第18章 さあ、働け。俺の手足となって!!
「転生者なんておとぎ話だよ」
アラリカがまず答えた。
ミケルにとってそれは聞き飽きた言葉だった。捉えようによってはこうした信心が薄く、闇社会に生きる者たちにさえもそうと思わせる徹底ぶりがあると考える事も出来るがそうしなかった。
スキル【幽霊の手】をゆらりと身体から出してアラリカの目の前まで伸ばした。
「本当だ、間違いない。この街ではおとぎ話として伝わってるんだ。だから、そもそも話をしない。だからこそか細く伝わってるんだよ」
「俺の目的は転生者を探し出す事だ。知っている情報を教えろ」
「私がそんな奴らの事を知ってるなんてどうして思うのさ。私は本当に知らないんだ!」
「なら、調べろ」
ミケルはアラリカの服の襟を掴むと管の方へと放り投げた。次いで茫然と立ったままのディーノと恐怖に身体を丸めたままのアクセルも同じように放り投げる。
3人はそれで我に返ると管を出口へ向かって走り出した。彼らの胸中には碑文のごとく刻まれた契約文が光っている。
地下には蛇がいる。ここはそれらに任せていいだろうとミケルは思った。
地下道を出てミケルのやるべき事は見つからないようで見つかっていた。優先事項ではなかったが沈みゆく太陽を見て最初にするべきだと思うのだった。
ミケルはレーアのところへと向かった。レーアのあの不安の拭い去られた表情は彼女が自身で到達した心情とは思えない。きっと誰かの助力があったに違いない。そしてその助力がどのようなものであったのか、それが宗教であったのかを調べようと思ったのだった。
アクセルがレーアを連れていなかったというのはとても幸運だった。彼が連れていなかったからこそ地下道を出てから真っ先にそれを調べようと思ったに違いない。
ミケルがレーアの住んでいる住宅に着くと扉を開ける前から下へ降りて来る音が響いていた。ミケルは咄嗟に建物の陰に隠れると様子を窺った。
扉を開いて現れたのはレーアと頭の先から足の先までを隠した人が表を足早に歩きだしていた。何かぼそぼそと喋っているがミケルには聞こえない。背格好はレーアとほとんど同じだった。体格も女性のものでレーアの隣にいるのはウィノラに違いないとミケルは思った。
彼女たちは真っすぐに歩いていく。ほとんど小走りと言ってよいぐらいだ。迷いなく行くのは目的地が定まっているからだろう。
ミケルは後を追った。姿を隠すという事はそれを見られたくないからだ。見られたくないと言うからにはそれなりの理由があるはず。ミケルに見られたからと言ってどうという事はない。ウィノラはどうしても梟たちや同じクロイン派の信徒たちに見つかりたくないらしい。
そうと分かるとミケルはウィノラが追われている理由を知っていなかった事に気が付いた。
こうした個人のもつ謎を紐解いていけばそれが所属する諸々も暴かれていくとミケルは思った。迷いなくゆく彼女たちを追う男にも全く迷いはなかった。
彼女たちが向かっていたのはルイーゼ派の例の教会だった。
彼女たちを追っていると建ち並ぶ建物の屋上に動く影が見えた。定まっているようで定まっていないこの街並みの屋根たちは見え隠れするそれを容易にミケルに勘付かせる。そしてどうやら追われているのはミケルらしい。いくらか離れていてもミケルの所有するスキル【風を読む者】がレーアたちの居場所をいくらか教えてくれる。
追っているはずが追われている。ミケルはこの立場の逆転を僅かに面白く思いながら踵を返してレーアたちから遠ざかって行った。
雑踏の中に紛れ込んでミケルは動く影の動向を探った。それらは屋根の上から動かない。どうやらやはりミケルを追っているらしい。
雑踏の中を移動して追われる理由を考え続けた。
何者に追われているかは分かる。宗教のどこかの派閥の者だろう。追われる心当たりはひとつだけ梟たちが追っていた狐を治療したからだ。追跡の標的となるとしたらそれぐらいの理由だろう。そしてこれはミケルの推測になるが彼らはウィノラがどこにいるのか判断が付いていないのだ。だからこそ見つかったミケルの後を追っているに違いない。
とすると、追っているのはクロイン派の教徒たちとなる。ミケルはどうするか悩み始めた。レーアとウィノラ、アクセルたちには転生者を調べるように言ってある。それらの妨害は避けるべきだろう。そしてもしかしたら敵の方から手を出して来ようとしているのを好機と見る事も出来る。
