第77章 失われたスキル
金色に包まれて行く中でオデュッセウスは咆哮を上げ続けている。
無音の中での咆哮は存在感を強くさせる。
この金色の中でオデュッセウスは確かに存在していた。黄金の色とオデュッセウスしかそこにはいない。
心地よい眠りの中へ誘われてまどろみの中へと漂い始めるとオデュッセウスは永遠の眠り、完成された黄金の作品の中の黒い点になろうとしていた。
そして作品が閉ざされて永遠の登場人物になろうとしていく。
『気をしっかり持て』
『我らはどんなものにも負けはしない』
『行くぞ、こんなところで眠っている暇はない』
胸をちくりと刺された気がした。
炎が燃え立っていく。
その時、初めてオデュッセウスは精神攻撃を少なからず受けているのを認めた。
『そうだ、我らは精神攻撃を受けないはず。なぜ、こんな影響を受けているのだろう?』
『分からない。スキルを確認しろ』
オデュッセウスがスキルを改めて確認すると精神攻撃などの作用を完全に無効化する【独立した誕生】が消えていた。
『スキルが消えている』
『なぜ、消えた?』
『旅立つ同胞が持って行ったわけではない』
『なら、なぜ?』
『誕生が独立したものではなくなったからだ』
『名付けられたがゆえに失ったのだ』
『ふん、その程度でなくなるスキルなら元より要らぬ』
だが、その中でも燦然と輝くスキルがあった。
【名付けの祝福】
『新たなスキルがある』
『そのようだ。我々のスキル。名付けと共にセシルから授けられたスキルだ』
『我らの名』
はっきりとしないまどろみの中で拳を握った。四肢に力が入らない。そこにいる事が、そこを漂う事が心地よい。作品の中で永遠の登場人物になった事を誇りにさえ思う。
だが、それに甘んじるわけには行かない。
咆哮を変える。
名を叫ぼうと思った。
『我が名はオデュッセウス!!』
全ての金色の泥がオデュッセウスの周囲から吹き飛んで行った。
遠くの方に居た御者や婦人や少年がとつじょ現れた作品中の個人を恐れて避けていく。
すると、黄金のススキ畑の向こう側が燃えている。黒く変色し、縁どられて中が暗い闇へと変わっていく。
ススキが消え失せていく。
『火だ』
『作品に火をつけたな。あの女』
『出るぞ』
『今なら出られる!』
オデュッセウスは黒い縁取りのされている輪の中の闇へと飛び込んだ。
めりめりと何かが裂けていく音が聞こえて来る。飛び込んだ闇の中に溜まる泥が彼らを包み込むがここ以上の暗闇を知っている。
オデュッセウスは力を込めた。固まる泥を突き上げるように拳で突き上げた。
全てが崩壊していく。
オデュッセウスは現実世界に戻って来ていた。
目の前でヨハナは驚いた顔をしている。
また新たな作品を取り出しているところが見えた。
とんと軽い跳躍でヨハナに近づくと水を鎧のようにまとった天狗姿のインガルが真横に迫って来ていた。
インガルの錫杖の一撃がオデュッセウスの脇腹へ向けられて突かれる。右手でそれを下方へ弾き、右足でそれを抑えるとその折れそうにない錫杖を足場にして飛び上がってヨハナの筆の一閃を避けた。
避けた宙への飛び上がりの勢いのままヨハナへと上空から襲い掛かる。
宙に浮かぶ宮殿から水流のレーザーが凄まじい速度で射出される。尻尾でそれを弾くとそのまま右の拳をヨハナへと叩きつけた。
寸前で避けたヨハナは地面にオデュッセウスの拳が突き刺さった衝撃によろめきながら転がってそこを退いていく。
「くそ!」
「ヨハナ、そこから逃げろ!」
インガルが叫ぶ。
叫ぶ間に錫杖を振りかざして構えた。右手に持って力を込めている。左手はオデュッセウスを【山を掴む手】で身動きを封じようとしている。そこへ錫杖の一撃と水流のレーザーを打ち込もうという算段らしい。インガルと水竜の共有するスキルの【山を掴む手】がオデュッセウスの身体を締め付けて来た。
あらん限りの力を振るい、その締め付けから抜け出すと舞い上がったインガルを相手にしないでヨハナを追った。
水の扉を砕いた。
水の壁を砕いた。
ヨハナの逃げる背中が遠ざかる。
インガルの見えない手がオデュッセウスの足を掴んだ。それを振り払う手間を惜しんでヨハナを追う。追うために足を動かせばインガルの手はオデュッセウスの足から振り払う事が出来ていた。
瓦礫を打ち砕き、水の壁を突き破ってオデュッセウスは逃げるヨハナを追った。
どんと水の壁を突き破ったその先にまた絵があった。
そこは兵士が並ぶ玉座だった。
厳かな建築物と豪華絢爛な内装、甲冑に身を包んだ様々な武器を構える兵士たち。
ずぞぞぞっと兵士の腕が絵から伸びてオデュッセウスの腕や足を掴んだ。
絵の中へとひきこもうとする。彼らの舞台なのだ。オデュッセウスはそれらを振り払い、ヨハナを追おうとするが伸びて来る手はどこまでもオデュッセウスの身体にまとわりついた。
それらを全て吹き飛ばすとオデュッセウスはすぐそばの建物に突っ込んでいった。
建物の中に入った。入るとヨハナの姿は見えなくなったが走る方向を定めて追った。
建物と建物の壁を突き破って走る。
オデュッセウスの姿を捉えられない水竜たちとヨハナは彼が通過した痕跡として崩落する家屋を見るばかりだった。
「インガル、あいつは?」
「分からない。建物の中に身を隠してしまった!」
住人は避難していなかったがここでいったいどこに安全な場所があるのだろうかとオデュッセウスは思った。
建物が崩落していく。その隙間を洞穴のようにしながらオデュッセウスはヨハナを追い続けた。
洞穴から一匹の獣が飛び出る獰猛さでオデュッセウスはヨハナに飛び掛かった。
ヨハナの細い首を掴んだ。
彼女の身体を持ち上げると少しだけ呻いた。
「くそ」
ヨハナが言う。
オデュッセウスを見つめる目は助けを乞うていなかった。
「捉えたぞ」
「ふん、捉えただけではどうしようもないと思うけれど?」
「それだけだと思うのか?」
ヨハナは答えなかった。
ヨハナが沈黙する間にインガルがやって来た。
「ヨハナ!!」
オデュッセウスはそのインガルに一瞥をくれた後にゆっくりと見せつけるようにヨハナを喰らった。
「次はお前だ、インガル!!」
オデュッセウスはインガルと対峙した。