第60章 渾身の一撃
扉を隔てて男と獣は対峙していた。恐らく両者ともそこに敵がいる事を理解していただろう。
訪問者がある場合にあるべき声がない。ミケルは用心した。
拳を固く握る。コードは格闘系のスキルを有していると言っていた。場を構築するスキルと動きを読むスキル。
もしかしたらその動きを読むスキルをすでに発動していてこうして扉を隔てた状態で状況を維持しているのかもしれない。
ミケルはそんな状況維持を望みはしない。
「転生者か?」
扉越しに尋ねた。
「なるほど。あの男の縁のある者か。お前があの男の言っていた神の使者か?」
ミケルは答えない。神など知らない。それがなんであれミケルには良き者とは思えないのだ。
「ふん、言葉を持たないか。獣、神からの獣だな」
太いアドネの声の調子が変わった。家の中に人の気配はない。インガルがどこかにいると思っていたミケルは2対1の戦闘を想定していた。
『始まる』
『炎を燃え立たせろ。我々にはそれが必要だ!』
『全てを捧げるのだ、今のこの時に!!』
『名を捨て、世を捨て、身体を捨てた!!!』
「「「「「覚悟は出来ているか、転生者よ!!!!!」」」」」
ミケルは扉を押して家の中へと突っ込んだ。ばきっと扉が破壊されて押し出されていく。アドネはその突進を抑えた。
拮抗。扉を挟んで両者は互いの姿を未だ見ぬまま力を振るいあった。
「【死闘領域】」
アドネを中心に場が区切られた。それほど広くはない。
「これだな。コードが言っていた場を整えるスキルというのは」
「ほう、あの男はまだ生きていたのか。存外しぶといな」
ミケルの掴んでいた扉を奪ったアドネはそれをぶんと一回転させて振り回すとミケルの方へと投げた。
それを避けるとアドネの方へ向かって突進して行く。
アドネは構えをとっていた。それはコードの時の構えとは違っていた。
【鋭い羽根】を使ってシャアフニーギィの羽根を射出した。無数に飛来するそれをアドネは避けもしないで受けきった。あくまでも突進してくるミケルを迎え撃つつもりなのだ。だが、【鋭い羽根】はアドネの硬質化した肉体に傷一つ付けなかった。
突進するミケルはアドネに襲い掛かる直前に少年の姿からネクタネポの獅子の姿に変えた。獅子の太く鋭い爪と牙でアドネに襲い掛かった。
「驚いた。クロイン派の獣のスキルだな」
「神などいない!!」
「同感だ!」
獅子の胴体に蹴りを入れるアドネは体勢を立て直した獅子に追撃を食らわそうと迫る。
が、獅子は尾の方から【幽霊の手】を伸ばしてアドネに精神攻撃を図った。
迫る手を避けてアドネは距離をとった。
そのアドネの判断は正しかった。それに反応が速すぎる。ミケルはコードが言ったようにアドネは動きを先読みするようななんらかのスキルを持っていると踏んだ。
つまりは【死闘領域】と先読みのスキル、格闘補正のスキルだ。
3つ持っている。
なにも恐れる事はない。
ミケルは笑っていた。嬉しいのだ。悲しみを吹き飛ばすほどに転生者が現れた事が嬉しい。
すると、アドネが地面に手を付いてぐいと引き上げた。ミケルに向かって地面から棘が生えて来る。
かなり速い速度で迫るそれを当たる寸前のところで避けた。
4つ目だ。
「4つ持っているのか。スキルを!」
「ふん、お前も同じだろう」
地面から岩を切り出したアドネはそれをミケルの方へと投げつけた。
岩は【死闘領域】の境界に当たると粉々に砕け散った。
ミケルはアドネに迫り、攻撃した。アドネはそれを避け、攻撃する。
躱し、撃ち、受け、蹴り、ありとあらゆる攻防が行われ続けた。
ミケルも傷ついていたがアドネも傷ついていた。
闘いが長引けば長引くほどミケルには有利だった。徐々に【憤怒の炎】の力が発揮されている。遅まきながら力が溢れて来るようになっていた。
アドネもそれを察しているようだ。先読みのスキルが闘いを長引かせるのは不利だと教えているのだろう。
