第17章 ウィノラの奸計
ウィノラは毒が全身を巡っているような感覚が恐ろしかった。咬まれた首元がじんじんと痛む。それが鼓動のように思われてその分だけ速く毒が全身を冒していくと思うと気が気ではなかった。
転生者について調べろと言われた。その情報と毒を中和する血清を交換する。
あの蛇はどうやらクロイン派ではないらしい。それは完全に証明された。
ウィノラが事情を説明して梟たちをどうにかしないと外に安全に出られないと語ったのだ。
すると、蛇はウィノラを出入り口の所まで急がせた。
「梟は俺がどうにかしてやろう。外に出て走れ」
ウィノラは言う事を聞くしかなかった。走り出さなければ殺されると思った彼女は容易に走り出した。梟たちに襲われた方がまだ生命は助かる見込みはあるかもしれない。
勢いよく飛び出すと建物の上端に停まっていた2匹の梟がウィノラが走り出した河岸へ向かって急降下していく。
蛇は梟たちがちょうど橋の下を通った瞬間にネクタネポの獅子の姿に変えて爪と牙で襲いかかった。
獅子の牙と爪から辛うじて逃れた梟たちは橋の上へとひとまず上昇した。そこへ更に追撃が迫る。【鋭い羽根】、シャアフニーギィの鋭い大きな羽根が無数に飛んできて梟たちの翼に傷を付けたのである。
梟たちはなんとか地上へと降りていったがもうウィノラの追跡は困難だった。
ウィノラは走りながらこの戦闘を見ていた。普通じゃないと思った。あの蛇は普通の生き物じゃない。そう思うと思いがけずにとんでもない事に巻き込まれたと言う事ととにかくここから抜け出せた事に安心していた。
地下道から抜け出したウィノラは走っていた。自宅へ戻る事は出来ない。クロイン派の連中が既に抑えているだろうから。
蛇に言われた通りに転生者を調べなければならない。期限は3日だ。圧倒的に短い。3日でいったい何が出来ると言うのかウィノラは嘆いた。
転生者の事も調べないと行けないしクロイン派から逃れるために身も隠さないといけない。そして毒の治療も出来ないか考える。毒さえどうにか出来るなら転生者の事もクロイン派からの逃走も全て解決できるのだ。
だからこそウィノラには行く先はひとつだけだった。
彼女はレーアの家を訪ねたのである。
レーアは共同住宅に住んでいて女ばかりがいる家に住んでいた。扉を叩いてレーアを呼ぶ。
そこに住んでいるのはヴィルヘルム派やルイーゼ派の信徒ばかりでクロイン派はいないと知っている。
応対に出たのはレーアではなく他の女だった。
「レーアならいないよ。今朝早くに出てったから」
「どこに?」
「知らない。てか、格好が酷いし、それにこの臭いはなに?」
「ちょっとね。何時ごろ帰ってくるかな?」
「それも知らないわ。あんまり話さなかったし。でも、なんだか嬉しそうだったよ」
「そう。私、中で待っても良いかな?」
「え?」
「その格好で?」と言いたそうに女は表情を曇らせた。だが、この女もルイーゼ派の娘であるらしく困った人に手を差し伸べる教えを忘れていなかった。
「じゃあ、シャワーを先に浴びてくれる?」
「うん、ありがとう」
「あと、着替えもね」
そうしてウィノラはレーアを待つ事にした。この姿について深く聞かれなかったのが幸いだった。
シャワーを浴びながら傷を確認した。そこには丸いふたつの点が出来ている。手で咬まれた箇所に触れてみると微かな凹凸の感触が指先にあってウィノラはいよいよ切実な命の危機を感じるのだった。
ウィノラのスキル【優しき手】の効果で傷のダメージは深刻ではない。このスキルは攻撃のダメージを軽減はするが攻撃の効果までは軽減しない。ウィノラにとって最も避けるべき攻撃を的確に蛇は行ったのだった。
シャワーを浴び終わって身体を拭く。着替えは勝手にレーアの衣服を借りた。これまた幸いな事に体格はそれほど変わらない。
身だしなみを整えてシャワーを浴びてすっきりすると頭も冴えていた。彼女はレーアの机を借りて紙とペンを探し出すとそこに自分がするべき事を列挙した。
やるべき事が書かれている紙を睨んだままで彼女は考え込んだ。レーアはまだ帰って来ないし、レーアの同居人たちもウィノラの邪魔をしない。考える時間はたっぷりあったし、レーアに事情を説明して理解してもらうにもこれらの現状をまとめる事は必要だった。
ウィノラは蛇の要求に応える道と応えない道を考えた。明らかに応える道の方が安全に思われた。だが、応えない道もあるにはあるし、クロイン派の教徒たちに追われる身となったウィノラにとって一刻も早くこの街から出たい。
日が暮れようとしている。夜がやって来ようとしていた。時間が足りない。期限は3日だ。ウィノラは応える道と応えない道の両方を歩もうとしていた。どちらにも身を振れるように準備だけをしておこうと考え付いた。
そしてひとまず蛇の言った「転生者」について調べようと彼女は決めた。
おとぎ話を調べるなんて馬鹿げてると思いながらも彼女はそうするしかない。レーアに真面目に相談でもしたら笑われるだろうと自嘲気味に思いながらウィノラはとにかく彼女を待つのだった。
その頃のレーアは地下道の探索をしていたところだった。そしてもう既に出て来て解散となっていた。
アクセルはカーティスとレーアにミケルが「調べる事を思いだした」と言って先に帰ったと伝えた。カーティスはアクセルの言葉に納得はしなかったがレーアが「彼の、目的は、人を探す事だから」と思い出したように補足を付け加えるといくらか納得して解散となったのである。
しめたものだとアクセルは思ったに違いない。それからアクセルは適当にクレイを置き去りにして非合法の拳闘クラブを運営している連中のところへ行った。
「とても腕の立つ奴がいるんですよ」
そう売り込んでディーツとアラリカを引き連れてミケルのところへと戻ったのである。
レーアはそんな事とは露知らず彼女が夕飯の買い物をしてスキル【祈りの道】でまた街を散歩しながら巨大な影を探す散歩を終えたのだった。自宅に戻って同居人たちからウィノラが来ているという事を耳にした頃には既にアクセルは恐怖に身体を丸めていた。
自室に入ったレーアの目に飛び込んできたのは考え続けて憔悴しきったウィノラの姿だった。
そのウィノラにレーアの買い物袋を抱えた姿がなんと平和的に見えた事か。紙袋から頭を出した細長いパンと野菜たち、肉類はいつも控えめだから紙袋の中には肉類は少ないだろう。でもきっとベーコンか卵ぐらいは入っているに違いない。
ウィノラは思わず泣き出していた。そして自分が空腹である事にも気が付いて涙を手の甲で拭い、別の手で腹部を抑えながら戸口で驚いたままで固まっている友人の方へと向かった。
そして抱き着く。安心が溢れていた。それは紙袋から球形の野菜が零れ落ちた様に似ている。廊下をあらぬ方へと転がっていく。レーアは紙袋から玉ねぎがひとつ落ちた事を理解しながら「後で、拾わなくっちゃ」と思いつつ泣き縋る友人を受け止めて優しく頭を撫でながらどんな不安と恐怖がこの娘を襲ったのだろうかと慰めるのだった。




