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「ホーム」での生活も三ヶ月目を迎え、俺はおおむね周りともうまくやれるようになっていた。
ここではしばらく前からチェスが大ブームらしく、三人の実力は拮抗しているというので俺も混ぜてもらってみたところ、一人と五戦ずつした時点で一敗もせず、年長者(というよりベテランと言うべきか)の貫禄を見せつける格好になった。
「すごいっスねミナガワさん、マジ尋常じゃねー」
三面差しで真っ先に負けたヤスオが、清々しい笑顔で天を仰ぐ。
「うーむ……だめだ」
コウタが自分のキングを掴み、最後に残ったミノルの盤を覗き込む。
「むむ……将棋なら、負けないと思うんですけどねえ」
俺がチェックメイトすると、ミノルはそう言って頭を掻いた。
「そんな昔のゲーム、やる気がせんよ」
憎まれ口を叩きつつ、気まぐれで相手の土俵に上がるのもなしではないな、という気がしていた。
ここで暮らしてみて――というより、若返りも老化もしなくなってみて――一番驚いたのが、夜更かしをしたりしても眠くならないことだった。普通の七五歳の老人だった頃もさることながら、一日一歳ずつ若返っていた時分などは、どんなに頑張っても日付が変わる前には眠りに落ちてしまって、たっぷり八時間は目覚めることがなかった。それが今は、夜通し起きていようと大して堪えもせず、ちょっと昼寝でもすれば元気いっぱいに遊び回れるようになる。これはまさしく一五歳の頃に戻ったようで、六〇年前に夜中こっそり聴いていたWebラジオや、見ていたアダルト雑誌などが鮮明に思い出されるものだった。
ここは快適で、他の住人とも(少なくとも初めて会って以降、「ホーム」に顔を見せることの皆無なミオ・タカハシを除けば)打ち解けて楽しく過ごせていた。ただ一つ気がかりなのが、死んだ妻にあまりにもそっくりなティナ・クラウディア・チャンのことだった。
ティナは、俺たちを「監視する」という名目で、二週間に一度ほどのペースで「ホーム」を訪れていた。その実、皆と談笑しているだけで仕事らしい仕事をしているようには見えなかったが、時折急に会話を途切れさせて携帯通信機に何やら打ち込んでいる姿は真剣そのものだったし、また何より、その腰に光る銃は否応なく俺たち住人との違いを物語っていた。
今日も彼女はやって来て、食堂で俺たちと昼食を共にしていた。
「ティナちゃん、彼氏できた?」
「だーかーらー、こんな仕事してたら出会いもへったくれもないって、何度言えばわかるの?」
「えー、そしたらさ、俺とかどうよ?」
「もう、ヤスオさんったら。またそんなこと……無理ですよー、あくまで仕事上の付き合いですからねー」
彼女がユキエとは別の人間だということは、ようやく事実として受け入れられるようになっていた。それでも、こうして紛うかたなき軽口を叩かれ、これまた軽口で返しつつも、まんざらでもないような顔をしている彼女の姿を見るのは、やはり心中穏やかならざるものがある。
「ヒロキさんはどう?そろそろここにも慣れたかしら」
「……ああ、まあ、ぼちぼち……な」
何気ない世間話をしつつ俺に微笑みかけるティナの顔から、たまらず目を逸らす。六〇年前には俺だけのものだったユキエの笑顔。それと見た目の上では変わらない笑顔が、俺だけではなくヤスオにも、ミノルにも、コウタにも平等に向けられる。そのことはまた、ユキエを死なせてしまった後悔までも蒸し返し、俺は胸を締め付けられてならないのだった。