第37章 告白
セシルはミケルに抱き着いていた。デッカーの姿に扮していたミケルに語ったようなおしゃべりだとかそういった感じにはならなかった。
ミケルが頷くなり彼女は瓦礫の山を越えてミケルに抱き着いた。彼女は驚き、そして泣いていた。
涙声で「会いたかった、会いたかった」と繰り返し言うのでミケルもこの再会は正しかったと確信した。
「どうしてこの街に?」
「ちょっと用事があって」
「そう、用事があるのね。そっか、いつ来たの?」
「つい、最近だよ」
「用事は済ませた?」
「まだなんだ。もう少しかかると思う」
「今までどこにいたの?」
「色んなところに行ってたんだ」
セシルは様々な質問をミケルにした。ミケルもそれにひとつひとつ丁寧に答えた。少年の姿になると青年の姿でいる時よりもいくらか優しくなれるような気をミケル自身が抱いている。
セシルはまだ語り足りないらしい。尋ねたい事や話したい事がたくさんあり過ぎてどれから手を付けたものか分からない様子だ。
そうしたセシルをそのままにミケルは静かに話し始めた。
「今、人を探しているんだ」
「人を?」
「そう、人を。僕の、いや、俺の生涯はそれだけで始まってそれだけで終わると思う。いつもそう考えているんだ。少し前から実はセシルに気が付いてたんだよ。でも、いまさら会ったって仕方がないと思ってたんだ」
「そんなあ、寂しいじゃない。でも、こうして話しかけてくれたんだもの。良かったわ、ああ、今日はなんて幸せな日になった事でしょう!」
「僕はね、転生者を探しているんだ」
「転生者?」
「そうだよ。セシルは聞いた事があるかな、転生者について?」
「少しだけなら。前世の記憶を持つ人、スキルを普通の人よりも多く有している人でしょう。そしてたくさんの伝説を作った」
「そう、その転生者を探しているんだよ」
「どうして探しているの?」
「見ていて」
そう言うとミケルは姿を少年のものから青年の姿へ、青年の姿からデッカーの姿へ、そして黒狼、蛇、鹿と変えて元の少年の姿へと戻った。
「これが僕なんだ。これが僕なんだよ」
セシルは驚いてぽかんとしている。空いた口が塞がらないようだ。
「これが僕なんだ。君にもなれる」
そしてミケルはあの日、村で彼女を読み込んだあの姿に変わった。
「まあ」
これにもセシルは驚いたが恥ずかしそうに手を振った。
「やめて、やめて。戻ってよ」
ミケルは少年の姿に戻った。
「僕たちは肉体を失った魂だけで作られているんだ。魂でこの身体を作っているんだよ。そして僕たちという魂が入るはずだった肉体は奪われたんだ」
「誰に?」
「転生者にさ」
ミケルは己がうちにある炎が揺らめくのを感じた。
「僕たちは転生者に肉体を奪われた。入るべき肉体を横取りされたんだ。僕たちは弾かれるように捨てられてしまった。目が覚めたのは暗い場所だったよ。本当に真っ暗でどうしようもなくて苦しかった。そしてみんなで集まってその場所を抜け出したんだ。その先がセシルと出会った村の近くにあった森の中だったんだ」
ミケルが話をする間、セシルは時折、あいづちを見せたり、ちょっとした質問をしたりしていたがほとんど身動きもしないで聞いていた。その様子を事情を知らない者が見れば姉が悩みを打ち明ける弟の話を優しく聞いていると思った事だろう。
「僕のミケルという名前も本当は他人の名前なんだ。あの時にとっさに出た本当の名前じゃない。僕たちにはまだ名前がないんだ」
ミケルの声は震えていた。哀しみがそうさせていたのだが、それ以上に怒りが燃えていた。告白という行為がいつだってそうさせるようにミケルは初めて恥ずかしさを抱いていた。ミケルはこれからセシルにある要求をする。それがなんとも恥ずかしい。
「セシルに頼みがあるんだ」
セシルはこくりと頷いた。ゆっくりと上下する彼女の顔をミケルは見ていた。とても優しげだった。そんな優しさの前でならどんな心だって露わに出来そうに思われた。
声が震える。これは哀しみと怒りではない。恥のためだった。
すると、セシルはミケルの手の甲にそっと触れて優しく微笑むと今度はしっかりと頷いた。
「僕の名付け親になってほしい。名前が欲しいんだ」
人間になるために、真の人間性を持つために、とミケルは胸中で繋いだ。言葉にはできなかった。
ミケルの告白を聞いたセシルは困ったように表情を曇らせた。断られるとミケルは思った。無理もないだろう。ただミケルはこの告白を繰り返さなかった。言葉は確かに届いている。そのために曇ったのだ。あとはそれに対する返事を聞くだけ。ミケルにはその準備ができている。彼は何も言わずにセシルを待った。
「名付けなんて初めて。私ね、恥ずかしいけれど村の動物や植えられた木や花に名前をつけて呼んでた事があったの。それとは訳が違うもの」
ミケルはこくりと頷いた。そして彼女を真剣な眼差しで見た。答えを聞く準備はできている。そうと伝える眼をしていた。その眼に射抜かれた時、セシルは昔を懐かしむような遠い眼から帰って来て頬を赤らめた。これほど強く見つめられたのは初めてだった事もあるし、なによりミケルの表情がセシルの何もかもを受け入れてくれるような深みを感じていた。
セシルはこくりと頷いた。頷いたまま顔を上げようとしない。ミケルはそれを承諾と取っていいのか判断しかねた。だが、彼女はこくりと頷いたのだ。
「でも、いきなりはダメ。だって、名付けって重要なのよ。私がセシルって名前をもらった時はお父さんとお母さんが何日も考えて付けたんだからね。お母さんのお腹がまだ少ししか膨らんでいなかった頃から考えててんてんに膨らんだ頃になっても決まっていなかったんだから。まあ、要するに時間が要るの。いいでしょう?」
「かまわない」
「うん。あとそれと街を歩きましょう。私、ミケルに村を案内してあげるって言ったでしょ。それが宙ぶらりんのままなのが引っかかるな。だから、明日にでもこの街を一緒に歩きましょ。その時にミケルの事をたくさん教えて。そうしたら名前の良い案が浮かぶかもしれないから。そうだ、今はまだミケルって呼んでるけど良いでしょう。だって、名前がないと不便だもの。名無しのごんべえさんなんて呼べないでしょう?」
「好きにしてくれ」
「じゃあ、そうしましょう。明日ね、きっとよ。絶対なんだから!」
セシルは忙しなくまとめた荷物を手に持った。他のルイーゼ派の教徒たちが同じように荷物を持って移動を始めている。セシルはそれについて行かなければならなかった。
ミケルはそれを見送っていた。少年の姿のままで。
すると、一度は離れて行ったセシルがまた戻って来た。
「忘れてたわ。ミケルは今、どこに住んでいるの?」
「無賃宿の502だ」
ミケルは借り受けてからほとんど帰っていないあの部屋の事をとっさに思い出して言った。
「分かった。じゃあ、明日のお昼ごろに迎えに行くから待っていてね」
ミケルは頷いた。笑っている。心からの喜び、嬉しさで彼は生まれて初めて笑っていた。
離れていくセシルを見えなくなるまで見送った。彼女はもうほとんど見えなくなった頃にもう一度だけ振り返って荷物を置くと手を振った。
ミケルは右手を肩の辺りまで上げて少しだけその手を左右に揺らした。