第57章 コードの闘い
コードは飢えていた。
食事は少し前に済ませていた。がつがつと食べた。
それなのにまだ飢えている。
この飢えがどんな不足による物なのか彼には分からなかった。
睡眠かもしれないと彼は思った。彼はクレイたちと行動を共にしてから丸2日満足に睡眠を取っていなかった。
だが、眠れない。スキル【狂信者の瞳】が働いて彼を戦闘状態にさせている。
なぜ人は”祈り”を忘れるのだろう。コードは1日たりとも忘れた事がない。
友達は限りなく少ない。友もまた”祈り”を忘れるタイプの男もあってその度に彼は粛清しなければならなかった。
女性とも親密な関係になった事がない。唯一、彼が長い時間を共に過ごした女性はクレイだったと言えよう。
寝るのも忘れ、女を想う事も忘れてその分だけ“祈り”を捧げた。
コードはそうして生きて来た。
今も3人の不信心な教徒の命を奪った。
祈りを忘れてはならないのだ。
コードはハドゥマの例をいつまでも考えていた。彼が死んでからミヒャエル派の2つの命が無くなった。あの[仮の命]はミヒャエル派の死を乗り越える教義の根幹をなすものだった。
ハドゥマがあれを授けていたのだから当然とも言える。コードはあれをどうやって授けていたのか調べなくてはならなかった。
教義が力を失えば信心もまた失われる。
これ以上に“祈り”を忘れる者を増やす事はなんとしても避けたかった。
殺人が行われ続け、各宗派の神父が数人(インガルやアドネ、ハドゥマ)が姿が見えなくなった事は教徒たちを不安にさせた。
終末観がよりはっきりと街の中を満たし始めていく。ある噂では姿を消した神父たちは亡くなったか信仰を放棄して街を出て行ったと囁かれていた。
コードは不信心者を探して街の中を練り歩いた。これまでにも見つけたら家まで追跡し、夜に始末した。それが今や見つけたら人気のないところに行くまで待つか誘導して始末していた。
調べるべき事とやるべき事が多すぎた。
疲労と極度の睡眠不足とでコードはふらふらになっていた。頭痛すら起こしている。
だが、そうしたものを解消するよりも彼の使命感が不信心者を探す事へと彼を突き動かした。
いよいよ彼はどうにもならないと思ってある教会へ入った。
この時にはもう彼はそこがどの派閥のどういった教会なのか全く分かっていなかった。
睡眠が必要である事を説明すると彼は教会の奥の寝台を提供されてそこで眠った。
どれだけ眠ったか分からないがある焦燥感、眼の奥が焦げ付く感覚に脳を焼かれる熱さで目を覚ました。
まただ。不信心者がいる。それもごく近くに。
なんという事だろう。この街はかつてないほど“祈り”を忘れた者で溢れている。こんな事があっていいのだろうか。
「いや、あってはならない事です」
コードは跳ね起きた。身だしなみを整えて拳を握った。すぐにも向かわねばならない。
不信心者の居場所は分かっている。教会を出てすぐのところにいる。そこはコードの記憶が正しければレストランになっているはずだ。
外へ出るとコードに寝台を提供してくれた教徒が敷地内を掃除していた。それはあまりに信心の深い行為でコードを安心させてくれる。それなのに目の奥は熱いほど疼く。
この信仰の清らかな聖域に不純物が混ざっていてはならない。その不純物を見分けられるコードは生まれながらに使命を持っているのだ。
「もういいのですか?」
掃除をしている教徒が尋ねた。
「ええ。ありがとうございました」
改めて見たその人物はクロイン派の神父であるアンゼル神父だった。
「まだ顔色は優れないようですが。いつでもいらしてください」
「ありがとうございます」
コードは身体に鞭を打って進んだ。
そしてレストランにたどり着くとその人物を凝視した。
その人物は角の席に座っていて顔は見えなかった。身体の大きい男で要職にある者と判断が付いた。
男が食事を終えて立ち上がった。対面に座っていた男の肩に手を置いて二言三言言葉を交わすと出口の方へ歩いてやって来た。
コードははす向かいの物陰に身を隠した。
のっそのっそと歩いて来る。
レストランの扉を開けて男が店の外へ出て来た。
それはヴィルヘルム派のアドネだった。
この時ほどコードが怒りを起こした事はなかったかもしれない。
「この街の神父はひとり残らず“祈り”を忘れた不信心者なのか!」
眼の奥が疼く。
アドネはヴィルヘルム派の教会の方へと向かった。
食事が美味かったのだろう。アドネはご機嫌に見えた、
もう待っていられない。コードはアドネを追いかけた。
見つかっても構わなかった。
街を歩いているアドネは陽気だった。市場を歩いて果物を手に取っていくつか購入した。革製品を物色したし、日用品や食材を買い込んだ。
両手いっぱいに購入品を持って歩いている。それは多すぎるようにも見えた。
コードはアドネの行く先に先回りして待ち構えた。
人通りは少なかった。中心部から少しでも離れると人の数は少なくなった。街中にある殺人事件を警戒しての事だろう。
そしてアドネがやって来た。
コードはそっと物陰から身体を出してアドネの前に立った。眼の奥が痛い。焼けるようだ。その全てはこの男が原因だ。
「ごきげんよう」
コードが言った。アドネは答えなかった。
「“祈り”を忘れていませんか?」
コードは構わずに続けた。
アドネはコードが尋ねる事に注意を払わずに歩いてやって来る。コードの血走った眼と震える拳に気付いているかは分からない。
「あなたは神父では?」
アドネがコードの隣を通り過ぎた。
冷たすぎるほどの無関心だった。神父がこれほど教徒に対して無関心である事が有り得るだろうか。
コードは拳の震えが全身の震えへと移ったのを感じた。
「あなたは、転生者ですか?」
ぴたりとアドネの歩みが止まった。これは賭けだった。ある人物からの受け売りだったが功を奏したのかもしれない。
「転生者という者がこの宗教を隠れ蓑にして何かを企んでいると聞きました。あなたもそれに関与しているのですか?」
「祈りを忘れた事はありませんよ」
アドネが言った。それは嘘だった。
「それは嘘だ。なんという嘘だ。不敬にもほどがある。なぜ、嘘をつくのですか?」
ようやくアドネが振り向いた。そしてコードと対峙する。持っていた購入品を建物の壁際に置いた。
「なぜ、嘘だと思うんだ?」
「私のスキル【狂信者の瞳】が“祈り”を忘れた教徒を教えてくれるのです。これが間違った事はない。あなたは“祈り”を忘れている!」
「なるほど、最近の街の中の殺人事件はお前の犯行か」
「あなたは何者なんですか?」
「何者とは?」
「教徒なのか、神父なのか、転生者なのか、それともただの人なのか?」
「ふん、くだらん問いだ。答える価値もない」
「いいえ、価値はあります。人は人たるべきだ。自分を分からない人間に迷える者を導けるはずがない。あなたは転生者なのですか?」
アドネがシャツの袖をまくった。
ある通路で闘いが始まろうとしていた。




