第38章 クレイの勘
長い通路をクレイと黒狼は歩み切った。
通路の先に出るとそこには厳かな神殿が広がっていた。太く高いところまで伸びた柱が立っている。
その地下を照らしているのは火の光だけだった。その明るさがクレイを少しだけ恐れさせた。
クレイは黒狼を見た。迷わずに神殿の方へと向かう。クレイはその後に着いて行った。
「ねえ、あんたの家ってわけじゃないよね?」
神殿の入り口は外衣をまとった人の彫像が両端に置かれていた。今にも動き始めそうなほど精巧に造られている。
「あんたの飼い主ってどこにいるの?」
神殿の奥へとクレイは入っていく。人を探しているクレイは「あのー」、「誰かー」などと小さな声を出しながら神殿の中を歩いた。
神殿内もところどころに灯りがある。つまりは人がいるのだ。すると地上に出られる希望が湧いてくる。
そしてミヒャエル派の中に殺人者がいる事を教えなければならない。
「ねえ、灯りがあるって事は人がいるって事だよねえ。あんたの飼い主なの?」
黒狼は答えない。答えるはずがないとクレイは知っているのに語りかけずにはいられない。
神殿内には他にもいくつもの彫像や絵画が置かれていた。どれも神をかたどった芸術品たちだった。神そのものを描写した作品、神そのものをかたどった作品、神を知る人々を描いた作品などがたくさんある。
クレイは裕福な家に生まれた。幼い頃からそうした芸術品に触れる機会はあった。彼女の父は趣味で絵を描く。その影響でクレイは音楽を嗜むように教育されて来た。この街の自宅にもヴァイオリンがある。
クローゼットの奥に置いたままで一度も取り出した事がなかった。アクセルが聴きたいと言わなかったからこの街に来てから一度も弾いた事がない。
「じゃっかん彫像も絵画も神の形が違うね。きっと作家が違うだろうからそれぞれの思う神の形が出てるんだよ。こういう差を楽しむのが芸術なんだって教えてもらった。ねえ、わたしね、ヴァイオリンが弾けるんだよ。知ってるかな、聞いた事ある?」
もちろん話しかけた相手は黒狼である。
「あんたが聴いてみたいって言うなら久しぶりに弾いても良いかもなあ。でも、ずいぶん持ってないからちょっと先に練習しなきゃいけないけどね。もちろん手入れもしてから」
黒狼は答えない。変わらずに部屋を覗き込んではまたとぼとぼと歩いて別の部屋へと入る。黒狼も何かを探しているのだとクレイは思った。
神殿内はとても広かった。左側にある多くの部屋を全て見終わったクレイたちは再び中央の大きな空間に戻ってきた。その部屋の中心にはとびっきり大きく精巧に作られた神の像がある。他の魔獣を右足で踏みつけて高らかに勝利を宣言しているかのように空へ向かって咆哮するように大きく口を開けた像が置かれていた。
クレイはその神殿を真向かいに見ながら壁に背を持たせかけて座った。歩き疲れていた。その場所でクレイはちちっと再び舌を鳴らして黒狼の注意を引く。それなのに黒狼は少しもクレイに対して興味を持とうとしないのだった。
つれなく見向きもしないでとぼとぼと歩く。すんすんと何かをに嗅いではどこかへと歩き、戻ってくるのだった。
そんな風にして退屈そうにとぼとぼと歩いているのなら一緒に横になって一眠りでもしたらよっぽど気持ちが良いのにとクレイは思った。
実際に彼女はその場で横になって休みを取った。身体は疲れていたし、足はもう棒のようになって動かない。
うとうとして寝入っていたかもしれない。
黒狼は構わずに神殿内をうろうろと歩き回った。
眼を覚ますといくらか活発になっていた。身を起こして辺りを見回す。そこは変わらずに神殿の中だった。
クレイはため息をひとつついて立ち上がると姿が見えない黒狼を探した。
3つほど奥へ中央の部屋を進んだ先に黒狼はいた。
「もー、こんなところまで来てー。勝手に行っちゃダメでしょ」
