第75章 空を泳ぐ水竜
オデュッセウスは燃えていた。
歓喜する人間と悲しみの獣がそれを燃やしていた。
憤怒の炎に燃えている。滾りながら熱く燃えていく。留まるところを知らないで熱くなり、大きくなっていく。
大聖堂を突き破るとても大きな水柱が上がった。その中にオデュッセウスは水竜の影を認めた。その影の傍にインガルが飛んでいるのも見える。
水竜の唄う声が聞こえる。
高い唄声が街中に響いていた。
「涼音」
瓦礫の向こう側から声が聞こえて来た。それはヨハナの声だった。すぐ近くにいたらしい。
インガルの呼んだ水竜の名前を知っているという事はヨハナと水竜、インガルとの関係を思わせる。
水竜の唄が終わった。
また新たな補助を受けている事だろう。そしてそれを共有もしているはずだ。
街の上空に大量の水をまとって水竜は宙に浮いていた。オデュッセウスを見ていると思った。
『行くぞ』
『ああ』
『行こう』
『すぐにセシルの遺体を埋めてあげたい』
『終わらせる。この街の全ての転生者を一掃して』
オデュッセウスは翼を広げて飛んだ。
水竜は涼音と呼ばれていた。その隣にいるインガルにも名がある。ヨハナにも、ローザモンドにも、アドネにも名がある。
そして今、この者も名乗る名を持っている。名付け親であるセシルから授けられた彼らの名を持っている。
「我が名はオデュッセウス!!」
この名乗りは唄の終わった街の中に轟き渡った。
「オデュッセウス?」
インガルが反応した。
「涼音、気を付けよう。これまでと雰囲気が違う」
水竜たちとオデュッセウスは300メートルほど距離が離れていた。
オデュッセウスは翼を広げて全身に力を込める。
解放と同時にオデュッセウスは水竜たちの背後を取っていた。
「消えた?!」
「インガル、後ろ!!」
インガルが振り向くとすでにオデュッセウスの接近を許していた。
構えを取るための時間もなかった。オデュッセウスはインガルの横面を殴り飛ばしていた。
力が溢れるオデュッセウスは身体がとても軽かった。
吹き飛ぶインガルを追ってまた迫る。ここで追い打ちを思い切り叩き込めばインガルは闘いに復帰できないだろう。
握りこんだ右拳を吹き飛んでいまだに体勢を立て直せていないインガルの胸元に叩き込もうと身構えると背後から水流の一撃が放たれた。
避ける必要などなかった。握りこんだ右拳を振るうと水流は弾け消えていった。
「インガル、立て直して!」
「あ、ああ。なんとか」
名もなき獣と名もなき人間に今、名がある。魂と肉体が完全な合致を果たしていた。
そして目の前の転生者たちは魂の名と肉体の名があるのだった。不完全な繋がりを前ではあまりに歪に見える。
インガルは明らかに恐れていた。天狗の姿に身を変えて水竜からの補助を受けているのにも関わらず途轍もないダメージを受けている。
「涼音、さっきとは比べ物にならないほど強くなっている」
「見たら分かる」
「お前たちでは勝てない理由がある。勝ち目は今やもうない。全てを差し出せ。お前たちの全てをな!」
水竜は浮いた水を集めて形を作っていった。それは宙に浮かぶ宮殿だった。水で作られた水の宮殿の中に水竜とインガルがいる。
オデュッセウスはそこへ向かって力任せに突撃していく。
中が透けて見える水の宮殿の壁にぶち当たった。宮殿の壁はとても硬かった。
「入れない」
「インガル、守りは強固にしている。中からは攻撃が出来るから。外には絶対に出ないで!」
「分かった!」
オデュッセウスを襲う水流のレーザーが宮殿から放たれる。
弾き、避け、突撃して攻撃をした。
瓦礫の山の中から【岩の王】で岩石を持ち上げた。それを放って攻撃をする。岩と水の攻防が繰り広げられたが岩は明らかに水に対して満足な効果を持たなかった。
オデュッセウスは勝利を確信しつつあった。【水の宮殿】は確かに水竜たちの防御をかなり強力にしていたがそれは籠城に見えた。水流のレーザーを放つたびに僅かに宮殿を作る水量が減少している。つまりは攻撃をするたびに防御が弱くなっているのだ。
確かに防御は薄くなっているがオデュッセウスの攻撃も通る事はなかった。
すると、それまで雨雲が立ち込めていた空の色が変わった。白く輝いている。光芒が射し込んでくるその光の中から槍や弓を持った天使たちが現れてオデュッセウスを囲んだ。
『なんだ、これらは?』
『敵だろう。どれもこれも薙ぎ倒せ!』
ひとりの天使がオデュッセウスへ向かって来た。槍を前に突き出して突進してくる。避けて殴り飛ばすとばしゃりと水を叩いた音を鳴らして飛び散った。その水はオデュッセウスの身体に付着した。色が付いている、まるで絵具のように。
「ヨハナだ!」
「そう、助力ならどんな物だって構わない。ヨハナは地上に居るのね?」
「おそらく!」
オデュッセウスの眼には瓦礫に囲まれた刑場の傍にいる彼女が映っていた。
【岩の王】で彼女を攻撃するが兵士たちが彼女を守った。
「オデュッセウス、あなたは死ななければならない。わたしの居た世界では処女懐胎という伝説がある。名づけは親のする行為なのよ。あなたはセシルが産んだ子供、処女だった彼女が産んだ恐ろしい子供なの。あなたは死ぬことで伝説となれる。そして死んだとしても伝説へ、復活するのならもうあなたは世界に刻まれる!!」
「訳の分からん事を。貴様の前世の事など聞きたくもない。失せるがいい!」
オデュッセウスが岩で攻撃しようとするが水の壁が彼女を囲んでいた。
天使の軍勢が空を覆っていた。無数の軍勢と宮殿に立て籠もる水竜たち。
オデュッセウスは喜んでいた。ここにいる全ての者が転生者だ。どれだけやっても構いはしまい。ここで全てを終わらせる。
「転生者よ、旅立つ者たちのために鎮魂歌を歌え。旅立つ全ての魂の安らぎのために!!」