第28章 シャツを握りしめる手
アクセルを探していたクレイは自身でも予期せぬ内に囚われていた。
案内されるがままに建物へと入り、部屋の中へと入れられてしまうとそのまた奥の部屋へ、そしてまた奥へ、いつしか地下への階段を下りて出口は完全に断たれてしまった。
地下室の一室にいたのはアラリカと数人の男たちだった。男たちはどれも屈強な体つきをしていてアクセルでは歯が立たないだろうとすぐに分かった。至る所に大小さまざまな傷がある。古い傷や新しい傷が見え隠れしていてクレイは恐ろしくなった。
アラリカの事はクレイも知っている。噂で聞いた事があるぐらいだが闘技場を運営している者たちのひとりで主に[人]を調達する専門だとか。この建物内では争う物音はしない。獣の声も、人の声も。
「転生者の事を知ってるのか?」
アラリカが机に身を乗り出してクレイに尋ねた。
「おとぎ話で聞く程度ですけど」
そんなおとぎ話をどうしてそこまで熱心に聞こうとするのかクレイには分らなかった。
「それでもいい。知ってる事を話せ」
クレイは戸惑った。
アラリカは端に控えていた男を呼び寄せてひそひそと小声で何かを話している。それに男はいちいち頷いていた。
そうしてクレイは知っている限りの転生者の話をした。前世の記憶を持つ者、スキルを複数個保有する者、おとぎ話では国を興したり、滅ぼしたりと大きな仕事をしていて様々な影響を人間に与えたと。
調べれば簡単に分かる事だった。少なくともクレイが話した内容は幼少期の男女ならだれもが知っているような内容だった。
それを聞いたアラリカたちは真剣に何かを話し込んでいる。
「具体的なエピソードとかないのか?」
アラリカが尋ねる。クレイは首をかしげて考えた。
残っている伝説、伝承、おとぎ話。
その中でクレイが最も好きなお話は魔獣に生まれた転生者が前世の知識や保有しているスキルをふんだんなく使って人間として、魔獣として立身出世し、人魔合一の国を興したというお話だった。
このエピソードにもアラリカたちは一言一句逃さない熱意で聞いていた。これほど熱心に聞かれるのでクレイは気分が良くなっていた。
そしてアラリカたちは何かに納得したようにこくりと厳かに頷いた。彼女らの中で何かが落ち着いたらしい。それを見て取ったクレイは解放される時も近いと感じて安心しつつある。
「ねえ、わたしも聞きたい事があるんだけどいい?」
クレイの聞き方には馴れ馴れしいところもあったがアラリカは促した。
「アクセルってここに来たの?」
「ああ、来た」
アラリカが答えた。さも、それがとても忌々しいと言わんばかりに顔を歪めて。
「わたし、アクセルを探してるんだけど知らない?」
そういえば人を探す時には全く苦労をした事がなかったなとクレイは尋ねながら思い出していた。この馴れ馴れしさも人探しの苦労を知らないからこそのものだった。
クレイが尋ねた事にアラリカは考え込んだ。
「そういえば地下道から出たところを見ていないな」
ふと、思い出したようにぽつりと呟いた。
「地下道、また地下道に行ったんだ。でも、どうして地下道なんかに行ったんだろう?」
「これ以上は言えない。私たちは詳しく説明は出来ないんだ。あとは自分で探してくれ。まあ、もしかしたらアクセルも私たちと同じ事をお前に聞くかもしれない」
アラリカの言葉の真意を測りかねたがクレイはこの言葉を解放と受け取った。言われなくてもアクセルを探すつもりでいるのだ。すぐにも出て行くつもりだった。
「待て、もしかしたらまだ尋ねる事はあるかもしれない。お前の家の住所を教えてくれ。その時には使いを送る」
クレイはアラリカに住所をすんなりと教えた。抵抗は全くなかった。彼女はアクセルを見つけ出したらこの街を出て行くつもりでいる。アラリカたちが使いを送るころには自分たちはそこに住んでいないかもしれないのだ。
建物を出るとクレイは一度、自宅へ戻って武装した。武器を持って戦闘に備えた服を着込んだ。アラリカたちに囚われた時のように無抵抗で過ごす事も良い時と悪い時がある。
たったひとりで地下道へ向かった。それは知る人が聞けば無謀だと言っただろう。だが、クレイの周りにはそのような人はいなかった。
彼女の目的はあくまでもアクセルを探し出す事だった。彼女は武器やそれなりの防具を忘れなかったが最も大事に持ったのはアクセルの置いていったシャツだった。
驚くことに彼女は全く躊躇いもせずにこの地下道に入って行った。どうやら何も知らないらしい。すでに噂のようなものは流れていた。カーティスやその他の者たち数人が地下道で獣と闘って重傷を負ったという内容だった。そして彼らは然るべきところの情報では15人ほどで行ったらしい。帰って来たのは数人だけ。
