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転生者よ、我が鎮魂歌《レクイエム》を歌え  作者: 天勝翔丸
人間の誕生
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第64章 判決が下る

 

 地震が起きて街全体が揺れた。

 揺れはすぐに収まったが地震のあまりない地方であるために教徒たちはうろたえた。


 コードの看病をしていたクレイは眠る彼の身体がベッドから落ちないように抑えつけていたし、レーアは裁判所に張り付いてセシルの動向を見守り続けていた。


 2人の女性はこれが事前発生的な地震とは考えなかった。出所は分かっているような気がしていた。闘いがいよいよ激化していくのを感じている。


「この街はもう終わりだよ」


 レーアがぼそりと呟いた。


 レーアはミケルとセシルの事が心配でならなかった。


 彼女がそうした心配をよそに裁判が始まった。セシルは裁判所の傍聴席に入った。この裁判の行方を見守ろうとする人々の数は日ごとに増えて行っている。街の中を漂う不安と恐れがある少女の不信心、偶像崇拝から来ていると叫ぶ者は少なくなかった。死刑を望む者も多く、署名を集める者まで居たほどである。


 セシルの事をよく知るルイーゼ派の者たちは逆に恩赦を求める嘆願書を出したほどだった。

 だが、多勢に無勢で信仰を守ろうとする人々の方が圧倒的に多い。


「被告人・セシルはルイーゼ派の[獣の教典]の窃盗および偶像崇拝の疑いで告訴されている。訴人によると[獣の教典]を持って教会へ現れたとの事、そしてそれを持ち出そうとしていた事に加え、偶像崇拝は神以外の者に祈りを捧げていたという証言がある。被告人はこれらの証言が事実であることを認めるか?」


 セシルは真っすぐに裁判官を見つめると少しも物おじしないで口を開いた。その様はもうなにからなにまでの善を信じ切った口ぶりだった。


「はい、認めます。わたしはある昔ながらの友人が[獣の教典]が読みたいと言ったのでそれを教会から持ち出そうとしました。ですが、そこにあった書物を持ち出そうとしただけであってどうしてその本がそこにあったのかは分からない事です。次に偶像崇拝については真実です。わたしは神以外の者に祈りを捧げました。ですが、わたしは昔からその人に祈りを捧げていたのです」


「偶像崇拝を認めるのですか?」


「わたしはそればかりは否定できません。わたしはそれを肯定するからこそここへ来ることが出来ましたし、なによりわたしはその人を愛しています。大好きなのです。その人の事ばかりを考えています。今も、ずっと」


 レーアは頭を抱えた。


 セシルは真っすぐに裁判官を見据えて言った。


「審議に入ります」


 そうして裁判官は別室へと退室した。すると、セシルを非難する声で辺りは酷い有様になった。セシルはずっと前を見続けてそれに耐えていた。どうしてそれにそのままで耐えられるのかレーアには理解できなかった。


 少しでも適当にはぐらかして仕舞えば済んだ事だった。偶像崇拝を否定し、教典の事はあやふやにしておけば数日の拘留で済んだかもしれないのだ。


 誰もが愚かと思ったかもしれない。裁判官でさえも愚かと思った事だろう。


 別室で話し合う裁判官たちの審議は長引いた。この偶像崇拝する者がいったいどんな者を崇拝していたのかを知らなければならないという者ととにもかくにも偶像崇拝はこれまで死刑となって来たのだし、そのうえこの女はある派閥の教典をその者に提供しようとしていたのは万死に値すると言って死刑を求刑していた。


 そして結果が出た。


 裁判官たちは戦々恐々としながら戻って来た。裁判所は地獄絵図の有様で彼らが行う決断によってはその場にいる者たちは血祭りにあげられそうな見るも恐ろしい血気に逸った者たちで溢れていた。


 ある者はもうすぐ判決が出ると言って詰めかけて端で見ていたし、ある者は囲いの中へと入り込んでセシルの表情を見てやろうと飛び込んだ。だが、その者は腰を抜かして立ち上がれなくなると警備の者に連れていかれて裁判所の外へと放り出された。起き上がるなりその者は敬虔なる気持ちから裁判所の建物の上に置かれた神の像へと祈りを捧げた。


「なんだ、どうした。せっかく中で様子が見られたというのにもったいない事をしたなあ。追い出されるなんていったい何をしでかしたんだ?」


「被告人の女を見たのさ。教典を盗み、偶像崇拝をしているという女の顔を拝んでやろうと思ったのさ!」


「ほう、それで拝めたわけかい。どうだった?」


 尋ねた男に横から割って入った別の男が答えた。


「どうだもなにも泣いてるに決まってるさ。だって、死ぬんだぞ。火あぶりさ。悲しいけれどなあ。俺の爺さんが言ってたよ。火あぶりの時の悲鳴ほど恐ろしい声はないってな。街の外まで響く声で絶叫するそうだ」


「それが分からねえ。なんだってあんな静かな様子でいられるんだろう! 

 泣いてなんていなかったぞ!


 俺は母親を思い出したよ。なんであんな時に母親を思い出したのか分からねえけれどとにかく母親を思い出したんだ。美しかったぞ、一見の価値はある。あれを見る事が出来た代償が裁判所から追い出される事なら安いもんだよ。安すぎるほどだ。この右腕を差し出したって良い!」


「ほー、やられちまったってわけか。魂を抜かれたってわけだな。実際その女はルイーゼ派の美人だそうじゃないか。母親に会いたくなったのか?」


「ああ、会いたくなったね。もう居ねえがな。生きていたってどこに居るのかも分からねえ。俺は外からやって来たからな。でも、その一瞬で俺は故郷を思い出したよ。人の少ない浜辺を、漁から帰って来た船の様子を、俺は網にかかった魚を仕分けするんだ、親父が手際が悪いと俺を殴るんだ、漁場には髪の長い少女が居たっけなあ。俺はそんなことを思い出しちまった」


「へっ、こいつ絆されて感傷的になってやがるぞ。笑っちまうなあ」


「いや、これは俺も興味が湧いて来た。見てみたくなってきた、その女の様子を」


「おいおい、冗談だろ?」


「実際に男に故郷を思い出させる女ほど男の全てを掴む女はいない」


 そうして男たちが裁判所へ詰めかけていく。女たちはこの様子を嫌悪して遠ざかった。


「被告人・セシルは偶像崇拝および教典の窃盗の罪により。求刑通りに死刑を宣告する。これは明日、大広場で行うものとする」


 裁判所内は悲鳴のような歓声のような声で満たされた。

 レーアはすぐに出て行った。ミケルにこれを知らさなければと思ったのだ。


 そして面持ち静かなセシルは廷吏によって勾留所へと移されて行った。彼女を非難する言葉は嵐となって降り注いだが彼女はその場を早く去りたいとは思っていなかった。ゆっくりと歩いていく。その様子は悠然としすぎていて廷吏は怯えた。


 牢にセシルを入れる時、廷吏はあまりに静かなセシルを見ていた。その白い肌と美しい顔立ちに廷吏は自分の男に目覚めていた。


「何か言い残す事はあるか?」


 廷吏は尋ねた。本来はこんな事はしない。ただこの女の声がどんな声なのか気になったがゆえに問いかけただけに過ぎない。


「今、名前が決まりました。彼の名前が決まったのです。いくつか迷っていたのですがこれが最もふさわしいと思ったので」


 その顔は慈愛に満ちていて廷吏の全てを貫いた。声は透き通り、雨に濡れた衣服のように男の心を冷やした。


「明日、また来る」


「はい」


 セシルはそう答えて祈りを捧げ始めた。

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