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転生者よ、我が鎮魂歌《レクイエム》を歌え  作者: 天勝翔丸
人間の誕生
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第80章 獣に名は要らない

 

 インガルの身体は明らかに大きくなっている。


「獣に名はいらない。きみに授ける名は学名だけで十分だ。個体名はいらないよ。発見者がそれに名付ける権利があるが報告する者にこそそれは与えられるべきだ。私がもっと良い名をきみに与えよう」


「失せろ、我らはこの名で十分だ。過不足なくこの名を冠している」


「剝ぎ取るのに手間は要らない。獣を教育するのは手段を選ぶ必要がないからね」


 インガルはひゅっと音を鳴らしたかと思うと瞬時にオデュッセウスの頭上へと飛んできた。

 組んだ両手でオデュッセウスを頭上から襲う。


 が、素早さはオデュッセウスも負けていない。それを避けると蹴りつけようとするがインガルもそれを避けた。


 唄がまた聴こえ始めた。


 インガルが笑った。


 オデュッセウスはこのインガルが笑うのもうんざりしていたがこの唄を聴くのにもうんざりしていた。


 これ以上にインガルのステータスを上昇させてしまうとどうなるか分からない。

 オデュッセウスは水竜の方から始末したかったのだが【水の宮殿】の防御は計り知れないほど高くなっていた。


 闘いは長引いた。

 オデュッセウスとインガル、水竜たちはほとんど互角だった。

 一撃では沈められない防御のある水竜が厄介だった。インガルならなんとかなるかもしれないと思って狙いを定めるのだが彼らはそれを理解したうえでオデュッセウスと相対しているので適切に対応していた。


 唄は続いていた。

 長すぎるほどたった。


 そして唄が終わる。


 オデュッセウスはほとんどなすすべなく唄を唄わせていた。


「よし、完成した。終わりだぞ、獣よ。きみの解剖が楽しみで仕方がない!」


 インガルが【山を掴む手】でオデュッセウスを掴んだ。それは明らかな手をしていたがそれまでとは違っていた。手の感覚が大きくとても厚かった。逃れられないという感覚がひしひしとオデュッセウスを襲った。人の手に掴まれた蟻の小ささ。


 めきめきとオデュッセウスの身体が軋む。


『力が倍増している』


『唄が完成したと言っていた。その効果だろう』


 水がオデュッセウスを覆い、手が身体を潰す。


 圧迫されて閉じ込められて行く。視界が狭まり、暗くなっていく。


『スキルが見える。この暗い空間の中で燦然と輝くスキルが』


【名付けの祝福】が輝いていた。

 暗き世に祝福の輝きがある。


 輝きはオデュッセウスに力を与える。名がなかったが故の与えられた輝き。

 孤独の誕生を奪い去った輝き。暗き場所が照らされていく。


 オデュッセウスたちはその輝きの中で初めて互いの顔を、姿を、眼を見ていた。


『今こそ我らを奮う時』


『燃えろ、この輝きを超えて』


『照らせ、この暗き世の影の中を!』


 カッと光が閃いた。

 余すところなく暗がりが輝いていく。

【名付けの祝福】の効果によって暗がりを照らす事が可能なだけの力が与えられる。


 インガルの【山を掴む手】を弾き、水の牢を吹き飛ばした。


 黒かった身が白くなる。


 インガルを強く見据えようとオデュッセウスが目を向けたが姿がなかった。


『うしろだ!』


 気配は背後にあった。

 インガルが錫杖を突き立てようと向かって来ている。


 オデュッセウスは錫杖の先を引っ掴むと曇り空の彼方の方へと投げ飛ばした。


 回転しながらインガルは空へと放たれた。


 オデュッセウスは錫杖を握り直すとその仕様を理解した。


「【名付けの祝福】を与えよう」


 錫杖が輝いていく。オデュッセウスの輝きが伝わって形が変わった。輪が厚く太くなった。


「山神ノ錫杖」


『雲を払い、敵を貫け』


 オデュッセウスは祝福を与えた山神ノ錫杖を投げ飛ばしたインガルが開けた空に浮かぶ雲の穴へめがけて投げた。


 雲を払い、【水の宮殿】の壁に錫杖が突き刺さった。


 晴れた隙間を縫ってオデュッセウスはインガルを追う。


 右腕の肘の辺りから右手の甲へと左手を滑らせた。


「悪魔の剛腕」


 右肘の下から拳までが輝いた。炎の煌めきと光輝の祝福が与えられて。


 オデュッセウスの突進はインガルが体勢を立て直した後になった。

 インガルが向かって来るオデュッセウスを迎え撃つために防御の構えを取っていた。


 その防御の構えの上からオデュッセウスは右拳を叩きつけた。

 骨骨が砕ける音が聞こえた。


 吹き飛んでいくインガルを追ってオデュッセウスは追撃を仕掛ける。


「インガル!!」


 水竜がレーザーを放ち、インガルの援護をするが今ではもう弾くことすら必要無くなった。


「まずい、唄え。教徒たちよ!」


 唄がまた始まった。


 大地に膝をつくインガルの前にオデュッセウスは立った。


「わ、私は研究をしなければならないのです。この世界の!」


「研究?」


「私はいつも研究をして来ました。研究者だったのです。見えないところを触る事の出来るスキルは非常に役立った。くそ、命さえあれば!」


 インガルは骨の砕けた腕を広げて命乞いをした。


 水竜がレーザーを放つがもうほとんどオデュッセウスには効果がない。


 オデュッセウスはインガルの首を掴んだ。


「研究があるんだ、私にはやりたい研究が!」


 インガルを光と闇が包んでいく。


 オデュッセウスの前には白衣を着た男が立っていた。

 ひょろりと背の高い男だった。痩せていて目が落ち窪んでいる。髪の毛はぼさぼさで気にしている様子がない。


『ここは?』


 オデュッセウスは答えなかった。そこはかつてオデュッセウスが生まれ落ちた場所とは様子を変えていた。


 光と闇が半々になっている。混じり合い、拮抗し、盛衰していた。光と闇の空間、朝と夜の空間だった。


 インガルこと瀬川勇気はオデュッセウスを見ていた。そしてとつぜんに笑い始めた。


『きみたちの事を誤解していた。個体かと思っていたが群れじゃないか。どういう生き物なんだ?』


『思い込みだ。お前の思い込みにまで責任は取らない』


『知らない生命体に出会ったのなら泣いて喜んだらどうだ?』


『我々は群だが個だ。そして個であり群なのだ。研究者というのならこの両方の矛盾する性質を持つ生命に名前を付けてみせろ』


 インガルは笑った。

 そして考え込み始める。


 オデュッセウスが待ったのはほんの少しの時間だった。


『決まったか?』


『言え、我らの名を』


『言ってみせろ。お前の考える我らに相応しい名を』


 インガルを囲うオデュッセウスの輪が縮まっていく。


『いや、待て。何か意味が必要だ。どのような意味を持たせようか』


 次はオデュッセウスが笑い始めた。大爆笑だった。ほとんど全員が愉快に笑っていたかもしれない。

 いや、獣と少女は暗がりの方でこの輪を見ていた。


『我らはオデュッセウスだ!!』


『いや、それよりももっと相応しい名前があるはずだ。もう少しだけ考えさせてくれ!』


『もう時はない』


 オデュッセウスがインガルこと瀬川勇気に襲い掛かった。


 そして魂が旅立ってゆく。その消えゆく方向は暗がりの中から上る光を背にして昇っていた。

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