第44章 ハドゥマとの激突
大聖堂へと繋がる階段から人が下りて来る。
ハドゥマだった。
4つの神殿の扉は開いたままになっている。身を隠して痕跡を始末するには時間があまりに少なかった。
クレイは観念して黒狼の傍に寄り添った。コードは下りて来る人物の事をじっと見ている。黒狼は唸って敵意を丸出しにぶつけていた。
ハドゥマは階段の中ほどで一度立ち止まると2人と1匹の黒狼を睥睨してから鼻で笑うと下りて来るのを再開した。
ゆったりとした動作は余裕を表していた。口元からは笑みは消えない。脅威とみなしていないのは明らかだった。
コードはミヒャエル派の教徒として同派の神父であるハドゥマを恭しく迎えた。
「こんにちは、ハドゥマ神父」
ハドゥマは応じなかった。それでもコードの態度は変わらない。
「ここはいったいどういった神殿なのでしょうか?」
コードが問いかけるとハドゥマは顔だけを向けた。その顔は整った顔立ちをしていて40代半ばといったぐらいの優男のものだった。櫛の跡が残っているほど後ろへと撫でつけた髪の毛は彼の厳格さを表している。
「我々、ミヒャエル派の神殿なのですか?」
コードは答えないハドゥマに異なる質問を口にし続けた。恐らく答えるまで彼は止まらないだろう。
だが、ハドゥマは冷ややかな目をコードへ向けるばかりで口を開こうともしなかった。
「今日の祈りを忘れていませんか?」
この問いかけに初めてハドゥマの表情が動いた。それは微かな動きだったが彼の何かが動いたのは誰の目にも明らかだった。
敵意があった。ハドゥマの眼には明らかな敵意が冷ややかに込められている。
コードはそれでも恐れずに問いかけた。
「“祈り”を忘れているのはなぜですか?」
神父にあるまじき行為だと非難する様にさえ聞こえる口調だった。いや、実際に非難しているのだろう。
「やれやれ勘違いした馬鹿を相手にするのはこうも疲れるとはな」
ハドゥマの声は地下に良く響いた。響きすぎるほどだった。何かのスキルの効果に違いなかった。
「あなたはミヒャエル派のハドゥマ神父ですね?」
コードはまだ問いかける。
「ああ、そうだ。ミヒャエル派の神父ハドゥマだよ。それがどうかしたか?」
「今日の“祈り”を忘れていませんか、怠っているでしょう?」
神殿の事よりも“祈り”の事の方が重要らしい。コードはそこにこだわり続けた。
「必要ないからだ」
「必要ない?」
「ああ、“祈り”など必要ないのだ」
「なにを言っているのですか?」
ハドゥマはコードの相手を止めてクレイと黒狼を見た。
「どうやってここに?」
「地下道の貯水槽を潜って来た」
クレイが答えた。
「なるほど。やはりあそこは早急に塞ぐべきだな」
言いながらハドゥマは前に出入りしていたあの神殿の中へと入って行った。
がたごとと何かを構う音がする。
クレイたちから眼を逸らした事はこの上ない機会に思えた。事態は良くない方向に行っている気がする。
「今のうちに外へ出よう」
コードと黒狼に提案する。階段の方へ向かっていたのはクレイだけだった。
「ちょっと?」
コードは明らかな敵意を燃やし始めていた。
「コード?」
クレイが呼びかける。
「彼は“祈り”を怠っている。神父に相応しくありません。それを理解してもらい辞していただきましょう」
黒狼も唸り、今にも飛び掛かりそうだ。
まるっきりそんなつもりのなかったクレイは戸惑いながら仲間意識と再びひとりになる事を恐れてそこに残った。
ハドゥマが神殿から出て来た。手にヴァイオリンを持っている。
そこに残っている敵を見やるとハドゥマは冷ややかに眼を細めると左手でヴァイオリンの先を持ち、顎と肩でそれを挟むと弦に弓を押し当てた。
その時にはクレイだけが次に行われる演奏が攻撃である事を理解していた。
初めに耳に届いた音色は「ド」だった。
その音色を聴いた時、クレイは酷いめまいに襲われた。大きく撓む感覚に襲われると知らず知らずに大きく首を傾けて下を向いていた。
「あ」
まずい、と思った瞬間には既に倒れこんでいた。反射的に手を出して受け身を取る事も出来ずに顔から床に倒れこむと酷い音が響いていた。
コードも頭を抱えるがなんとか倒れないように踏ん張っている。ただ彼の全神経は倒れないために使われていて反撃の余力はない。
ハドゥマが次の音色を奏でる。
すると、黒狼が飛び掛かっていた。
「おかしいな。獣ほど効果はてきめんに効くんだが」
ハドゥマはより音を鳴らした。先ほどよりも強く、大きく。
クレイは目の前が真っ暗になった。コードも同じだったろう。ついに膝を折ると手探りで何かを探していた。
「やはり小さすぎるか」
ハドゥマがぽつりと呟くとそれでもハドゥマは演奏を止めない。むしろより大きく音を出す。
すると、黒狼は引き込まれるような強い牽引力を感じた。海上での渦のような逃れがたい
全身に力を入れて踏ん張るが引き込む力はますます強くなっていく。どうやらそれはハドゥマのスキルによるものらしい。そしてあのヴァイオリンでの演奏も合わさっての事だろう。
黒狼は唸り声をあげて牙を剝くと引き込まれる力に乗ってハドゥマへと再び襲い掛かった。




