第46章 画家ヨハナ
ミケルはセシルが捕まっているという獄舎へと来ていた。
そこはとても汚くて酷い臭いのする場所だった。
こんなところにセシルを長い時間、居させる事はミケルにとって苦痛でしかなかった。
それなのに当のセシルはそれを受け入れていた。
「何があったんだ?」
ミケルが尋ねた。
ミケルはセシルとの面会を申し出た。それは拍子抜けするほどすんなりと通ってすぐに叶った。
講堂のような場所に手枷を嵌められたセシルと対面して話をしていた。その講堂では他にも数人の面会者が居てそれらの人々が怪しい動きをしないか監視する者が壁際に立っている。講堂の出入り口には武器を持った兵士も立っていた。
ミケルならここの者たち全てを薙ぎ払ってセシルを連れ出す事など容易にできる。
「クロイン派の本があったのです。ミケルが探していた本だと思って持ち出したところを見られていたようで窃盗だと通報されてしまいました。誰がそうしたのかは分かりませんが確かに良くない事です。罪はわたしにあります。然るべき手段を踏んでからあなたのところへ持っていくべきでした。冷静じゃなかったのですね。反省しています」
くだらない、何が罪だ、何が反省だとミケルは思った。そんなものからはかけ離れた存在であるはずだとミケルは思った。
今すぐに彼女を自身の庇護下に入れるべきだと思った。そうでもしなければ愚かな群衆は取り返しのつかないほど彼女を傷つけるかもしれない。
「もしセシルが望むのならこの場できみを連れ出したって良い」
ミケルがそう言うとセシルは優しく微笑んで言った。
「いけません。これは私の罪です。あなたが負うべきものじゃありません。私はここで償います。きっとすぐに出られますよ。それに乱暴はだめです。それにここは意外と静かで考える時間がたっぷりある気がします。ミケルの新しい名前を考えるのにうってつけの場所かもしれません」
うふふと彼女は笑った。平気そうにいるのが信じられなかった。周りの人間たちは敵意だけでなく情け容赦のない眼をしている。
そんなミケルの心配を読み取ったセシルは再び微笑むとミケルに言った。
「大丈夫ですよ。すぐに出られます」
励ますような言葉はミケルだけに届いていた。
それからは他愛のない話をした。セシルが捕まったと聞いたレーアの反応やこれからの予定などを話すと時間はあっという間に過ぎて行った。
かんかんと鐘を鳴らす音が響く。面会時間があと5分で終わるのだ。
「もう終わりですね。最後にいいですか?」
「なんだ?」
「祈りを捧げさせてください」
そういうとセシルは机の上で両手を組んでミケルへ向かって首を垂れた。
ミケルはその様子をじっと見ていた。そうするべきだと思ったからだった。
そして面会時間の終わりを監視者たちが告げた。
セシルは顔を上げて微笑んだ。
「ずっとこうしたかったのです。投獄されて考えていたら私が祈りを捧げるべき相手を見つけたような気がしました。また来てくださいね」
ミケルはこくりと頷いた。
「もちろんだ」
祈りを捧げられると心が洗われるような気がする。
連れていかれるセシルを見送るミケルは彼女の腕を掴んだマスクを被った男を見てその壁へ叩きつけてやりたい衝動に駆られていた。恐らく彼女が口に出して止めていなかったらミケルは間違いなくそうしていただろう。
だが、今の彼は無気力にすぐにも助け出したいという意志をどこか投げやりに持ったまま茫然と立ち尽くしていた。他の面会者たちはその時間が終わると足早に去っていくのにミケルだけがいつまでもそこに残っていた。
獄舎を出るとレーアが待っていた。
「セシルはどうだった?」
レーアもセシルを心配しているらしい。それはミケルと同じくらいだろう。
「平気だと言っていた。当分はここで過ごしたって構わないと」
「バカ」
本当にその通りだとミケルは思った。
「クロイン派の教典を持ち出そうとしたらしい。それを誰かに見られていたそうだ。クロイン派について調べようと思う。ウィノラはどこにいる?」
レーアは頭を振って不在を訴えた。
「まあ、いい」
本当は良くないと分かっている。だが、ミケルはこれ以上深く考えられないと思って投げやりに言った。
「きっとすぐに解放されるよ」
レーアがミケルを慰めた。それはセシルについてだったが彼は聞かずにすたすたと歩き始めていた。
投げやりになりながらもミケルは考えていた。ウィノラはあの教典に執着している。どこかで取り戻す策を考えているはずだ。盗むという事は何らかの理由でそれが必要だったのだ。そしてその必要は今も変わっていないはず。
クロイン派は大聖堂から西側に教会を建てている。ミケルはその教会を訪ねてみようと思った。
「俺はクロイン派の教会を訪ねてみる。レーアはどうする?」
ミケルがこうして尋ねるのは初めての事だった。
「ついて行く。だって子供の姿のままじゃ色々と不便でしょう」
「ふん、好きにしろ」
ミケルとレーアは並んで歩いた。
獄舎からクロイン派の教会までは少し距離があった。
レーアがその教会までの道のりを教えてくれたので歩みに迷いはなかった。
街路を行っていると他の区画との違いが目立つようになってきた。クロイン派の者たちで作られているこの街路の両端にはたくさんの店が出ていた。野菜や果物を売っている店が多く出ている。
自然とそれを求める人が増えて来てミケルたちの歩みは少しずつ遅くなった。
「あれ、坊や」
歩いているミケルを呼び止める者がいた。聞き覚えのある声だった。
「モテるんだねえ。この前とは別の娘を連れてるなんてさ」
セシルと食事をしていた時に話しかけて来たあの女だった。レーアに目を向けたのはほんの一瞬だけだった。どうやら彼女の食指にはレーアは引っかからないらしい。
「なにかよう?」
子供らしくミケルは尋ねた。ミケルはヨハナに用はないのだ。
「ねえ、良かったらお前を描かせてくれない?」
「描く?」
「あれ、セシルが言わなかったかな。私は画家なんだ。絵を描くんだよ。これでも名の売れた画家なんだ。ねえ、描かせてよ」
ミケルの視線と自分の視線を合わせて腰を屈めて顔を近づけて言うヨハナは悪く笑っているようにすら見えた。
「この子はクロイン派について調べるつもりなんです。絵のモデルになってる暇なんてありません」
レーアが割って入るとミケルの手を取って先を行こうとする。が、ヨハナがその逆の手を取って言った。
「なら好都合。私はクロイン派だよ。私が答えられる範囲でなら答えるよ。私は描いた絵を教会へ納めてもいるからね。神父とも親しい。私しか知らない情報を教えられると思うなあ」
餌が目の前にぶら下げられるとレーアは黙ってしまった。
ミケルに判断を委ねている。
余計な関係をこれ以上に持ちたくないと思っていたミケルだった。調べる事はクロイン派の歴史やこの画家を名乗るヨハナの作品歴でもない。どんな絵を納めたなどと語られたらそれこそ時間の無駄だった。
だが、絵だ。
ミケルはそこが気になった。自分をモデルに描きたいという。
自分がどう見られているのか、どう映っているのか気になっていた。
「良いだろう。でも、時間はそれほどとれない」
ミケルの返事を聞いたヨハナは笑って頷くとレーアに勝ち誇ったような眼を向けて肩にかかった長い髪を後ろへ撫でつけながら言った。
「じゃあ、さっそく私のアトリエに行こう。ここからすぐだよ」




