第69章 来たれ、風の王
ミケルはローザモンドと対峙していた。
「分離が出来るなんて素晴らしいわ。これならみんな幸せになれる」
あくまでもローザモンドはミケルを求めるらしい。だが、そんな自由は許すはずがない。
ここから更に下では獣たちが激闘を繰り広げている。ヘルッシャーミンメルの姿に変わった獣と水竜、天狗に姿を変えたインガルが闘っていた。
ローザモンドは余裕の表情を浮かべている。まるで自分が死ぬなんて思ってもいないようだ。
「傷つけたくないの、本当にね。そのままで言う事を聞いてくれるならこれ以上の望みはないんだけれど。どう?」
乗るはずのない提案だ。
ローザモンドはゆっくりとミケルに近づいて来る。
熊に姿を変えて走り出す。ゆっくりだった歩みが走り出していた。
どしんどしんと足音を踏み鳴らしてやって来る。上体を上げて右手を突き出した。鋭い爪でミケルを攻撃する。
ミケルは鹿の大きな角を持ったホウラーヒッシュの姿に変わるとその力強い角で熊を迎え撃った。
激しい衝突が上と下で行われていた。地上は偶像崇拝を認めた美しい女に罰を与えるその瞬間を待つ教徒たちが叫び、唄い、踊る地獄絵図を描き出している。
ローザモンドは風を吹かせた。ミケルの身体を吹き飛ばす。見えない壁がミケルを押し付けるように壁際へと退かせた。
「なるほど。これが風か」
ミケルは体勢を立て直した。
ローザモンドが迫って来る。
熊に変わり、馬に変わり、犬に変わってミケルを翻弄しながらローザモンドは闘った。姿形が変わり、動きは敏捷になって捉える事が難しくなっていた。
ローザモンドは余裕を崩さない。
笑いながら闘いを続けるのだった。
身体の形を変えられるローザモンド、獣に姿を変えられるローザモンドをミケルは自分に似ていると感じていた。
だからこそ問わなければならなかった。問いたいと、問うべきだと思った。
「ローザモンドよ、お前、まさか俺になるつもりじゃないだろうな?」
ぴたりとローザモンドの動きが止まった。そして獣の姿から人の女性の姿へと変わった。地下道の暗がりの中からぬにゅっと出て来た。その様は少しだけ美しかった。汚れたあ美しさであるが確かに美だった。
長い手足と長い艶のある髪の毛、そしていくらか白い肌が暗い黒い場所から出て来た。
「どういう意味かしら?」
「その姿はお前本来の姿ではないな?」
ローザモンドは答えなかった。これまで転生者の肉体を目にした時にそこに入るべきだった魂が打ち震える時がある。それが全くない。
「芸術を求める、理想的な身体を見つける度に調べ尽くして真似る。そうだろう?」
「ふん、何を理想とするのは私の勝手よ。あなたは本当に素晴らしいわ。人間の手を全く感じない身体をしているわ。かと言って自然的でもない。要するにこの世界の理そのものからの誕生あるいはその理そのものなのよ。そしてそれを人が何と呼ぶか教えてあげるわ。神と呼ぶのよ」
「神などいない」
「人は人の存在を否定しないわ。でも、それは人が人と居るからなのよ。少なくとも隣に誰かがいたらそれを否定しない。あなたの隣に同じような生命があればそれを否定する事はなかったでしょう。でも、それはいない。誰があなたを形作ったのでしょうね。いったい誰がそんな事が出来たのでしょうね。あなたを手に入れられるなら私はなんだって捧げるわ」
「神などいない。居るとするのならお前たちと同様に殺してやる。その理を許した下衆どもを我らは許しはしない。ローザモンドよ、芸術はどうでもいい。我らも常に自問自答を続けてきた。姿を変えられるが故に我らの本当の姿とはなんだ? 獣となれるが故に我らの形とはなんだ? 我らは複数の魂が集まって出来上がった。自己とはなんだ? ローザモンドよ、お前もまたこの問いに直面しているはずだ。そして我らはこれに対する答えを今、得ようとしている。その力に、手伝ってくれる者が現れたからだ。答えろ、姿を変え続けた先にお前はどのように自己を得ているんだ?」
「芸術よ、芸術を向かう時に私は私になる事が出来る。あなたには分からないでしょうね。理解できないと思うわ。だって、私は紛れもなく人間だもの。人間の手で神へ迫る物を創り出そうとしているのよ」
「ふん。ならもう答えは決まっているな。神もその創造物も我らは破壊する。そのために生まれたのだ。お前もまたこの世界の理から生まれたのだ。そして死ぬ」
ミケルは爆発させた。この話をしている間に【憤怒の炎】を滾らせていたのだ。
どんと踏み込んで左手に力を込めた。そして振るう。
ローザモンドは風の力と姿を変える力を巧みに使ってその一撃を避けた。
「芸術は尊い物よ。そしてそれを理解しないからこそ獣になる。だけど、可笑しいわね。獣の方が人間よりも芸術に近い事があるのだから」
攻撃を続けるミケルをローザモンドは避け続けた。反撃も行っていく。ミケルも傷ついていたがローザモンドもいくらか追い込まれつつあった。彼女の衣服が徐々にぼろぼろになっていたのだ。
「地下道というのはお互い運が悪かったわね」
ミケルの一撃をローザモンドが大きく避けて距離を取った。
「どういう意味かは全て終わってから考えてね」
すると、そよ風が吹き始めた。
ミケルの身体に泥や苔がへばり付いた。風に乗って吹かれていく。
徐々に風が強くなって行く。
ついには轟々と吹く暴風となった。
ミケルが立っていられないほどにそれは強くなった。
「地下道か!」
地下道はほとんど全てが繋がっている。ミケルとアドネが作った通路があるが他を除けばほとんどが連絡し合っている。
吹き荒ぶ風が巡り巡って強くなって帰ってくる。地下道を循環する全ての空気が凄まじい勢いでミケルに襲いかかっていた。




