第58章 【死闘領域】
コードは万全ではなかった。
悲しい事だが彼はそのまま戦闘へ向かわなければならなかった。
闘いは突然やって来る。
アドネは悠然としていてコードを待っていた。
コードは【赤熱の4つ足】を発動させて灼熱を帯びた。
【武の資質】で格闘補正と若干の身体能力向上が入る。そして【狂信者の瞳】が大幅に身体能力を向上させていた。
コードのスキルは3つある。記憶にある限りは2つだけだったが宗教に入り、信仰を積んでいくうちに【狂信者の瞳】を得たのである。前世の記憶はもちろんない。
ミケルから転生者の話を聞いた時にコードは思わずどきりとした。彼とは長く関わらないようにしようと思ったのに彼の意志が入り込んだように人に同じ事を尋ねていた。
それを可笑しく思った。
もし生き残れたなら彼にこれを伝えようと思った。
突進して行くコードは右手を引いた。
渾身の力でアドネの横面をぶん殴るためにそこへめがけて放った。
するりとコードの拳を避ける。だが、灼熱が避けたアドネの髪を焦がした。
コードは拳が伸びきる前に反撃を警戒して身を引いた。
アドネは焦げ付いた髪を後ろに撫でつけた。
彼の身体は鍛え抜かれた身体をしている。筋骨隆々の身体をしていて肩から伸びる腕は女のクレイの腰よりも太かった。
「武術を使うとは相手が悪かったな」
アドネは力強く両足を地に付けるとパンと手を鳴らしてスキルを発動させた。
「【死闘領域】」
アドネを中心に半径15メートルほどの時が止まったようだった。無風になり、日差しも弱くなった。
「ここは?」
「外界からの干渉を遮断した。ここでは1対1だ。俺も武術を嗜んでいる。もう一度だけ言おう。相手が悪かったな」
「ふん、相手が何であれ、私のやる事は変わりません。祈れ、もしくは死ね。神はそれでもあなたをお許しになるだろう」
「神などいない」
アドネの言葉はコードに対する挑発だった。そしてコードは乗った。乗らないわけにはいかなかった。
コードは右拳を突き出した。ごうっと音が鳴る。
これもアドネは避けた。その動きにも無駄はなくコードの懐に潜り込むとコードの胸元に右掌底を打ち込んだ。
凄まじい衝撃にコードは吹き飛んだ。呼吸が止まり、コードは呻いた。
路上を転がるコードが体勢を立て直すのをアドネは見ていた。
「そうですか。あなたも武闘派なんですね」
それもコードの【武の資質】よりも強い補正が入っている。
鍛え抜かれた肉体、厚い筋肉の要塞が目の前にある。
コードもそれなりに鍛えているし、武の鍛錬も行って来た。
立ち上がるとコードは最も得意とする構えを取った。彼は力で押し込むよりも技術で打撃を当てる闘いを選択して来た。【赤熱の4つ足】が当てさえすれば大きなダメージを相手に与えてくれるからだ。
対するアドネは明らかに力で押し込む型だった。
首をごきごきと鳴らしてアドネが歩いて来る。
コードはアドネの攻撃に合わせてカウンターを見舞うつもりだった。
アドネの身体が沈んだ。「来る!」とコードは思った。だが、アドネの方が一枚上手だった。コードの「来る!」という身構えとカウンターを意図した気構えを読み取ったアドネは直進からの攻撃を止めて右に大きく弧を描きながらコードへ向かって来た。
左手を前に固く握りしめられた右拳を引いている。
コードはアドネの初手から合わせるつもりだった。
とんと軽やかに跳躍するとアドネは右脚でコードの頭部へめがけて蹴りを放った。
防御にも回れるのがコードの【赤熱の4つ足】の便利な点だ。コードはその蹴りをいなすと着地したアドネに向かって右拳を放つ。
コードの攻撃をものともせずにアドネは突進した。コードの腰に組み付いたアドネはそのまま壁際にコードを押し付けた。建物はぐらぐらと揺れた。前と後から押されたコードは完全に呼吸が止まり、苦し気にまた呻いた。
だが、組み付かれたのは良かった。
コードはアドネの肉体をその手で掴んだ。
灼熱で焼くつもりだった。
それなのにアドネの肉体は熱の影響を強く受けなかった。肉体がコードの灼熱の高熱を通さないほど硬質化しているのだ。
強いとコードは思った。そしてかなり不味い。
組み付かれて良かったと判断したのは【赤熱の4つ足】の効果を期待したためであるがこれがあまり良くなかった。
不味い。アドネには勝算があって組み付いたのだ。
だが、どうしてその勝算を導けたのだろう。アドネの行動には迷いがなかった。コードのカウンターを狙った身構えも意図も全て読まれていた。
3つ目のスキルに違いない。
アドネは間違いなく転生者だとコードは思った。
組み付いたアドネをはじき返す力はコードにはなかった。どれだけ肉体を強く、大幅な能力向上を受けていてもそれは不可能だった。
持てる力を持って遂行しなければならない。
コードはただ精神力で持ち直すとアドネの力に抗った。
「お前は転生者だな。絶対にそうだ。前世の記憶があるらしいじゃないか。それを聞いてみたいがまたにしよう。私には私の記憶がある。前世の記憶と今世の記憶、どちらが正しいお前の記憶なんだ?」
「くだらん問いかけだ。そんな事をしている間に死を迎えるぞ、狂信者よ」
「乖離する記憶と合致しない魂と肉体、そんな歪の中でよくも生きられるものだ。きみのような者にこそ”祈り”が必要だと言うのに不信心者は救われない。お前たちを見ていると私には彼を異物と思えない。お前たちという異物を取り除く清浄作用が彼なのだと思えてしまう」
「彼?」
コードはこの期に及んで新たな発見に恍惚となりつつあった。
「そうか、彼は神の使者なんだ。この世界を侵略者から守ろうとする、教徒たちを深い信心へと導く使者。私もあなたのために働きます。あなたに助力する、今こそ私の意志で!!」
組み付くアドネの身体を焼こうと四肢に力を込めた。熱が硬質化したアドネの身体を焼こうとする。
太い左肩と左腕でコードの身体を抑えるとアドネは右拳を思い切り強く握りこみ、渾身の力でコードの腹部にそれを見舞った。
何もかもが砕ける音がした。アドネの拳はコードの身体を通して背後の建物へと衝撃波が伝わって建物を半壊させた。幸いな事にそこに人はいなかったらしい。
その一撃で全てが終わっていた。
コードの身体は力なく地上へと倒れこんだ。
アドネはそれを捨てると崩れて来る建物から離れた。
置いていた荷物を手に取って再び歩き出す。
「哀れだな。狂信者という者は。頼れるのは己のみよ。武術を嗜んだ上でそれへと至らぬとは修練が足りない。来世で目指すがいい。もしそれがあるのならな」
【死闘領域】を解除してアドネはそこを立ち去った。