アドネの攻撃は単調と復調を織り交ぜるように工夫がなされていた。一筋縄ではいかなかった。
初めは拮抗していた力も今ではミケルが少し上回る程度になっている。先読みのスキルがあるのなら逃げる選択肢もあるはずだった。【死闘領域】を解いた瞬間が逃げる瞬間だと思っているミケルはその時こそ狩りの絶好の機会だと今か今かと待ち構えていた。
それでも詰将棋をするような導かれる確信的な勝利を手に入れるためにアドネは気を窺っている。眼がミケルを見て離さない。
何かあるのだとミケルは勘づいた。
アドネはもうひとつやふたつの奥の手を隠し持っているに違いない。
「ふん、4つ目のスキルを使った程度で驚くとはな。お前も複数個のスキルを有しているじゃないか」
「そうだな。だが、転生者でも4つのスキルを持っている者は少なかった。インガルとハドゥマも3つだった」
「そうか、あれらと闘ったのか。ハドゥマを始末したのはお前か?」
「そうだ。いずれインガルも始末する。もちろんお前もな」
アドネは笑った。
ミケルにはそれが「不可能だ」と言うような嘲笑に聞こえた。いや、不可能ではない。現にこの戦闘で傷が多くなっているのはアドネばかりで今ではミケルはほとんど傷が付いていない。それだったのにミケルは余裕を保てなかった。アドネに与える傷はかすり傷ばかりで深刻なものではない。それが増えたという事は見極められつつあるという事ではないかとミケルは思った。
ぎりぎりの最小限の回避で済ませているのだ。
「インガルとハドゥマはスキルを3つしか保有していなかった。あれらの上に立っただけで俺たちに勝とうと思うのは気が早い」
ミケルの攻撃をいなしたアドネの右拳の攻撃がミケルの胴を打った。衝撃は先ほどよりも強くなっている。回避の最小限の動きが攻撃の最大限の動きへと転換されている。
戦闘経験はアドネの方が多いだろう。慣れているのだ。
「その笑み、その余裕を消してやる」
「不可能だ」
勝利を確信しているような不敵な表情をアドネは浮かべていた。
ミケルは構えを大きくとると人型の姿をさらに大きくさせた。アドネと並ぶ大男となると力を込める。
突進して行くミケルの速度は目にも止まらぬ速さだった。最初の戦闘の突進とは比べ物にならないほどの差が出来ていた。今度ばかりはアドネも受けはしないだろう。
アドネは待ち構えていた。彼はミケルの能力がどんどん向上している事を知っていた。力強くなっていく攻撃、軽やかになる身の動き、撃った時の強靭さ、あらゆる要素が早期の決着を促していた。
アドネのスキル【勝者への道】が彼に勝ち筋を教えてくれる。
今がその時だった。力任せに突進してくる獣に武を持って太刀打ちするのだ。いわば彼は理を持って相対したのである。
どんと地面から壁がミケルの前に突き立った。ミケルはそれに勢いよくぶつかった。すぐに横に逸れて行こうとするが横にも上にも地面が出来ていた。
ミケルは圧迫されている。ぼこぼこと地面は形を変えてミケルの身体を押していった。背に付いた地面が腹に付いている地面と合わさろうとしている。上下左右前後を岩盤に包まれていた。だが、こんな圧迫がどうなるだろう。苦にもならない。
ミケルは更に燃え立った。ハドゥマもインガルもそしてこの男・アドネも囲い圧す事をしてくる。ミケルにとってそれほど嫌いなものは無いのだ。そして強い拘束を乗り越えて来た。どれもこれもあの場所の圧迫ほど強くない。
ミケルは持てる力の全てを爆発の勢いで発散させてその岩盤の全てを吹き飛ばした。
その瞬間にミケルはアドネが目の前に立っていたのを見た。ミケルが吹き飛ばした岩の数々が彼に当たったが微動だにしていない。渾身の力を込めて右拳を突きのために引いている。
そしてアドネの全力の一撃がミケルの身体に撃たれた。凄まじい音が響いた。