第47章 偶像崇拝
ヨハナの自宅兼アトリエは遠かった。クロイン派の教会からかなり離れた土地に建てられていた。
「ずいぶん遠いところにあるんだな」
「疲れたかな。散歩が趣味だからね。歩いているうちにいろいろなところへ行ってしまう。私はそれほど遠いと感じた事はないんだけどなあ」
ヨハナの自宅はとても大きかった。それなのに自宅のほとんどは描いた絵や真っ白なキャンバスで埋められていて数人の使用人が忙しなく働いている。
広い中庭があり、そこの一角には仮の屋根が設けられていてその下には4メートルほどの巨大な絵が描きかけのまま置かれていた。
「描きかけの絵もたくさんあるんだ。一筆だけ描いては別の作品に取り掛かってる。ミケルを描けるなんて全ての作品を後回しにしたっていいぐらいだよ」
「時間はない。するならすぐにやろう」
自宅の案内などミケルには興味がない。家の広さなど興味がないし、どれだけ豪奢であっても意味のないものなのだった。
アトリエに案内された。ひときわ大きな部屋だったがミケルが過ごせるようなスペースはとても少なかった。
「好きなところに座ってくれと言いたいが。そこにかけてくれ」
ヨハナは古いソファに腰かけるようにミケルに促した。そのソファは経年劣化と絵具に汚れていて元の色が分からないほどになっていた。
そしてミケルはそんな事には頓着しない。
汚れたソファに座ったミケルを見てその場にいた2人の女性はそれぞれ異なる反応をした。ヨハナは嬉しそうに笑い、レーアはすぐに求めたいような困った顔を浮かべている。
ヨハナは使用人を呼んで客人にお茶を出すように命じた。使用人はすぐにお茶を持ってきた。レーアは招かれた者の礼儀として一口だけ口へ運んだが苦手なタイプの味だったのでそれきり口には運ばなかった。
ミケルはもちろんそんな必要はないので手に取りもしない。
「飲まないの?」
「喉が渇いていない」
ヨハナはミケルの座るソファを中心に回りうろうろと歩いてミケルを隅々まで観察し始めた。退屈なミケルはごろりと横になった。そうした一挙手一投足がどうにもヨハナは嬉しいらしい。
「お茶を出したのはそれを飲んだ時の表情が見たいからなんだ。美味い、不味いで変わるきみの表情が見たかった」
ぶつぶつと呟いたヨハナの声はミケルに語っているのか自分に言っているのか分からない。
「ふん」
鼻を鳴らしてミケルは更にゆったりとソファに身を沈めた。
すると、ヨハナはにこりと笑った。
「これでいいかもしれない」
どうやら構図は決まったらしい。
真新しいキャンバスを引っ張り出してきて鉛筆を手に取ったヨハナがミケルに近づいては描き、遠ざかっては描き、キャンバスを下書きで埋めていく。
描き始めると無言になったヨハナを見ながらミケルは尋ねた。
「転生者を知ってるか?」
「転生者?」
ヨハナはミケルから目を離さずに口を動かして答えた。
「そうだ。転生者について知ってる事があれば教えてくれ」
「さあね、転生者なんておとぎ話として伝わるぐらいにしか聞かないな。でも、そうだな。絵画にはそうした者を描く者もいる。ミケルの探し物はそうした者たちを追うと見つかるかもしれないよ」
「まあ、私はそんなものは描かないけどね」とヨハナは付け加えた。
「宗教でお前は何をしているんだ?」
「難しいね。私は描いているとしか言えないかな。初めは神を描いたんだ。それがかなり高評価を博してね。神の姿をまがりなりにも写す絵画はその姿を求めるクロイン派が最も高い評価を出して中には私を支援したいと言う人までやって来た。その縁で私はクロイン派にいるんだよ」
「それならどう思っているんだ?」
「良くも悪くも生活がかかってるからね。ありがたく思っているし、持ちつ持たれつってところじゃないかな。私もそれなりに信仰心はあるからね」
「クロイン派はどこへ向かっているんだ?」
「難しいね。どこへ向かっているんだろうな。分からないよ、私にはね。どこへ行くかなんて分からない。それが神が教えてくれると思っている連中の集まりだろう、宗教というものは。導きを求めるものだよ、人はね。母親と父親の手から離れた瞬間にね」
ミケルは立ち上がった。
そんなミケルを見てヨハナは驚きもせずに言った。
「飽きたかな?」
「少しな」
「飽きさせないように質問には答えていたつもりだったけれどダメだったか。また来てくれる?」
「気が向けばな」
ミケルは出口へ向かって歩き始めた。その様をヨハナは目に焼き付かせるようにじっと見ていた。下書きにささっと線を加えていく。
外に出ると街路の方から人がやって来るのが見えた。
「これからどうするの?」
レーアが尋ねる。ミケルには案はなかった。
とにかく当初の目的としていたクロイン派の教会へ行く事にしようと街路へ向かって歩き始めると先ほど見た人がミケルたちの前までやって来ていた。
女性だった。ヨハナとはタイプの違う女性だった。ヨハナの家から出て来た2人を見て驚いたような目を向けている。
ミケルたちはそんな女性の視線を避けて通り過ぎた。
どうやらヨハナに用のある人らしいとミケルは思った。
街路へ入ってもミケルたちを見ている視線を感じる。努めて気にしないようにしたがどうにも気にかかった。
角を曲がるとようやく視線から切り離されて楽になった。
「ヨハナの知り合いでしょうか?」
ミケルの緊張を察していたレーアが尋ねる。
「そうだろうな」
角から覗いてみるとヨハナの家に入っていく女性の姿が見えた。
「ここで待っていろ」
レーアにそう言い残すとミケルはヨハナの家へと再び向かい始める。
姿を見られないように侵入に相応しい姿になった。
蛇の姿になるとミケルはヨハナのいたアトリエの方へと急ぐ。
果たしてそこには2人の女性がいた。
「新しいモデルを見つけたの?」
「ええ、あなたも見た?」
「うん、とびっきりの子ね。私も良く見たいわ。どこで見つけたの?」
「街を歩いている時にね。運命の出会いってこういうのを言うのよ。散歩ってやっぱりするべきだなって思った」
「散歩か。ところで例の子、あなたが前にモデルの話を持ち掛けていたあの娘だけど裁判にかけられるそうよ」
「へー、そこまで行ったの。どうしてそんな事に?」
「クロイン派の教典を持っていた事となんでも偶像崇拝の疑いをかけられているらしいの」
「へー、セシルが偶像崇拝か。そんな娘には見えなかったな」
「人は………」
「「見かけに寄らないもの」」
声をそろえて言う2人はそろった声に微笑み合った。
ミケルはすぐにヨハナのアトリエを去った。
アトリエから離れると身体を戻して駆けてゆく。
セシルの元へ急がなければならなかった。