1、邂逅
古の時代、大和の国は数々の妖や霊によって脅かされていた。そしてある代の帝は霊力の強い術士を持つ家を五つ選び、そして宣旨を下した。その家は宣旨五家と呼ばれ、妖や霊を鎮める代わりに様々な特権が与えられた。
やがて宣旨五家は都に大きな結界を張り陣地を定める。その中では帝すら手を出せない特別な場所となった。それにともない宣旨五家はますます権威を強めた。
しかしその結界を守るにはある代償が必要だった──。
タクシーを降りると息が白くなった。新年早々、よりによって気温は観測史上最も低い気温を叩き出した。しかし予定は変えられない。新年の総会に出席する為、義旺は招待状を手にしてある大きな屋敷に訪れた。そこにはすでに大勢の招待客が集まっていて、屋敷の中に入っていく者、外で立ち話をする者も居た。
義旺も少しだけ足を止めて辺りを眺めた。美しい日本庭園と、歴史ある日本家屋。特に庭には青々とした松が植えられ、枝の隅々まで手入れされている。大きな池には小舟まで浮いていた。
そして庭の真ん中には赤い絨毯が敷かれ、奏者によって笙や琴が奏でられ、その音色を屋敷の敷地一帯に響かせていた。
(豪勢なことだ。この家は相変わらず贅を尽くす)
正月の総会にはあらゆる家の代表が集まる。総会の主催である紫錠家は、こういった催し物の主催を進んで務める。そして財を奮って自分たちが『宣旨五家の筆頭』であることを誇示するのだ。
不意に、背後から頬をさすられた。そのねっとりとした触り方や、きつい香水の匂いには覚えがあった。
「義旺じゃないのぉ。どうしたのぉ、こんな所で突っ立ってぇ。三年前ぶりに来たから迷子にでもなった?」
女はクスクスと笑った。義旺はその手を払いのけた。
「近寄るな百合香。お前の香水の匂いが移る」
百合香は赤く薄い布のドレスをまとっていた。周りは和装が多いのでその格好だけで目立つ。というか一月によくそんな寒い格好ができるものだと呆れる。
「私の香水は専属の調香師が作った特注品よぉ、良い匂いなんだから移っても構やしないわぁ」
「付けすぎなんだよ」
「ふふ、照れちゃってぇ」
苛立った義旺が百合香に言い返そうとした時。
「義旺じゃありませんか。懐かしいですね」
振り返ると、しゃんと背筋が伸びた気高い老婦人が居た。
「すっかり凛々しくなって。元気でしたか」
義旺は頭を下げる。
「お久しぶりです、雅子さん」
「ちょっとぉ、なんで雅子にはさん付けで、私は呼び捨てなのよぉ」
「うるさい。ひっつくな」
確かに百合香は義旺より六歳上だが、この女には敬語すら使いたくないと思っていた。この女を全面的に出した態度や生き方が義旺には苦手だった。
「これ、新年のめでたい日におよしなさいな。宣旨五家同士なんだから仲良くなさい」
雅子にたしなめられ、義旺も百合香も黙った。雅子は他家の人間だが、彼女は親しみと威厳の両方を持ち合わせていた。それは藤郷家の当主として相応しい風格ともいえた。
宣旨五家は紫錠、藤郷、社、仙区、迅宮からなる。そして家にはこの順に席次が存在する。
雅子は藤郷家当主。百合香は社家当主。義旺は迅宮家当主。
宣旨五家当主がそろい踏みとあって、周りの人間からは畏怖やら興味やら様々な視線を向けられ、遠巻きにされていた。だが三人ともそういう視線には慣れているので気にしなかった。
「雅子さん、体調を崩されたと聞きましたがもうお加減はよろしいのですか」
「ええ、もうすっかり元気です。ちょっと風邪をこじらせただけ。まだまだ若い者には任せられないから、あたくしはそう簡単にくたばれないのよ」
瞳の奥に揺るぎない自信と芯の強さを感じる。それに触発されたのか、百合香は目を光らせ舌なめずりする。
「あら残念ねぇ、あなたが死ねば社家は容赦なく宣旨五家次席を狙いに行くのにぃ」
「ほほほ。バカおっしゃい。あたくしが死んでも、社ごときに次席は譲りませんよ」
「どうかしら。やってみなきゃ分からないわよぉ」
