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蜘蛛の白閨  作者: 白石小梅
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4,少年との出会い


 シャラが二十歳になってひと月ほどした、ある日。

 暖かな風が吹き始め、しかし雪解けの水はまだ冷ややかな時分。

 いつものように、店の扉の鈴が鳴った。

「酒場の親父さんお勧めだっていう道具屋さんって、ここ?」

 今でも思い出す。戸を開けた、まだあどけなさの残る少年を。金色の少し跳ねた髪。少しそばかすのある丸い鼻に、大きな目。愛くるしい顔を少し不安そうに歪めていた。

 まさか、想い焦がれることになる相手との出会いだったとは思わなかったけれど。

 シャラはいつもの笑顔を作り、カウンターにわざと胸を乗せて、身を乗り出した。

「そうよ。おかえりなさい、冒険者さん。お勧めっていうより、ご主人の店だけどね。私はここを預かってるだけ」

 シャラは初めての客に対しても“おかえりなさい”の語り掛けから始める。酒場女であった母から学んだ殺し文句だった。そうする方が客の受けは良いし、売り上げも上がる。売るのが色にせよ物にせよ、商売とはそういうものだ。

 ただ、それはそれとして、今回は少し迷った。目の前の少年は、十二歳くらいの子供に見えたから。

「えっと……もしかして坊やは、お使いかしら?」

「違うよ。自分の買い物だよ。親父さんが、道具屋のお姉さんに必要なものを見繕ってもらえって。まあ、歳はまだ十四だし、確かに見習いだけど……でも僕は、必ず一人前の冒険者になるから」

 童顔の少年はそう言いながら、どんどん声が小さくなっていった。その様子は、どう見ても冒険者に憧れているだけの子供そのもの。からかわれているのかと、考えた。笑い飛ばして追い返すか、お使いを頼んだ人物が誰なのか問いただそうか、と。しかし、少し眉を寄せて上目遣いにこちらを見る少年に、シャラは何かを感じた。

「ごめんなさい、“冒険者さん”。それで、何をお求めかしら。必要なものは、どこを目指すかによって変わるわよ。もしよろしければ、私がお手伝いをさせてもらうけれど」

「解毒薬が欲しいんだ。毒を持つ魔物がいるっていうから……南にある巨大樹の森には」

 そう聞いて、シャラは動かしていた手を止めた。振り返ると、少年はシャラが子ども扱いするのをやめたからか、顔を明るくしてこちらを見ている。

「巨大樹の森? ……あそこは、かなり危険な場所よ。冒険者なのはわかったけど、見習いの人が行くような場所じゃない。誰と一緒に行くの?」

「おじ……じゃなくて。ジャッタさん。百中のジャッタ、って言われてる」

「え、それ……酒場のご主人と奥方ともパーティを組んでた人じゃない」

「うん、そうだよ。昔は親父さんと女将さんと、ジャッタさんとそのお師匠さんでパーティを組んでたって。だから親父さんは、僕にもよくしてくれるんだ」

 そのパーティは、この街の冒険者ならよく知っている。流剣、豪斧、焔術、百中……そんなあだ名で呼ばれた四人組。すなわち、シャラの父と、酒場の主人と、その奥方、そして唯一現役の弓使いのことだった。

 ジャッタは四人の中では最も若く、父の教え子だった男。今やこの辺りでは一番の腕と言われる冒険者であり、酒場にもこの店にも顔を出す常連だ。シャラは子供のころから、そして道具屋を預かった後も、何度も会っている。無骨で無口ながら信用のおける人物だった。

「でも……ジャッタさんって四十歳くらいだと思うけど、ずっと独り身だったわよね。お子さんもお弟子さんも、いるとは聞いてないけど」

「あの人は、僕の叔父さんなんだよ。僕は色々あって……叔父さんに引き取られたんだけど。後を継いで冒険者になりたいってお願いしたんだ」

(「……なるほど、ね」)

 シャラは“色々”の中身を問いはしない。親を亡くしたことが入っているのは確実だった。先ほど少年の中に感じた何かとはつまり、父母をなくし、酒場の夫妻に引き取られたころを思い出したのだろう。

