5,恋の花を紡ぐ
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ラッカーは約束を違えなかった。
彼はシャラが心づけた品の返礼として、珍しい素材を持ってきた。ひと月以上燃え続ける木……チャルの木の枝などは、如何に師が手練れとはいえ、足手まといを連れて手に出来る成果ではない。
ちょっとした投資が倍以上になって返ってきたことに、シャラは素直に目を丸くした。
冒険者としての彼の才能は本物だった。その証拠に、成功は一度で終わらなかった。
「おかえりなさい、冒険者さん」
「ただいま、姐さん。今回も、姐さんのおかげで助かったよ」
ラッカーは冒険に出る前に、必ずシャラの店に立ち寄った。シャラはその度に冒険先を尋ねては、その地に有用と聞く品を一つ、懐から渡した。彼は帰るたび、シャラへ手土産を持ってきた。
「いいのよ。こちらこそ、いつもありがとう。素材を沢山、助かってる」
「もちろん、卸すのにきっちりお代はいただくけれどね。手心をつけてくれるなら、姐さんにだけ特別に」
「へーえ? 手心は何がいいのかしら?」
ふふっと首を傾げて胸を机に乗せると、ちょっとどぎまぎするところが可愛らしい。そういう時の彼は、才気あふれる新進気鋭の冒険者から、からかいがいのある男の子に戻った。
“おかえりなさい”に、“ただいま”。
いつしか、そう言い交わすのは当たり前になっていた。
彼の師匠は、その様子を喜ぶでもなく静かに見守ってくれた。
「うちの弟子をあまりからかわんでくれ、シャラ。代金はここに置いておく。俺は酒場にいるから、頼んでいた矢をラッカーに渡しておいてくれ」
「了解よ、ジャッタさん。売り買いのお金の計算は私がやって大丈夫?」
「ああ。材料の卸しも、コイツに任せる。適当に頼む」
ラッカーの師は、高い背丈をゆらりと翻して、扉を潜るように店を出ていく。いつも必要なことだけしかしゃべらず、人を避ける性格の人物だった。
「叔父さん、愛想なくてごめんよ、姐さん。別に姐さんのこと避けてるわけじゃないんだ。人付き合い苦手だけど、優しい人なんだよ」
「わかってる、大丈夫よ。あなたよりつきあい長いし、父からもそう聞いてるしね。信頼してるし、向こうもしてくれてる。でないと、金勘定を商人に任せないでしょ?」
「まあ、そっか。叔父さん、たまに姐さんのことも話してくれるよ。親を亡くしても、しっかりした人だって。姐さんは、調合の腕も間違いないしね」
ラッカーは自分のつたない調合の腕を褒めてくれたし、頼りにしてくれる。そして自分も、彼の腕を頼りに調合素材や商品を依頼するようになっていた。
「それでラッカー。頼んでたココギ豆は卸してもらえる?」
「それが沢山採れたんだけど、酒場の女将さんからも同じ注文はいってて……このくらいでいいかな? 足りない分は、タリク草もつけるからさ」
「ええ? これだけ?」
もう、と、息を吐いて怒ってみせてシャラはわざと彼の腕を取った。こっちに回せないの? と、顔を近づけて。色に訴えるような仕草をして。
「ちょ、ちょっと姐さん……」
彼が目を逸らして俯くと、くすっと笑みがこぼれた。
「あはは。冗談よ。奥方のお願いなら、そっちが優先。私はその下っ端だもの」
「からかうなって言われたばかりなのに、ひどいな……女将さんと親父さんは、僕にも家族みたいなものなんだから、困らせないでよ」
心根の優しい彼は、縁のある人を心から大事にして、家族のように接する。だからだろうか。シャラがいつの間にか、彼が帰って来るのを心待ちにするようになっていたのは。
シャラにとって冒険者とは、いつかふつりと行方の途絶える、蜘蛛の糸のように頼りなく儚い存在。同時にたくましく刹那を生きるがゆえに、下心を隠すことなく女を口説ける強かさも持つ者たち。
だがラッカーは、自分に想いを寄せているのは明らかなのに、純粋な愛情を向けてくれる。
彼がまだ若いからかもしれない。弟のような少年と、それを見守る姉のような関係のせいかもしれない。
理由がなんであるにせよ、シャラはいつしか認めざるを得なくなった。
ラッカーを、愛してしまったことを。
