第49章 狂信者の瞳
ミケルたちが去って少し経ったぐらいにクレイは目を覚ました。
目の前に黒狼がお座りの体でいるのを見て彼女は優しく微笑んだ。
「なんだ、お座りできるじゃん」
ぼそりと呟くと彼女はそこが街路であって人の家の壁にもたれて眠っていた事に気が付いた。
「あれ、なんでこんなところに?」
クレイは立ち上がって辺りを見た。すぐ傍にはヴァイオリンが置かれているのでどうやらハドゥマとの闘いは夢ではないと分かっている。
「あんたがここに連れて来てくれたの?」
尋ねられて黒狼は頷いたような動きを見せたかと思うとゆっくりと4つ足で立って大聖堂の方を見た。
そんな黒狼を見て抱きつくクレイは喜びを露わに黒狼を抱きしめて礼を言うのだった。
「ありがとねー」
よしよしと言葉にしながら頭や顎の下、背中から尻尾までを撫でる。思いのほか気持ちが良いのか黒狼も少しだけ満足気だった。
「あれ?」
黒狼を撫で回した後にすっくと立ち上がるとぴょんぴょんと飛び跳ねたり、身体を捻ったりしていた。
「なんか、いつもよりも身体が軽い気がする。てか、視界も明るい気がする!」
脳が発熱して脳炎のような症状を出していたのにクレイはミケルの【治癒の掌】ですっかり良くなっていた。元からのうつ病めいた感じも無くなっている。
「よーっし、じゃあこのままミヒャエル派の悪事を暴いてやるぞ!」
握りしめた拳を高く突き上げて彼女は宣言した。
「あれ、コードは?」
クレイは黒狼に尋ねた。いくらすっかり良くなったとはいえ獣と話せるようになった訳ではない。それなのに彼女はまるでそれで返事がもらえると言わんばかりに黒狼を見ていた。
黒狼は大聖堂の方を見た。
「そっか、あっちに行ったのね。よし、追うわよ!」
クレイは大聖堂へ向かって小走りに駆け出した。
「なんだかとっても身体が軽いの。今なら街を一周したってへっちゃらよ!」
クレイの治癒はかなり功を奏したらしい。とびきりの元気を持って彼女は復活していた。
「ハドゥマの企みを暴いた後はぱあっとパーティーしましょう。そしてゆっくりと散歩するの。あんたも色んなところに行きたいでしょ?」
黒狼はもちろん答えない。だが、彼女はふわりふわりと振られる尻尾を肯定と取った様子でうんうんと頷きながら大聖堂の方へ向かっている。
そしてコードは居た。彼は街路を行っているがこちらの方は酷い状況だった。ふらふらで足取りはおぼつかない。
「ちょっとどうしたのよ?」
壁に寄りかかってずりずりと身体の側面を引きずるようにコードは進んでいる。
「元気になったようですね。まあ、思ったよりもハドゥマ神父の精神攻撃が尾を引いているようです」
「休んだ方が良いんじゃないの?」
「そんな暇はありません。私は私のするべき事をしなければ」
「なによ、それ?」
「ふん、話したところで分かりませんよ。あなたは”祈り”を忘れていない。敬虔なる教徒だ。あなたのような方は私に安らぎを与えてくれるのです。ですが、”祈り”を忘れた教徒、これだけはダメです。耐えられないのです。私のスキル【狂信者の瞳】は心身の能力を底上げしてくれるスキルなのですが周囲に”祈り”を忘れた者がいればいるほど上昇するのです。
そしてその人物が分かる。あの時にハドゥマ神父と対峙した時に私の能力は向上し、そしてハドゥマ神父が”祈り”を忘れている事を教えてくれた。これを正さなければなりません。間違っています。すぐにも”祈り”を忘れないように粛清しなければ」
「あんたも苦労してんだね。でも、私たちの目的って同じじゃん。協力しようよ。こんな時にミヒャエル派の教義なんて言ってられないでしょ?」