時間は限られている。夜になったら教徒たちは行動に移すかもしれない。徒党を組むのは目に見えている。集団でミケルに襲い掛かって来る事も考えられた。
雑踏の中の幸せそうな者たちを見るとそこにクロイン派の連中はいないのだろうかと考えた。情報は共有されていないのかもしれない。彼や彼女らの何も知らない無垢な瞳はミケルに凄まじい嫌悪を抱かせた。その事実が彼に逆転の思考を与えて自分のこの燃える炎の揺らめきも彼らはその瞳から読み取っているかもしれない。
無数の瞳の群れ。あちこちを見て何も見ていない。今、街並みのひとつの窓に一羽の鳩が飛ぶ姿が映ったのを誰の瞳が捉えただろうか。誰かが唄っている上機嫌が耳へと届きながら足を動かして祭りへと向かってゆく。鳩の飛行も唄の旋律も全ては祭りの昂揚を最高潮へと導くための捧げものでしかない。
雑踏の人いきれにいい加減に気持ちが悪くなると程よいところに横へ逸れる小さな通路を見つけた。その通路はいくらか両端に建つ建物に日差しを遮られてまるで建物が立ったその瞬間から道となりはしたがもう二度と日を浴びる事もなくなった悲しいその姿を訴えるようにひんやりとしていた。
ミケルはそこに立てかけられている木の板や古い家具を使って建物の屋根の上へと跳び上がった。雨どいを掴むと彼は身体を引き上げて最上階にある傾く屋根に設えられた窓の出っ張りに身を潜めた。
日は既に傾いている。もう彼方の山陰に円い太陽の端を指先で触れるような優しさで沈めているところだった。こんな時に太陽の光の鋭さは時として増すものである。
空を飛行する鳥は鳩の他にも梟や小型の鳥までいた。そのどれもが獣に姿を変える教徒たちに見えた。
夜になるとこれらは一斉にミケルに襲い掛かって来るかもしれないとミケルは覚悟した。
ルイーゼ派の教会に今頃は着いて何かしらの行動を起こしているであろうレーアたちに注意を向けたのはほんの一瞬間の事だった。
背後に人が立っている。風の向きは真逆だったのでスキルは何も伝えなかった。ミケルはただ動物的な勘だけでそうと思うとゆっくりと振り向いた。
3人の男が立っている。明らかな敵意をミケルに向けていた。
3人の男は手に鋸状の刃をした片手武器を持っていた。手はだらりと下げられていて前かがみの姿勢でいるそれらの表情は良く見えない。フードをすっぽりと被っていてその暗がりから見える眼だけが異様に爛々と燃えている。
人を傷つけるためだけの武器だった。苦痛を与えるためだけの武器。薙ぎ払い、打ち据えて命を奪うよりも如何により良く苦痛を与えるかを考えつくされた武器。
ショーテルのように半月の弧を描く刃は日暮れの影に良く溶け込んだ。佇まいと所作、標的を捉え、共有し、機会を見る様子から3人はそこそこに経験を積んだ者たちだという事が分かった。
ミケルがうんざりするような表情を浮かべて手を挙げて注意を引くと口を開いた。それは自己保身のためというよりは無益な争いを避けて被害者を少なくするための事だった。
「あー、こちらからは手は出さない。まあ、もう手を出された上での反撃としての襲撃なら降りかかる火の粉は払わねばならんが」
と言いながら挙げた右の手を振って更に注意を引く。そうしていると体が僅かに傾いた。
その隙を彼らは逃さなかった。左側に立っていた男が身を沈めるとショーテルを肩に担いで低い姿勢を保ったままミケルの方へと走り出した。
傾いたミケルの姿勢の死角を突いた良い動き出しだった。ミケルの反応は僅かに遅れるだろう。そしてそれは常人なら致命的であり、残りの2人は身動きもしないで先行する1人の攻撃がどのような結末になるかを見守るのだった。当然ながら万が一にも標的が初手の一撃を避けたならその先を2人が狙う。彼らはこのような連携で数々の標的を仕留めて来た。
先行する男は肩に担いだショーテルをてこの原理の要領で最も鋭い攻撃的な個所をミケルへ向かって振り下ろした。彼が所有するスキルも発動して素早さが増している。
だが、ミケルは常人ではない。いくつも保有するスキルが彼に並々ならぬ身体能力向上の効果を与えていて男たちの眼では追えない速度で攻撃を回避した。
姿が掻き消えているのを見た2人と手ごたえが全くない1人は消えた標的を追うが辺りに姿はない。この反応と実行速度から3人は建物の屋根の上から落ちたのではないかと思って下を見るが姿はない。
彼らは互いを見やり、どんな傷害もない事を認め合うと幻影のように消えたあの標的を想いながら屈辱とある種の恐怖に震えて沈みゆく太陽に無様に身を晒し続けた。