「それならいいの。ジャッタさんなら腕は確かよ。信用できる。とすると、この場にジャッタさんがいないのは、あなたに必要なものを自分で集めて来るよう指示したから、でしょ?」

「え? ……うん」

「一人前の冒険者は、自分のことは自分でする。仲間と助け合うことは、足を引っ張るヤツの面倒を見ることじゃない……って、あの人、言ってなかった?」

「うん。そう言ってたけど……どうしてわかったの?」

「私のお父さんが、あの人にそう教えたって言ってたから。ジャッタさん、厳しいでしょ。自分のお弟子に、自分が教えられたのと同じように教えてるのね」

「お姐さん、叔父さんの先生の娘さんだったの?」

 シャラは、そう言われてくすっと笑った。少年は、師の弱みのような話を聞けたことに、目を輝かせていた。

「そうよ。だからその教えをきちんと守れば、あの人と同じように、この辺で一番の冒険者になれる。冒険者の娘が、保障するわ」

 そしてシャラはカウンターの上に薬瓶を置いた。

「さて。知ってると思うけど、巨大樹の森に入れるのは雪解けから初夏まで。冬場は雪に閉ざされてしまうし、雨期から秋は“死の紡ぎ手”と言われる魔物が溢れかえるの。単に大蜘蛛って呼ばれることの方が多いけど。雨期に入ると数も狂暴さも一気に増すから、冒険者でも森には近寄れない。森から溢れ出して周辺の人里を襲うから、討伐の依頼が出るくらい。そのくらい凶暴で、しかも毒を持ってるから、これは必須。それから森で採れるものは……」

「薬になるものが多いんでしょ? 傷薬になる草、病気に効く豆、幻覚を見せる茸、燃え続ける木、凝った呪いを解く花とか。名前は、確か……」

「タリク草、ココギ豆、クキ茸、チャルの木の枝、エイクレイルの花、ね。とっても希少なものも多いから、とりあえずタリク草あたりの納品からでしょ? 保存瓶はこれがお勧めよ」

「すごいな、何でもお見通しだね」

「これでも道具屋ですもの」

 シャラはその地に赴くにあたって必要な薬や道具を並べていく。使い方や必要とされる数を話し込んでいる最中、少年がきょとんとした顔でこちらを見ているのに気付いた。

「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

「いや……みんな僕のこと、なんていうか、子ども扱いするから。すごく真剣に話してくれるなって思って」

 沈黙があった。少年は、くりっとした大きな目で真っ直ぐにこちらを見つめて来る。覗き込んで来る瞳の青色が、どこか深くて。唇が、自然と言葉を紡ぎ上げていた。

「……さっき話した私の父はね。ある日、冒険の最中にぷっつりと消えちゃったの。荷物も見つからなかった。ジャッタさんから、聞いてない?」

「え、あ……そうだったんだ。聞いてなかったよ。誰より腕の立つ冒険者さんだって言ってたから、てっきり病気か何かで亡くなったのかと……ごめん」

「いいのよ。父は母の病気に効く薬を作りたくて、無理をしたみたい。ココギ豆で治せるような病でもなくてね。だからきっと……」

 シャラは首を振って、言おうとした言葉を掃った。

 父の生死はわからない。まず間違いなく死んでいると思いながら、しかし時計の針は進んでくれない。自分はもう、身近な人間が行方知れずになって哀しむ人が増えて欲しくはない。

「だからね。これ。初回だけのおまけよ。お代は、必ず帰ってくること」

 魔を祓う聖水瓶を一つ渡すと、少年ははにかんだ。そばかすが愛らしかった。

「……ありがとう。お父さんの話まで聞かせてくれて。約束するよ。僕、必ず帰って来る。帰ってきたらここに寄って、お礼を渡すよ」

 少年は銀貨を置くと、にこやかに店を去ろうとして、ドアのところで振り返った。

「僕はラッカー。姐さんは?」

「シャラよ。お得意様になってくれること、期待してるからね。冒険者のラッカーさん」

 手を振って笑みを交わし、少年の姿は差し込む夕日の向こうに消える。

 父の弟子だった男と、因縁の地に旅立つ、可愛らしい少年。

 個人的な肩入れくらいは、したくなる。

 この時は、その程度の話だった。

 微かに自分の中に芽生えていた何かを、察しておくべきだったのかもしれない。

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