「いいえ、こんな時だからこそ教義が重要なのです。神父が“祈り”を忘れた宗派が長く続くと思いますか。思うのでしたらそれは甘く考えすぎです。絶対に長く続きません。神父というものはそれぞれの性格や特徴はあれども“祈り”を忘れてはならないのです。そうしてあやふやになってしまうからこそ教義だけは守らなけらばならないのです」
コードは頑なだった。
「じゃあ、どうするの?」
「私はこのまま行きます。あなたが行きたいのならお好きなようになさってください」
「良いけどさ、ハドゥマの居場所は分かってるんだよ。あんたも用があるのなら一緒に行った方がいいんじゃない?」
クレイが言うとコードは沈黙していた。確かにそうした方が良い。そうとコードも分かっているはずだ。
「あなたが先に行ってください」
「分かった」
大聖堂への距離はだいぶ縮んでいる。すぐにも着くだろう。
クレイが歩きだしてから後ろの方でずりずりと引きずる音が聞こえる。コードの調子はまだ戻っていないらしい。それだったがいつからか音は聞こえなくなって大聖堂に着くころにはコードはしゃきっとした様子でクレイの隣に立っていた。
「大聖堂にいるのですね」
「うん、きっと準備してるよ。待ち構えてる。だから、私たちもじゅうんびをしていくべきだと思うんだ」
「うん」
クレイは笑うと近くにあった民家の扉を叩いた。
中からその家の奥さんらしき人が出て来てクレイと話し込んでいる。
「あの娘、明るくなりましたね。これもあなたの影響ですか?」
「さあな、知らない」
「あなたたちは何者なのですか?」
「転生者を信じないお前たちに話したところで理解できないだろう」
「あなたはハドゥマ神父を追っている。神父がその転生者だと言うのですか?」
「可能性があるというだけだ。実際にルイーゼ派のインガルは転生者だった」
黒狼の言葉にコードは驚いた。
「そんな、まさか。転生者を見分ける方法はあるのですか?」
「スキルを2つ以上有している事と前世の記憶がある事だけだ」
「スキルを2つ以上ですか………」
コードは黒狼を見下ろして僅かに微笑んだ。
そして何度も頭を下げながらクレイが戻って来ると彼女は手に綿を持っていた。
「これだよー」
クレイがコードに持っていた綿を手渡すがコードにはそれをどうしたらいいか分からない。
「綿?」
「うん。耳に詰めなよ」
そう言われてコードは初めて納得した。
「なるほど。これで音の攻撃を緩和するわけですね」
「そう。私は自分の音も聴こえなくなっちゃうからやらないけどね」
「私が前線を張ります。この黒狼も力になってくれるでしょう」
「頼んだよ。ねー、あんたは強いもんね!」
クレイは黒狼の頭や顎の下を撫でた。それがまた気持ちよさそうなのだった。
「行きましょう。私が先行します。あとはあなた方のお好きなように」
「うん、後でね。寝返っちゃ嫌だよ」
「ご心配なく。あなたが“祈り”を忘れない限り私は敵にはなり得ません」
大聖堂の中へ入った。
人はまばらにいる。誰もが敬虔なる教徒らしく“祈り”を捧げている。コードはいつもここへ来ると新鮮な気持ちになる。喜ばしい気持ちになる。
そしてそこに不純物がある。この美しい敬虔なる気持ちに溢れている場所に棘のように鋭く突き立った物がある。
それがとても痛ましいほどコードを苛立たせる。その棘の先で突かれるのだ。
「下ですね」
コードが言うとクレイは頷いた。
「きっと地下神殿だね」
「相手もそれなりに準備している事でしょう」
「うん」
地下神殿へと繋がる部屋へ入るとそこは誘われているように扉は開かれていた。
階段を下りていく。
地下神殿の広い空間の中央にハドゥマは居た。演奏会の時に使用していたコントラバスの傍に立っていた。
ハドゥマは一礼して椅子に座ると弓を持った。
クレイは咄嗟にヴァイオリンを構えた。
コードと黒狼が階段を下りていく。
演奏が始まった。