第三席の社家は好戦的で、よくこうして第二席の藤郷家に喧嘩を売っている。だが筆頭の紫錠家に対してはこうはいかない。紫錠家の突出した財力と権威は群を抜いている。それは宣旨五家、以下分家の誰もが分かっていることだった。
(歴史の中で席次は何度も入れ替わったが、筆頭紫錠家だけは八百年も前からずっと変わらない。そして迅宮家が末席なのも、ずっと変わらない)
迅宮家当主である義旺は、固く拳を握った。
「そろそろ中に入りましょうか」
雅子に促され、屋敷に入る。そして会場である大広間へ向かうと、すでに一人で勝手に宴会を始めている人間が居た。
「よぉ!遅かったなお前ら!」
あぐらをかいて一人で二人分くらいの幅をとっているその男は、第四席仙区家当主、仙区次郎。
雅子はじとっとした目で次郎を睨んだ。
「どうしてまだ始まってもないのに空の徳利が転がっているんですか」
「ここに入った時点で宴会は始まってんだ!お!義旺久しぶりだな!お前も飲め飲め!」
「まだ結構です」
雅子は次郎の短髪の頭を叩いた。
「次郎!今日はただの宴会じゃないんですよ。実睦の婚約者お披露目会なんですから。あなたが主役じゃないの」
「堅いこと言うなよ、祝いの席だろ!なら飲んでなんぼのもんよ!」
義旺は呆れて言葉も出なかった。
(仙区家は相変わらずだな。これが宣旨五家第四席とは。というかこの男に負けているのか迅宮家は)
黙り込んでいたのは義旺だけではなかった。
「……」
「あん?どうした百合香、しかめっ面で黙り込んで」
百合香は決められた席に一人で座り込んで、次郎を無視した。
「なんだ?」
「そっとしといてやりなさい。乙女心は複雑なんですよ」
雅子と義旺も席に着く。目の前には膳が置かれ、酒やおせち料理が並べられていた。
宣旨五家の席は会場の前の方に設けられ、全体を見渡せるようになっていた。他の招待客は宣旨五家と垂直に列をなしている。招待客は主に分家や力のある術士ばかり。
声を潜めてはいるが場所的に彼らの話し声がよく聞こえた。
「まだ次の生贄は見つからないのか。大丈夫なのか?」「まあ年数はおおまかですから支障はないかと」「でもいつ結界が揺らぐか……」「でもそれと同時に宣旨五家も揺らぐのでは?」「しっ、声が大きい」
ふと、マイクのハウリングが響く。そして聞こえてきた声は落ち着いていて、ハリのある声だった。
「皆様ようこそ紫錠家へおいで下さいました」
紫錠実睦、紫錠家当主その人だった。優しげな眼差しと、整った顔立ち。好青年という言葉を体現したような容姿。そして齢二十五歳にして宣旨五家の筆頭当主。それは義旺と異なり、紛れもない実力によるもの。
「本日はお日柄もよく、新年のめでたい日にこうして集まれたこと嬉しく思います。さて昨今の術士の情勢についてですが──」
しかし実睦の始まりの挨拶を次郎が遮った。
「おぉい実睦!長い挨拶は要らねぇから早くお前の嫁見せろよ!宴会が始まらねぇだろー」
「嫁じゃないわ!まだ婚約者よ!」
「うぉ!なんだよ百合香、急に叫ぶなよびっくりするだろ」
実睦は二人のやりとりを聞いて苦笑した。
「皆さんをお待たせして申し訳ないのですが、開始はもうしばしお待ちを。私の婚約者であり紫錠家長女、慎理は支度に時間がかかっているようです」
しん、と会場が静まり返った。しかし実睦は怯まず、先程の言葉の続きを言い始める。
次郎は声を潜めて隣に座る義旺に耳打ちした。
「聞いたか?婚約者は義妹だと。娘を息子と引き合せるなんて本当悪趣味だよな」
「言っても養女じゃないですか」
(正直実睦が誰と結婚しようが関係無い)
心底どうでもよかった。紫錠家の因習も、誰が養女になったのかも。
そんなことは義旺にとって、何の役にも立たない。
聞き耳を立てていた雅子がため息をついた。
「三ヶ月前に養女にして婚約したと連絡が来たでしょう。きっとどこかの分家から呼んできたのよ」
「紫錠家は昔から血を濃く保っていたと聞いています。古の時代では兄妹同士で結婚させたこともあるとか。今はさすがにそんなことはありませんが、形式的に義理の兄妹にしてから結婚するんですよね。分家から引っ張ってくるのはともかく、最近聞かなかった慣例ですけど」
