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2、忍事

 和装が多い中、義旺がスーツで来たのは紫錠家の屋敷を調べるのに動きやすいからだ。


 屋敷には結界が張り巡らされている。部外者が触れれば身が焼け焦げ、結界を張った術士にバレる仕組みだ。だが結界には強度というものがあり、義旺の実力を持ってすれば、会場から抜け出し屋敷の奥へと進む分には簡単だった。


 迅宮家は結界の構造分析について精通している。おおよその結界の構造は共通しており、またあらかじめ紫錠家の()()を調べてある。人の気配にだけ気を付けながら義旺は奥へと進んでいく。


 やがて使用人達も近寄らないエリアにたどり着いた。一つ一つの部屋に結界が張られている。しかもそれは今までとは異なる種類の、強力なものだった。


 中に入ることは難しくとも、結界の中を覗き見る程度の術符は用意していた。


 ある木の戸に術符を貼ると、ぼんやりと中が見える。


(ここは書庫か)


 こういう大きい家には書庫が存在する。家の歴史や術士の秘術など、外部に漏れないようしっかり守っているのだ。だからこの部屋は結界の他に物理的に南京錠がかかって入れない。


 義旺は廊下の突き当たりにある重厚感のある扉を見た。そこにも南京錠がかけられている。


(あれは倉庫か。当主の部屋はどこだ)


 別の廊下へ移り部屋を探ろうとした時だった。


「にゃー」

「!」


 廊下を渡ってきた茶トラの猫がこちらを見て鳴いた。


「誰かそこに居るの?」


 猫の鳴き声に呼ばれ使用人の女の足音が近付いてくる。


(まずい……!)


 義旺は思わず近くの襖の中へ逃げ込んだ。襖に部屋の外を見通す術符を貼って様子を伺う。


 胸元に仕込んでいる毒針に手を当てた。


(出来れば使いたくない。意識を混濁させるだけだが、疑り深い紫錠家は必ず犯人を炙り出すだろう)


 そうなれば会場から抜け出した義旺を必ず怪しむ。


 足音が近づく度に鼓動がする。


「誰か居るの?」

「──私よ」


 それに応えたのは義旺ではなかった。


「姫様!」


 義旺はハッとした。


(あれは紫錠家の養女!)


 猫を抱き上げたのは慎理だった。いつ会場を抜けてここへ来たのだろうか。


「息抜きにちゃちゃ丸と遊んでいたの。お客様と話していたら疲れちゃって」

「そうでございましたか。お邪魔して申し訳ございませんでした」


 使用人は深々と頭を下げてどこかに行ってしまった。そして慎理は襖に背を向け、縁側に腰掛けてちゃちゃ丸を撫でた。そして背後の襖に声をかけた。


「もう行ったわ。出てきて大丈夫よ、迅宮家当主殿」


 身元までバレているのか、と心の中で舌打ちして義旺は襖を開けた。


「どうして俺をかばった?」

「知られたくなさそうだったから」

「お前は紫錠家側の人間だろ。初対面の、しかも宣旨五家の人間をかばうなんて。こんなことバレたらただじゃ済まないぞ」

「それあなたが言うの?」


 慎理は半身で振り向いて、苦笑まじりの顔をした。そんな顔さえも美しく、凄まじい霊力を感じさせる。まさに生まれてきた時に神から万物を与えられたのだ思った。


「新年総会でよくこうも堂々と忍び込めたわね。私が助けなかったら今頃大変な騒ぎになっていたわ」

「ならさっさと突き出せばいい。恩着せがましくされるつもりはない」


 慎理は義旺を睨んだ。


「別に恩着せがましくしようだなんて考えていないわ。私はただ新年早々騒ぎにしたくなかっただけ。さあ、兄様あにさまや誰かが来る前に早く行って」


 義旺は眉をひそめる。兄というのは実睦のことだ。


「婚約者を兄と呼ぶのか」

「兄を兄と呼んで何が悪いの」


 先程までは気にならなかったが、いざこの女からその名を聞くとある違和感を覚えた。


「それは好きにしたらいいが、実睦を見るお前の目は、まるで牙を潜めた獣のようだった。本当に兄だと思っているのか?」


 慎理はハッとしたように目を見開き、息を飲んだ。そのまま黙り込んでしまった。義旺もそれ以上追及はしなかった。


「……。助けてくれたこと礼を言う。必ず借りは返す」


 義旺が去っても、慎理はしばらくそこに座ったままちゃちゃ丸を撫でていた。






 会場に戻ると雅子が心配そうな目で義旺を見やった。


「随分長い酔い覚ましでしたね」

「どこかにしけこんでいたんだろ。ハッハッハ!」

「違いますよ」

「次郎が無理やり飲ませるからですよ」


(まったくだ)


