の中には疑念が残る。


(本当にそうなのか?だが正月の実睦の慎理に対する視線は、むしろ自分からそれを望んだようにも見えた。この女から迫った、というのは無理がある……いや、正直この女の真意は計り知れない。ひとまずここはこの女を利用するか)


 義旺は頷いた。


「良いだろう。まだ怪しい部分はあるが取引には乗ってやる。お前は仇討ち、俺は礎石を壊し宣旨五家筆頭の地位を手に入れる。しかしお前に本当に金剛が殺せるのか?討ち損じればただじゃ済まないぞ。勝算はあるんだろうな」

「勿論。必ず殺してみせるわ。我ら嵩薙家はすでに一度滅びた身、失うものなんて何も無い。あなたは迷惑をかけない。ただ結界を解くのを手伝って遠くから見ていればいい」

「……お前、紫錠家を恨むのなら、今まで一族を生贄にしてきた宣旨五家全てを恨んでいるんじゃないのか?本当は全ての術士を殺したいんじゃないのか?」


 義旺の問いに、慎理は静かに首を振って義旺を真っ直ぐに見つめた。


「そんなことしないわ。それでは紫錠の人間と一緒だもの。私はただ、旧三家というだけで我が一族を滅ぼした金剛に報いを受けさせたいだけ。何もかもを恨んでなどいない。……あなたは短命の家系に生まれたからと神を呪おうとする?違うでしょう。誰かを恨んでもその場から進むことは出来ない。今の自分をどうしたらより良い方へ導けるか考えなければならない。だからあなたの一族は、あなたを生かそうと必死に方法を探っていたのよ」

「お前、やはり信用できないな。なぜそこまで迅宮家に詳しい。俺を助けたのも最初から計算だったんだな」


 すると何故か慎理が不機嫌になった。


「本当に()()()()()()()のね。あなたの無知を私のせいにしないでよ。私がどうして迅宮家に詳しいのか、それは自分で調べることね。私だってそうしてきた。家の為に、あなたが当主になるよりずっと昔から。それが嵩薙家の人間として生まれてきた者の責務だったから」







 慎理が去ってしばらく義旺は迅宮家と書かれた墓前で立ち尽くしていた。


『それが嵩薙家の人間として生まれてきた者の責務だから』


 その言葉が胸に突き刺さった。


 ──三年前、義旺は家を飛び出した。


 迅宮家は代々短命の家系だ。迅宮本家の人間は二十歳まで生きられないのが八割。残り二割も半年以内に衰弱死する。それは医術の発達した現代でもどうにもできない呪いだった。


 だから迅宮本家の人間は十八歳で結婚をさせられる。そして後継を生ませ、子供を他家から嫁いできた妻や、呪いの薄い分家に任せて死んでいく。


 その風習が、義旺には動物的に思えて仕方がなかった。子供を残しさえすれば当人はどうでもいいのか。そもそも子供を残して何になるというのか。呪いを残さず、このまま自分の代で終わらせようと思った。それが思春期の反抗期と違うかと言われれば否定はできない。


 ただ義旺は自分の生命力でどこまで生きられるのか知りたかった。だから婚姻の日、義旺はしきたりを放り出して家を出た。わずかなお金と、あり余った体力で遠くまで行った。そしてその日暮らしのむちゃくちゃな生活をした。


 だが、三年経った。義旺は二十一歳になり、呪いが解けたことを知った。その頃には少しまともな生活を送っていて、実家に戻る余裕もあった。


 どんな顔を合わせたらいいのか分からなかったが、ただ唯一の肉親である母親には報告しなければと思った。そして婚姻から逃げた謝罪もしようと思った。


 けれども本家の人間は誰も生き残っていなかった。義旺が帰ってきたのを待っていたのは、分家から働きに来ていた女中の老婆だけだった。母が亡き後、義旺が戻るまで屋敷の手入れを任されていたという。


 この老婆は迅宮家の血を引いていない他家から嫁いできた人間だった。老婆によると、母が死んだのは義旺が家を出てすぐのこと。父はとっくの昔に死んでいる。義旺が戻るまでに迅宮家の血を引く者は、本家も分家も皆死んだ。血を引いていない母も、病死したという。義旺に隠していた持病があったらしい。


 なのに義旺だけは二十歳を過ぎても生きていた。迅宮家の血を引いた本家の人間でありながら。


 すると老婆は驚くべき事実を語った。実は義旺は生まれてすぐに心臓移植の手術を受けたのだという。心臓くれたのは母の妹だった。


 生まれながらに心臓の弱かった義旺は、事故にあって植物人間になった叔母から心臓を譲り受けた。移植の許諾書にサインをしたのは母だった。しかしそれは生前の義旺の父に無理やりされられたのだ。


『これが迅宮家存続に繋がるんだ!』


 間接的に実の妹の命を奪うことになった母は罪悪感に打ちのめされたという。そして一族を守ることに必死だった父と不仲になり、その後父はやはり二十歳に死んだ。


 母などんな気持ちだったのか。夫に妹を奪われ、命を助けた息子は十八歳で家を飛び出した。そして息子が短命の難を逃れたことも知らず亡くなった。


 これが婚姻の儀から逃げ出した罰なのか。そして新たなる災いなのか。


 義旺が生きながらえたことで、心臓に昔の呪いが残っていたことが判明した。だから義旺の代からは短命にはならないだろうと言われた。


 自分は知らず知らずのうちに助けられていたのだ。そのことを知らずに、のうのうと生きてきた。自分で生きたなどとさえ考えていた。なんて馬鹿だったんだろうと、あの時結婚から逃げ出したことを死ぬほど悔やんだ。親不孝にもほどがある。一族にも申し訳なかった。


 だが老婆は首を横に振った。


『奥様は怒ってなどいませんでした。ただあなたが健やかに生きながらえてくれたらいいと言ったそうです。だからあなたは生きているだけで親孝行なのですよ。どうか、幼くして死んだ私の孫の為にも、長く生きて下さい……』


 その一ヶ月後、老婆も死んだ。義旺は、まるで自分が命を吸い取ったのではないかと錯覚した。叔母も、父も、母も、老婆も。だから今の自分があるのか。


 義旺は家に戻り、長く空席だった当主の座についた。


 今まで自分が責任を放棄した自覚はある。だからこそ必ず宣旨五家の筆頭にならなければならない。義旺は固く決意した。その為ならどんな犠牲も払う。それが死んでいった者達へのはなむけだと思った。


(あの女が家の再興が出来るかはともかく、自ら火に飛び込んでこの序列崩してくれるなら結構。俺はそれを使わせてもらう。それに)


 正月の実睦を思い出した。


(紫錠家を揺るがすには礎石だけでは不十分だ。あの実睦の慎理に対する視線、尋常じゃなかった。ケジメなんて言ってはいるが、存外実睦が魅了されただけだろう。だとすれば慎理の存在自体が何かに使えるかもしれない)


 自分でもひとでなしな考えだと思った。


 ふと迅宮家の墓前に備えられた花と線香を見やった。


 どうして彼女は自分より先に来て手を合わせていたのだろうか。待ち伏せるだけならそんなことをする必要はない。


 途端に何か、重大なことを見落としている気がした。






 ***

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