「義旺お前物知りだな」
「逆に次郎さんはどうして知らないんですか。四十路のくせに」
「しゃーねーだろ、俺は術士としては二流なんだから」
それは次郎の口癖だった。
「でも本当に分家の人間かしらねぇ」
百合香の言葉に雅子が一瞬表情を険しくする。
「どういうことだ」と義旺が聞こうとした時だ。
「──お待たせいたしました、義妹の慎理の支度が整いましたので、ご紹介いたします」
紫錠家の使用人がスっと襖を開ける。そこには赤い着物を着た女が頭を下げていた。
広間に凛とした声が響く。
「ご紹介に預かりました、紫錠家が長女慎理にございます」
静かに顔を上げた彼女の容貌を見て、皆言葉を失った。
目が覚めるような美人だった。黒く長い髪を結い、金色の水引やダリアの付いた豪奢な髪飾り。赤色の着物。どれも高価で派手なのに、彼女の美しさを前にすれば添え物に過ぎず、むしろ気品に溢れている。
そして何より、その瞳の奥には強い意志を感じる。
「それでは乾杯の音頭を取らせていただきます。あけましておめでとうございます、乾杯!」
宴会が始まり、会場は慎理の話題で持ち切りだった。次郎も例外ではなく、彼女の美貌に感嘆していた。
「こりゃたまげた、どえらい美人だな。まだ十七、八そこらだろ。あんな娘が紫錠の分家に居たら絶対知ってると思うんだがな」
「居ないわよ!あんなどこの馬の骨とも分からない女を義妹にするなんて、実睦はどうかしてるわ!」
百合香は勢いよく酒をあおる。百合香が幼い頃から実睦に恋愛感情を抱いているのは周知の事実だった。鈍すぎる次郎以外は。
(だが問題はあの女の素性だ。なんだあの霊力の強さは)
慎理の周りには、彼女と実睦とお近づきになろうと多くの人間が群がっていた。
(あれほどの人材がそこらの分家で放っておかれてる訳がない。どうして今まで現れなかった)
義旺は百合香にそれとなく尋ねる。
「あの女がどこの家の出か検討はついてるのか?」
百合香は箸でおせちの伊達巻を突き刺した。
「分からない。でもここに居れば嫌でも分かるでしょ。実睦があの女を義妹にした理由……」
「ああ、分かるぜ」
割って入ってきた次郎は頷く。
「──若好みだったんだな、通りで年増のお前に目もくれないわけだ、っていたぁ!!」
「違うわよ!!てか誰が年増よ!!」
「いい加減諦めて婿取れよー」
「そこらに女作りまくって婚外子に溢れたあんたよりマシよ!ほっといてよ!」
ふと雅子が話の筋を戻す。
「で、百合香あなた何が言いたかったの」
「実睦があの女を選んだのは言うまでもなくあの霊力の強さよぉ。あれは宣旨五家本家の人間に匹敵する。そんな力を持つ奴はどの家の分家にも居ないはずだった。でも私達にも、情報を得づらい家は例外的に存在するわぁ」
「『旧三家』か」
百合香は頷く。
「ええ。ここ数代、紫錠家はわざわざ嫁を養女にして子供同士を結婚させる風習は廃れていた。なのに実睦の代で復活した。その理由は一つ」
義旺はハッとした。
「あの女の素性を隠すために苗字を消したのか!」
「恐らくねぇ。そこまでする必要があるのは旧三家だけよぉ。宣旨五家が選ばれるよりも昔、帝から寵愛された三家。でも謀反を企て没落。あの旧三家は表向きには根絶やしにされたことになってるから、まさかこんなに堂々と出てくるとは思わなかったけどぉ……まあどちらにせよ、気に入らないわねあの目」
挨拶の時に感じた意思の強さ。それが百合香にとって癪に障るのだろう。だが義旺には少しだけ、ほんの少しだけそれが好ましく思えた。
ふと目が合った。慎理は驚いたように目を見開いて、そっと視線を外した。
(どこかで会ったか……?)
しかしここ数年は術士と関わっていない。気のせいだろうと気持ちを振り払った。
そして義旺本当の目的を果たす為に立ち上がる。
「少し酔いを覚ましてきます」
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