叱ってみせる。舌を鳴らして呼んでも来ないし、話しかけても反応はない。だから、叱ってみた。ちょっと強い語調で言ってみた言葉にも黒狼はほとんど反応しないで次々と部屋を覗いていく。
でも、ひとつだけクレイは確信を抱いていた。この黒狼は何かを探している。それは自分と同じものかもしれない。例えば地上への出口とか。
クレイはこの黒狼に大きな信頼を寄せていた。無視されても反応がかなり薄くともこの黒狼は水の中で助けてくれたのだ。信頼するにはそれだけで足りる。
「あんたも何かを探してるんだね。私もなんだ、私のスキルはね、人探しにぴったりのスキルなの。それなのに見つからない。頼りないよね、こんな私じゃ。でも、あんたの力にならなれるかもよ。何を探してるの?」
答えはない。そんな事は分かり切っている。でも、交流を試みる事の何がいけないと言うのだろう。クレイはこの黒狼に対する想いを大きくし始めていた。それはもしかしたらこの場にいないアクセル、もう反応が見られないアクセルよりも大きくなりつつあった。
「手伝ってあげるよ。あんたの探し物が見つかれば私も外に出られるかもしれないから」
そういうとクレイは元気よく神殿の奥へと歩き始めた。
奥へいくと広場へと出た。そこは庭園めいた作りになっているのに緑はない。中央の円形の台はなにかを祀るために置かれているのにそこには何もなかった。
台の上には4つの柱に支えられている屋根がある。そしてその太い柱の中ほどに神の像が彫り込まれていた。どこまで行っても神と一緒にいる街だなとつくづく思った。
何か象徴的だなと思ったクレイはその円形の台と屋根、柱をよく調べた。だが、何も変わったところは見つけられない。黒狼もクレイと同じようにその場所を気にかけているようだ。
「なにかありそうだね、ここ」
クレイが呟くと黒狼はすんすんと臭いを嗅いでいたのを止めてすっとクレイを見た。
初めてまともに眼があった気がする。
それが堪らなく嬉しかった。意思の疎通があるような気がした。
「いや、そのちょっとだけそう思っただけなの。何か考えがあるってわけじゃなくってさ」
照れ臭くて慌てた感じになった口調が恥ずかしい。クレイはこんなに気分が良くなったのはずいぶん久しぶりのように思えた。街の医師、ルイーゼ派の教徒のところへ通って治療を受けていた。そしてもうすぐまた受けに行かなくてはならない時期なのに今はもうそんな事は考える必要はないようにさえ思われる。
クレイも分からないと見て取った黒狼は再び歩き始めた。
クレイもその後について行く。
円形の台座を抜けた先にあったのは4つの小さな神殿だった。
黒狼が最も近くにあった右から2番目の神殿の方へと歩いていくので彼女は右端にある神殿の方へと近づいていった。
扉は閉められている。試しに押してみたがびくともしない。裏に回って他の出入り口がないか探してみる。
それもなかった。驚く事に窓すらない。
「そっか、風もないから窓も必要ないんだ」
ひとりで納得していると黒狼も裏に回って来ていた。どうやら開かないらしい。
すると、その4つの神殿の中央にあった舗装されている道の先に階段が見えた。
地上へ向かう階段だった。
「階段だ!」
クレイは叫んでいた。そして走り出す。
黒狼はそんな彼女を見ていた。
するとごごごごっと重い岩が動くような音が響いて地下が揺れた。地上と地下の繋がりを塞いでいた岩の扉が開いたのだ。階段を上った先から光が差し込む。
幅の広い石段の先には1人の男が立っていた。
そしてゆっくりと降りて来る。
クレイは慌てて黒狼のところへと引き返してきた。
「ミヒャエル派のハドゥマだ」
彼女は怯えた目で黒狼の傍まで帰ってくると小さな神殿の影に隠れた。
「ここはミヒャエル派の隠し神殿なんだ」
ゆっくりと下りてくるハドゥマをクレイと黒狼は見つめていた。