第32章 人ならざる者たちの決闘
闘いは続いていた。
棍棒を振るミケルだったが彼の思惑通りには進まなかった。どれだけ強くそれを振るってもインガルの持つ杖を叩き折る事は出来なかった。逆に金剛杖での突きが驚くほど強い。数回の突きを受けただけで棍棒を持つ手にびりびりと響きがある。
痛烈なその突きを身体で受けるのは避けた方がいいとミケルが判断したのは正解だった。だが、力強い攻撃を行うために力を込めるとそれなりに動きが遅くなってしまう。
そしてミケルはほとんど考えもなく打撃を全力で打ち込むために些細な攻撃は見過ごす事にしたのだった。
インガルは風神の扇を上手く使って縦横無尽に建物内を駆け回った。
インガルが駆けるとミケルは攻撃する。診療所だけでなく教会すらもその攻撃によって徐々に破壊されつつあった。診療所の屋根と北側の壁はすでに崩落している。蝋燭の火は1つ残らず消えて月光だけが辺りを照らしている。
インガルはどうやらミケルを本当に捕らえるつもりでいるらしい。積極的な攻撃はなく、金剛杖の神通力と【山を掴む手】でミケルを抑え込もうとしている。
だが、無数のスキルによって身体能力を上昇させているミケルは素早さではインガルに遅れを取っていない。彼はインガルの【山を掴む手】の逃れ方を徐々に心得始めていた。
神通力はロンドリアンで闘ったマハマユーリの方が遥かに強かった。なにせあれらはその力でミケルの取り込みすらも退かせたのだから。
そしてそれはインガルも分かっている。神通力も【山を掴む手】も対応されつつある。
風神の扇は攻撃には向かない。身体能力はほとんど拮抗しているはずだと踏んでいたが恐ろしい事にミケルの能力は徐々に上昇を続けているように思われた。というのもインガルの方もまた徐々に小さな傷を受けていたからである。
並の者なら劣勢と判断して逃げの一手を講じるところだがインガルはそうしなかった。熱心な研究意欲だけで彼は留まっていた。ミケルの頭の中に手を差し込んだあの高揚を彼はまだ感じていたかった。
闘いが長引けば自分が有利だとインガルは確信している。そしてそれはその通りだった。建物は崩落している。騒ぎを聞きつけた教徒たちが集まれば声をあげて助力を乞う事は容易い。なにせ自分はインガル神父で負傷者を護っていると言えば助太刀を得られるだろう。スキルについては【山を掴む手】を明かした事はないので天狗になるスキルと治療を行うスキルの2つを有していると言う事も出来るのだ。
だからこそインガルは縦横無尽に素早く動いては小さく攻撃する事を繰り返した。
それなのにこの怪物は、間違いなく身体能力が上昇していた。それも格段に。
ミケルはゆらりと脱力して身を踊らすと眼にも止まらぬ速さでインガルの前に突進してきた。もはや避けるのは間に合わないと防御のために杖を前面に突き出した。
すると、ミケルは更に身を屈めて下から上へと跳ね上がると前へと突き出した杖を下から突き上げてインガルの防御を崩すと彼の無防備な胴体へ向かって棍棒を振るった!
インガルは避けなかった。棍棒の攻撃を受け止めていた。金剛杖と扇を持ったままで抱えるようにミケルの棍棒を受け止めていた。恐ろしさはなかった。初めには拮抗していた力は今やミケルの方が僅かに上回っている。これ以上に上昇する前に決着を付けておきたい。
スキル【汝の罪を濯ぐ】で自分の精神状態をそれに相応しいものに作り変えていたインガルは持てる力の全てを使ってミケルを抑え込もうとしている。
棍棒を抱き抱える2匹の獣たちは互いに睨み合っていた。攻撃している獣が攻撃されている。
肉体と精神のせめぎ合いが苛烈に行われている。
インガルは驚くほど強かった。どうやら天狗になると心身ともに力が増すらしい。人間の神父の姿だった頃に使われた時とは比にならない力で抑え込まれている。
だが、ミケルも負けていない。棍棒をそのまま振り抜いて棍棒を抱き込んだインガルを振り払うとそのまま全力で脳天へと叩き込むのだ。もうそれしか考えていなかった。
そうした両者は棍棒を隔てて身体はほとんど密着するぐらいに近づいていた。
その両者の間に下から浮かび上がる青白く光るのを見た。
その瞬間に1匹の獣は笑った。勝利を確信したかのように。もう1匹は分からぬまま更に力を込めていく。
そして建物の壁を全て崩落させる轟音が轟くとインガルは巨大な蛇に咬みつかれていた。
地下道に潜んでいた蛇に扮した同胞たちがやって来たのだ。光っていたのはミケルの両足のくるぶしの辺りだった。碑文が輝いている。蛇にそれはない。尻尾の始まりの辺りが同じように輝いている。
スキル【刻まれた碑文】の力だった。これはネクタネポの獅子が保有していたスキルで分身体を作るスキルだった。
「蛇?」
インガルの恐ろしい形相は怒りと苦悶に歪んでいる。
「そのまま取り込んでしまおう!!!」
ミケルたちは蛇に咬みつかれたインガルへ向かって襲いかかった。
「ますますあなたたちに興味が湧いて来た。絶対に、絶対に我が物にして見せる!!!」
インガルは蛇の口から逃れるために全力を傾ける。風神の扇を使って蛇の口の中から強い風を吹かせると勢いよく暗い上空へと飛び上がっていった。
そして神通力で雲をかき集めて姿を隠した。
「絶対に、絶対にあなたを研究してみせる。また会おう、半人半獣のきみよ!!!」
ミケルは月光に身を晒すのを避けていくインガルをその目で見送っていた。
力が足りない。もっと力を求めなければならない。もっと、もっと力を。