クレイはすぐにもアクセルを見つけられると思っている。それもごく簡単に。彼女はこの地下道内で再びスキルを発動させた。アクセルの反応はない。
「あれ?」
どう捉えてもスキルの効果範囲内にアクセルの反応は見られなかった。
地下道から出たところを見ていないと言っていたという事を思い出して彼女は進んだ。
ここにいるはずだと考えていた。それなのに反応がないのはスキルの不調に違いない。
見つけて、連れ帰って、この街を出よう。
お金なら心配ない。頼めばいくらでも送ってくれるんだから。
クレイはカーティスやミケルたちと来た時に組を分けて探索した事を覚えている。自分の行った道を辿るのは有益と思えなかった。迷いなく彼女はアクセルとミケルが進んだ道を選んで歩きだす。
すると、少し行ったところで話し声のようなものが聞こえて来た。誰かが話している。それも会話のように。テンポがあって声の大きさと質が違う様々な声。
クレイは暗がりを歩く者としての習性で出来る限り物音を立てないように慎重にそこへと近づいて行った。
果たしてそこには4人の男がいて話をしていた。
貯水槽内で3人の男が着ている衣服をぼろぼろにして1人の男を相手に弁解めいた様子で話をしている。良い話ならアクセルの事を聞こうと思っていたのにどうやら尋ねられる雰囲気ではない。
「それで、きみたちはこれからどうするつもりなんだ?」
男たちは答えなかった。
「答えないとはどういう事だろうか」
男が真ん中にいたぼろぼろの衣服の男の首を掴んで持ち上げていく。すると持ち上げた男の手が紅い色を帯び始めて焦げ付く臭いが辺りに漂った。じゅうっという焼ける臭いまでしている。
「きみたちは“死んだ”。それは間違いない。だが、生きている。これは我々ミヒャエル派の秘儀の加護があるからだ。きみたちはそれを分かっているのだろうか。我々がこれを授けられたのは人間の”死”を乗り越えるための挑戦を行うためだ。きみたちは何をしてそうなった?」
「化け物がいたんだ!」
「そうだ、化け物がいたんだ。あれを乗り越えられたなら”死”を乗り越えられるだろう!」
男は赤熱に燃える手を下ろした。
「ふむ、化け物の存在か。なるほど、それはよろしい。ですが、私のスキルはご存知ですか?」
男が尋ねる。真ん中の首を燃やされた男がこくりと頷いた。端の2人は顔を見合わせている。真ん中の男はそれを見てとるとさっと顔を青ざめた。
「お前たち、まさか?」
「何のことだ?」
「さっぱり分からない」
「私のスキルは副効果で”祈りを捧げた者”の数が分かるようになっている。異常な事にこの場に2人、”祈り”を捧げていない者が居るようだ。それは、誰だ?」
赤熱の手の男に痛めつけられた男は観念したようにあぐらをかいて下を向いた。
端の2人は「まさか?」という顔で成り行きを見ようとしている。
「お前たちの中に2人、秘儀を受けるだけで祈りを捧げていない者がいる。その強欲は万死に値する」
男の両手が赤々と燃えていく。祈りを忘れた2人の男は逃げようと走り出した。
だが、その瞬間に赤い手が逃げる男の横面を殴り飛ばし、もうひとりの男の腿を引き裂いた。
燃えていた。途轍もない高温に溶ける氷のように殴られて、引き裂かれた男たちの肉体は溶けていた。
クレイはこの様子を見て後ずさった。ここから離れようと思った。
男たちの悲鳴が聞こえるとクレイは出口に向かって走り出していた。
処刑を終えた赤熱の男が管の方を覗き見た。そこはクレイが潜んでいた管だった。
「どうされましたか?」
首を焼かれた男がしゃがれた声で尋ねる。
「いや、ここから物音がしたように思えてね。どうやら勘違いかな」
そう言いながらも赤熱の男はまだ奥へと進もうと歩いている。
「まあ、私のスキルの感知に引っ掛からなかったという事は敬虔なる教徒でしょう。祈りを忘れない教徒ほど強い繋がりの仲間はいません。いいですか、神は我々のために存在しますが我々もまた神のために存在するのですよ。それを忘れてはいけません」
赤熱の男がようやく帰ろうと戻りかけた時にある物が視界の端に映った。
それを拾い上げるとそれは男物のシャツである事が分かった。それも特徴的な柄のシャツで素材は良い物だった。間違いなくこの街で売られるようなシャツではない。
それを見てにこりと笑った赤熱の男はシャツを外衣の内ポケットの中へと仕舞いながら外へ出るために出口の方へとゆっくりと歩き始めた。