 と義旺も心の中で同意した。正直猫の気配に気付かなかったのは次郎にかなりの量を飲まされていたのも一因している。


 だがこんな機会でもなければ紫錠家の奥まで入り込めない。


「あの程度で何を言うか。百合香を見てみろ、お前の倍は飲んでるぞ」


 百合香は自分の席で黙々と猪口ちょこに酒を注いではあおぐを繰り返している。視線の先には、分家の人間に声をかける実睦。彼女の心中を察するのは容易い。怒りや嫉妬、分家の人間でないのなら何故自分は選ばれなかったのか。延々と頭を巡っているのだろう。


 ふと実睦の傍に慎理がやってきた。ちゃちゃ丸との戯れを終え、戻ってきたのだ。


 途端に百合香の手にとてつもない力が入り、猪口がバリンと割れて砕け散った。


「ゔあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 百合香の雄叫びに周りがどよめく。百合香から霊波が発せられ、周りの食器にヒビが入る。そして彼女の容姿に変化が現れ始める。口から牙が伸び、爪が鋭くなる。


「なんだ!?」「社の当主だ」「酒癖悪いな」「誰か結界を張れ!」


 すると誰かが百合香の頭を扇子で叩き、百合香は突然意識を失って倒れた。雅子だ。見かねて術で昏睡させたのだ。


「本当にダメねこの子。感情の制御というものがまるで出来ていない」

「なーんで百合香は昔から実睦を見るとおかしくなるんだ?」

「次郎さんが酒と女に対してそうなるのと同じですよ」

「馬鹿言え、俺は女だったらなんでもいいわけじゃねぇ!」


(そういうことじゃねぇ)


 図体がデカい癖に相変わらず脳みそは小さいと義旺は毒づいた。いっそ分かっていて百合香をからかっているのではとも感じる。


「義旺、あたくしは百合香を連れて帰ります。あなたも良い頃合に帰りなさい」

「はい」

「次郎、百合香を運んでちょうだい」

「なんで俺がぁ」

「こんなに飲ませたのはあなたでしょう!」


 雅子に顎で使われる次郎は、百合香を肩に担いで会場を出ていった。


 宣旨五家の席で一人になった義旺は徳利を手に持ち、自分の猪口に酒を注ぐ。正直もう酒の味は感じない。気になるのは先程の紫錠慎理のことだ。慎理は何故義旺を助けたのか。仮に紫錠家の人間という意志が無いとして、それは単に実睦の婚約者だからか。それとも心の奥底で叛意はんいを抱いているからなのか。


 義旺が言った言葉に対して慎理の驚いた顔を思い出す。


(あれは……)


 ふと義旺の席に近付いてくる気配に顔を上げ、それが誰か分かった義旺は立ち上がった。


「やあ義旺。あけましておめでとう」

「あけましておめでとうございます、実睦さん」


 和装に身を包む実睦。優しい笑みを浮かべ、隣には慎理が静かに佇んでいた。


「久しぶりだね。君が失踪したと聞いて心配していたんだ。戻ってきてくれて嬉しいよ」

「嬉しい?」

「ああ。僕らは宣旨五家同士じゃないか。昔こそ術士同士で争っていたが、この時代に争いなんて意味は無い。手を取り合って協力していこう。きっとそれが君の家の再興にも繋がるよ」

「はい」


(反吐へどが出そうな綺麗事だ)


 果たしてこの男には『再興』という言葉の重みが本当に分かっているのか。迅宮家は人も、力も、紫錠家には遠く及ばない。だからこそ手段は選んでいられない。綺麗事では掴めないものがある。


 そして義旺には否が応でも迅宮家を再興しなければならない理由があった。


 ふと、実睦は慎理の肩に手を添えた。


「紹介が遅れたが、婚約者の慎理だ」


 慎理は小さく笑んで頭を下げた。


()()()()()。紫錠慎理です」

「さっき他の皆には紹介したんだけど、義旺は席を外していたから」


 義旺は顔に出ないようにしながらも、慎理のすました顔を観察した。


(屋敷の奥に侵入したのは俺だと見当がついていたわけか。だがそれを実睦が知っているようには見えない)


 義旺は取り繕って笑みを浮かべた。


「雅子さんと百合香さんは帰られました。次郎さんはすぐ戻ります」

「そうか。あの二人とも、もう少し話をしたかったけど仕方ない」

「また機会はありますよ、兄様」

「そうだね」


 頬を染めて目を細める実睦は何とも見ていられなかった。ふ抜けている。こんな実睦は見たことがない。


 もし本当に慎理が旧三家の人間であるというのならば、周りからの反対はいかほどのものか義旺にでも容易に想像がつく。旧三家とはそういう存在なのだ。


「また来るよ。次郎さんと一緒に酌み交わそう」


 そうして実睦は慎理を連れて去っていく。そしてまた実睦と親しくなろうとする者がすり寄ってくる。


 義旺は猪口に注いでいた酒を飲んだ。実睦は当然気を付けている必要はあるが、やはり慎理が怪しく見えてならない。実睦を隣にして話していた時も平然と知らぬ振りをしてみせた。


 それは紫錠家に対する立派な裏切り行為。


(したたかな女め。やはり裏がある。一体何を考えて紫錠家に入り込んだんだ)


 それから彼女と再会するのは間もなくだった。






 ***


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