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蜘蛛の白閨  作者: 白石小梅
3/16

3,夜伽の閨から来りて


 蜘蛛から逃げる足が空回りして。

 いつの間にか、視界はくるくると回り始めて。

『ねえ、お母さん。あのおはなしして。かっこいい、冒険者のおはなし』

 夜伽を乞う、愛らしい声がする。

 これは、自分の記憶だろうか。

『おとうさんのおはなしして』

 まどろむ意識の中、シャラは記憶に手を伸ばす。

 自分が、何者で。

 どこから来たのかを……。


「いいかい、シャラ。お父さんはお母さんの病気を治す薬を手に入れるために、ちょっと危険な旅に出てくる」

 それは、十二歳を過ぎて少ししたころだっただろうか。

 冒険者であった父は、シャラの肩を掴んでそう言った。

 各地に蔓延る魔物を狩って価値あるものを持ち帰る生業。その冒険は、閨で母が語ったおはなしのように常に大団円で終わるわけではない。そのくらいは、理解できているころだ。

「必ず、帰って来る」

 父はこの街でも特に腕が立つと評判の冒険者であったが、わざわざ自分にそんなことを言い出すのは初めてだった。嫌な予感がした。

 案の定、その約束が果たされることはなかった。

「冒険者なんて、愛するもんじゃないわ」

 それは、父が行方不明になる前からの母の口癖。

「いつ帰るかわからない。帰って来るのかもわからない。そんな男を愛し続けるのも、待ち続けるのも、もううんざりよ」

 愛も恋もよくわからない時分でも、母の言葉の意味は分かった。シャラもまた、父の帰還を信じながらも、同時に不安を抱き続けていたから。

 結局、父は帰らなかった。

 でも、それで待つ女の日々が終わるわけでもない。酒場に勤めていた母は、目の下にしわを刻んでもなお美しい女だった。何度も男たちに言い寄られたが、死ぬまで相手を一人に定めることはなかった。

 かつて幼子であったシャラを褥に寝かしつけて、“かっこいい冒険者のおはなし”を聞かせてくれた母。彼女は心のどこかで待ち続けていたのだろう。もう帰らぬ男のことを。いつかひょっこり帰って来るのではという空虚な期待は、待つ者の胸に燈り続けるものだから。

 その母も十六のころに病で死んだ。両親を亡くしたシャラを引き取ってくれたのは、母が勤めていた酒場を経営していた夫妻だった。夫妻は元々、父の冒険者仲間だった。怪我で引退した後に冒険者御用達の酒場と道具屋を開いていた。

「俺のことは義理の親父と思ってくれていい。ああ。もちろん本当の親父さんの代わりにはなれねえが……アイツには何度も命を救われたんだ。少しでも、借りを返さねえとな」

「この人は優しいけど、女の機微はわからないから。不安があったら私に言いなさいね。何かあった時、生き延びた方が互いの家族を助ける……それが私たちとお父さんの約束だったの」

 子供がなかったこともあってか、夫妻は親代わりとして充分な愛情を注いでくれた。

 最初は主人の酒場と奥方の道具屋の双方で女給やお使いをして。十九歳のころに主人は酒場を大きくして、奥方も酒場の女将となった。その時にシャラは道具屋の看板娘として、店を任されることになった。

「お前に任せる方が問題ねえ。コイツは料理こそ美味いが、金勘定は雑だからな。お前の方がよっぽど上手くできる」

 主人はそう言って奥方にはたかれていたが、シャラにはわかっていた。夫妻は、自分の将来を案じてくれたのだと。

 道具屋の店番となれば、冒険者向けの薬の調合などもこなす必要がある。都の調合師や錬金術師には及ばなくとも、地方の街では解毒薬や薬草の調合が出来る人間はそれなりに重宝されるのだ。

「手に職をつけなさい。お母さんはあなたを冒険者にしたくないって、いつも言ってた。けれどここは魔物が多い分、実りも多い土地だから、冒険者が途切れることはないのよ」

 奥方はそう言って聞かせてくれた。いずれは独り立ちも考えてくれているのだ。シャラにとって、二人は第二の両親だった。

「ありがとう、ご主人。奥方も」

「そろそろ名前で呼んでくれてもいいんだぜ? 父ちゃんでも。あ、でも親父さんというのは勘弁してくれ。俺ァ、客からもそう言われてっからな!」

「あなたは黙って。余計な事いわないの」

 小突き合う二人と、笑い合った。

 同時に、後ろめたい気持ちを感じてもいた。

 二人には本気で感謝しているし、実の両親のことも愛していた。だがシャラの心にはいつも“冒険者”と謳われる人々への複雑な感情が陰を落としていたから。

 魔物の闊歩するこの世界で、刃と魔法とを駆使して人の世の脅威と闘う生業。

 そこには人の夢がある。

 怪物殺しの栄誉。一攫千金の宝。無限に広がる世界……。

 荒っぽい者も多いが、店を訪い薬や矢を調達していく者たちは、いつも礼を言ってくれる。酒場で笑顔を交わし、依頼や報酬を分け合う彼らは、義理の父母を敬い慕ってくれる。冒険者がギルドの依頼をこなして魔物を駆逐し、荒野や森から調合材料を採取してきてくれるおかげで、この街は賑わっている。

 それでもシャラは、彼らのことを心から好きになれない。

(「冒険者なんて、愛するもんじゃない……か。実際、お父さんは、お母さんを救うことは出来なかった。ずっと一緒にいれば、少なくとも最後は家族みんなで過ごせたのに……」)

 旅に出たまま行方が知れなくなった父。もし今も、どこかで生きていてくれたらと、願うこともある。だがそれは母と自分を捨てて逃げたということ。そうではないとすれば、つまり父は死んだのだ。

 冒険者は絶対に必要な生業だが、同時に明日の知れぬ仕事。自由気ままに生きると言えば聞こえはいいが、そう生きることの叶わぬ者に負を押し付ける。

 母の口癖は、いつしかシャラの心の中に芽吹き、毒々しく花開いていた。

 道具屋の看板娘という身の上に、母譲りの艶やかな黒髪と美貌。それ目当てに言い寄って来る男は少なくないが、シャラは決して相手を愛さない。二度、三度、良いかも知れないと思って情を交わした相手はいる。だが、街の若い男たちの多くは、自分を抱いてしばらくすると冒険に旅立ってしまうから。

「おかえりなさい、冒険者さん」

 帰還した男たちに、シャラはそう言って笑い掛ける。だがもう一夜を願う相手に、彼女は肩を竦めてこう語った。

「ごめんね。私、冒険に出る男の人のことは、もう愛さないって決めてるのよ」

 相手がどう望んでも、シャラは道具屋の客として以上に扱うことはもうなかった。そしていつしか関係は途絶え、時にはその男の足跡も途絶えた。

 冒険者など、そんなもの。そう思っていれば、心が痛むこともない。

 それでも、自分と床を共にした男が結局は冒険者であったり、冒険者になってしまうことには、ため息が漏れた。

(「きっと私は、お父さんの影を追ってるんだ……今でも、ずっと」)

 上目遣いに、いざなって。恋をさせて。網に捕らえた獲物を啜り、放り捨てる。まるで、蜘蛛のように。

 歪んでいる自覚はあった。もしかしたらそれは、復讐だったのかもしれない。

 母と自分を、待つ女に仕立て上げた“冒険者”への。

 だが、空虚な繰り返しにも、いつか終わりは訪れる。

 この時は、ラッカーと出会った時に……。

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