第20章 この世界に神はいないが転生者はいる
翌日、ウィノラの体調は悪くなった。毒が回っているのだ。これを見ていたレーアやセシルは焦った。
インガル神父も残念そうに「やはり解毒はされませんでしたか」と言ったきりで蛇の調査を進めましょうと提案しただけだった。
それだったのに当のウィノラは何やら救いを得たような面持ちでいる。彼女はすっかり安心していて死を受け入れているような落ち着きがあり、そしてその先に真の救いがあるのだと信じ切っていた。
これがミケルの抱いていたほんの小さな疑いを強くさせた。
インガル神父を調査する必要を彼は認めた。
それと同時にセシルに接触したいという欲求も生じていてミケルは懊悩している。
だが、それにも増して『転生者を殺せ!!』という使命が出て来るのだった。
レーアが突然に落ち着きはらってやって来た時とウィノラのこの落ち着きはどこか似ている。生命を脅かす何ものかの不安を和らげていた。
もしかしたらインガル神父の治癒というのはそうした精神的な効果だけなのではあるまいかという疑いを持つと付け入る隙のように思われる。
レーアはミケルを探して街を走り出した。セシルは顔色のとても悪いいくらか痩せたようにも見えるウィノラの看病を続けながら合間に祈りを忘れなかった。
神は救わない。ミケルには分かりきった事だった。神が我々のような存在を許している。そして我々を許しているという事は転生者という存在も許している事になる。なぜ、このようなシステムが出来上がったのだろうか。ミケルはこの疑問を考えながらインガル神父が動き始めるのを窺った。
インガル神父はほとんど動かなかった。事態を静観している。
午前中は丸々寝て過ごしていたウィノラも遂に動き始めた。彼女の衰弱ぶりは凄まじかった。動き始めたのだが彼女は外へ出るわけにはいかないと知っていた。クロイン派の連中は今もウィノラの事を探している違いない。それを理解していたウィノラは教会の講堂の端で訪れた人の声をかけては転生者について尋ねるのだった。
インガル神父はこれを良く思っていない様子だった。彼女の衰弱ぶりを見てベッドへ寝かせようとするのだがウィノラは言う事を聞かなかった。
セシルも彼女の助けになろうとして身体を支えたり、やって来た教徒に耳を傾けてもらえるように頼みすらしている。
「休ませましょう」
インガル神父が提案した。セシルはウィノラを見た後にこくりと頷いた。その表情は優しげに曇っていた。そこに表れた全ての感情はウィノラのためであったのは言うまでもないだろう。彼女は心の底からウィノラを心配して心を痛めていた。
「私が転生者の事について調べて参ります」
そう断ってセシルは外衣を持って出て行こうとする。どうやら夜通しそうするつもりらしい。
それをインガル神父が引き止めた。
「いけません、セシル。繰り返し言っているように転生者など存在しないのです。私が必要な手続きを踏んでその蛇の討伐依頼を出します。それも早急にしてもらえるようにしましょう」
インガル神父はいくらか強い語調でセシルに言った。彼女はそれでもじっとして居られない様子で迷っている。
「以前から言っていますがあなたの信仰は時々迷う事がある。それもとても些細な事で。あなたの信仰心はとても強い。強いが故にその些細な揺れが目につく。セシル、それは迷いですか?」
インガル神父の問いにセシルは外衣を握りしめて考え込んだ。
「分かりません。私にもこれが迷いなのか、それとも別のものなのか」
「それは良くありません。自分の中に自分すらも判断のつかない何ものかを抱えているなんて。真っ直ぐに見つめなさい」
インガル神父はセシルへと近づいて行く。セシルは彼を見ていた。真っ直ぐに見つめている。
「さあ、こちらへ」
右手を挙げてインガル神父はセシルを誘った。
「いえ、少しだけ考えて参ります」
そう言ってセシルは講堂を出て行った。
講堂を出て行ったセシルを見送ったインガル神父はため息を大きくつくとウィノラに連れ添って奥の診療所へと入って行った。
ミケルは誰もいなくなった講堂内の端に立っていた。今、何かが起ころうとしている。インガル神父は蛇に対処する依頼を出すと言っていた。それは恐らくこれからなされるだろう。標的は今まさに釣れようとしている。まるで餌に咬みつく音が聞こえるようなごく間近で。
依頼を出すとなるとインガル神父は同行しないだろうし、相手は複数かもしれない。いや、それにしてもこの街にもそうした外敵を排除する組織があるのだなとミケルは感心すらしている。
セシルの事も気になったがミケルはウィノラを連れて行ったインガル神父の後を追った。この場で転生者として考えられるのは彼だけだったし、治療と称するあの行為がどんなものなのかが気になっていた。
窓の端から覗くと診察用のベッドにウィノラは寝かされていた。彼女は明らかに衰弱しているが弱り切ってはいない。まだ歩けるぐらいには元気があるはずだ。毒の進行は進んでいる。それなのに焦っている様子がない。その点をミケルは不思議に想いながら観察を続けるのだった。
なんらかのスキルだろうとミケルは推測したがどんなスキルなのかは分からなかった。レーアとウィノラに影響をあのような影響を与えるスキル。
インガル神父と対面で話をしたい。それも2人きりで。
そして同時に面白い余興のようなものまで思いついた。神などいない。だが、転生者は存在する。そして人間もまた存在するのだ。
ミケルは講堂を静かに出ると笑っている自分に気が付いた。口元が歪み、手で触れてみるとその形は悪魔的な微笑みのように思われた。
「どうやら悪魔もいるらしい。そうなると天使も神ももしかしたらいるのかもしれない」
そう呟くと教会内でどこかの扉が開く音が聞こえて来て誰かが話し始める微かな声が漏れて聞こえた。天使の声かもしれなかった。
 