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ラッカーと出会ってから二年ほど。
ただいまの声と共に開くドアを心待ちにしている自分に気付いて、シャラは恋を自覚した。それ以降、重い憂鬱と浮つく明るさとをせわしなく行ったり来たりした。
十四歳だった少年は、この二年で自分を超える背丈になった。それでも彼は、いつも変わらぬ笑顔で懐いて来る。
姐さん。姐さん。道具屋の姐さん。
親しみと尊敬を込めて、わざと名を言わない彼。それを嬉しく、そしてもどかしく思う日々。
距離を詰めたい。彼がまだ子どもなら、気持ちだけでも……きっと彼も、拒まないはず。
そう分かっていて、しかし心の深いところにある母の言葉が、それを止める。
『冒険者なんて、愛するもんじゃないわ』
そう。彼はその翅を自由に震わせて、いずこかを羽ばたく身。今は帰って来てくれても、いつか帰らない日が来る。死か、別れか。きっといつか、前触れもなく消えてしまう。
でも自分は、今までと同じ。この街で、この道具屋で、ただ誰かの帰りを待つばかり。
ああ、恋も愛も、知らない方がいい。それなのに……あの愛らしいそばかすの笑顔がちらついて、離れてくれない。
そんなシャラの懊悩に関係なく、道具屋には他にも客は来る。言い寄る男が減るわけでもない。
「おかえりなさい、冒険者さん」
シャラは誰に対してもそう語りかけるが、この頃はカウンターに胸を乗せて上目遣いに相手を覗き込むことが……つまり、色目を使うことが増えた。日々、溜まり続ける澱を吐き出して、楽になりたかった。
酒場に集う娼婦や女給たちの姿も会話も幼いころから見ていたし、自身の見目には自覚がある。相手を選ばないなら、男を切らさない程度の手管は持っている。
だが誰と連れ添っても、鮮明に思い浮かぶのはあの笑顔だけ。ほとんどの相手と一夜を共にする気も起きず、無理に寝てみたところで虚しい気持ちが沸くばかり。
(「馬鹿みたい……向こうは一応、こっちに好意を持ってくれてるのに……申し訳ないわね」)
まるで自分が、獲物を網に絡め捕っては血を啜る、飢え乾いた蜘蛛のように思えた。
その頃のシャラを見て、酒場の主人は笑った。
「お前のお父さんも、若いころは浮名を流したもんだよ。射止めたのは、お前の母さんだったがな。お前にはやっぱり、アイツの血が流れているらしい。道具屋の看板娘を誰が落とすのか、若い衆の間じゃ噂だぞ」
奔放に笑う彼に対して、奥方はこっそりシャラを嗜めた。流石に父親代わりの人には誰と寝たかなんて話はしていないが、奥方は義理の娘の荒れ具合に気が付いているようだった。
「恋が多いのは良いけど。あまり浮つきすぎないようにね。あなたなら月の薬の調合に間違いはないでしょうけれど、誰か一人に定めた方がいいわよ。いないの? 本当に好きな人は」
「その……それを探してるところです」
「あなたの場合、冒険者じゃない方がいいんじゃないかしら。紹介でもしましょうか?」
「いえ。男の人を探す分には、あまり苦労しないんです……」
奥方は何か言おうとしたのを呑み込んだようで「美貌の娘を持つのは、心労が多いものなのね」と苦笑した。
道具屋の看板娘にして、恋多き女……あまりいい評判とは言えないが、義理の両親は自分を責めずに理解を示してくれる。曖昧に笑ってごまかす自分に、罪悪感を覚えた。
(「私に、もし……あの子と共に飛び立てる翅があったら……」)
そう夢想する時もある。
しかし母の遺言を真に受ける自分は、冒険者には向かなかっただろう。
「ただいま、姐さん」
その声に跳ねてしまう心を、彼は知らない。
焦がれながら彼の成長を見守り続け、いつか来る変化を恐れ、同時に期待もする。
おかえりとただいまを繰り返し、その笑顔に心乱れ、どうしようもない想いに身を乱して、平穏な日々は鬱々と過ぎていく。
「ねえ、ラッカー」
「なに? 姐さん」
「あのね、私。あなたのことが、」
その言葉を言い切った時、シャラはハッと店に誰もいないことに気付く。
開いた扉の向こうから夕陽が差し込み、きい、きい、という虚しい音がしているだけ。
そんな夢を、何度も見た。
まるで、同じところをぐるぐると巡る、悪夢のように……。