第7章 無賃宿の梟
レーアが案内した無賃宿は大通りから1本だけ横道に入った比較的に大きな宿だった。
既にそこにはたくさんの人が入っている。
慣れた様子で宿に入り、混雑する人の中をかき分けてレーアは奥へと入って行った。
いくつもあるテーブルには酒や料理が置かれている。この街に集まった金を持たない者たちがなけなしの金で買ったものだ。
酒を飲んだ赤ら顔の男が酔った目でミケルを見る。信心があるというよりも無賃宿を求めてやって来たと言った方が正しいだろう。
すれ違ったミケルを目で追ってひそひそと仲間と話し始める。
宿の受付に居た浅黒い肌の屈強な男とレーアは話し始める。
ミケルを指差してどうやら交渉しているらしい。
宿はもうほとんど空きがないのだ。テーブルと椅子さえも足りていない。立って酒を飲んで料理を食べている者たちがいる始末だ。
男が首を振るがレーアは譲らない。
なかなか強情な女だとミケルは思った。
騒がしい宿の中を見回すと端の方に据え付けられた大木に梟が3匹停まっているのが見える。
梟たちは方々を見ていた。その内の1匹と目が合う。
「良かった。空きが、ひとつだけ、あるみたい。ここを、宿と、したら、いいよ」
男は肩をすくめてミケルを見る。どうやら彼女が無理を言って押し通したらしいと分かるとミケルはこの場所を宿とする事にした。
男が手を上げて客と話をしていた女を呼ぶ。
女は話を断って受付の方へとやって来た。
レーアを見るなり顔を明るくさせる。
「レーア、久しぶり。どこに行ってたのよ。しばらく見なかったじゃない!」
「ちょっと、この街を、離れてたの」
レーアを抱きしめると視界の隅に映ったミケルを見る。
「え、この人は?」
「一緒に、この街に、来た人。この宿を、紹介したの」
「へー、よろしくね。私はウィノラよ」
「そんなわけだ。ウィノラ、その兄ちゃんを上の502へ案内してやってくれ」
浅黒い肌の男が鍵を投げ渡して言った。
「わーお、502なんてラッキーだね」
「押し通されちまったんだよ。あそこはお得意様だけなんだぜ。初めて来た客に貸す部屋じゃねーんだ」
「レーアらしいね。さ、お兄さん、こっちだよ。あれ、そういえば名前は?」
「ミケルだ」
ミケルの名を知る人がまた増えた。
ミケルが案内された502は4階にある部屋だった。騒がしい食堂を離れたところにあるこの部屋は静かだった。部屋の中はベッドとクローゼット、1組の椅子とテーブルがあるだけで簡素だったが食堂と比べると掃除が行き届いている部屋だった。
ミケルには置く荷物もない。部屋にひとつだけある窓から外を覗くと多くの人で賑わう通りが見えた。階が重なって上にのぼるだけでも騒音は和らいで過ごすのに苦にはならないだろう。それにここからならどれだけ人を見続けていてもそれほど怪しまれる事も少ない。
「食事は下の食堂でね。言っておくけどそっちは代金をもらうよ」
ウィノラが言う。
食堂の事を聞いて思い出した。
「そういえば食堂の端の方に木に梟が停まっていた。あれは飼っているのか?」
「ええ、飼ってるっていうか世話はしてるわね。私よりも古くあそこにいるのよ。常連が来ると教えてくれるの。驚くほど賢いんだから」
「とって、食べちゃ、ダメだよ」
「食わないさ。それぐらいの常識はある」
そんな冗談を言って笑っているとウィノラが腰に手を当てて尋ねた。
「さ、お腹は空いてる?」
空いていない。ミケルには食欲というものはまるでなかった。
レーアはこっくりと頷いて部屋を出ていく。ウィノラも一緒に部屋を出た。
残されたミケルは窓の外を行き交う人々を見下ろしている。
そこには幸せそうな人ばかりで転生者は見られない。早々に見切りをつけて他所へと行くべきかと考えながらミケルを部屋の外で待つ2人気配を感じてそちらの方へと向かった。
食事をレーアと共に済ませるとミケルは大聖堂の方へと向かうとレーアに告げた。
彼女はこっくりと頷いて立ち上がった。どうやら付いてくるつもりらしい。
彼女はどうやら時間を持て余しているようだ。
大聖堂へ向かう人は明らかに少なくなっている。
それだったが帰ってくる人は少ない。建物の中に長い時間を留まっていると考えられた。
歩いて向かう間に平坦だった道は徐々に緩やかな傾斜を見せ始めた。
道の端に等間隔に立っている像がある。像の足元には1枚の石の皿が置かれていた。
その皿には布施が載っている。折れた札、無数のコイン。そこに描かれている人物はどのような働きをしてそこにあるのかミケルは知らない。
子供がミケルの隣を走って大聖堂へ向かう。仲間たちと競争をしているようだ。
そして大聖堂の厳かな全容が見えてきた。
半球体の屋根の上に鋭く尖った塔がある。見たところ4層ほどの階で建てられているこの大聖堂の入り口の屋根は6本の太い柱で支えられている。入り口の開かれた大きな扉には中央を覗く人々の背中で溢れていて両側の壁に作られた窓からは揺れる頭が見えていた。
2階にはバルコニーのように開けた場所があるようだ。バルコニーの縁には入り口の屋根を下に5つの彫刻が立っている。中央の開いた本を持って空を見上げる像の両側には槍を持った像が、両端では膝を立てて中央へ背を向けるようにした座位の像がある。
信者たちは左右へ緩く揺れて唄を口ずさんでいる。
唄は堂内でも唄われているようで反響する唄が窓や扉から漏れ聞こえて来る。
讃美歌のようにミケルには聞こえた。
レーアはその唄声に聴き惚れているように恍惚としている。
そのような表情を唄う者たちも浮かべていた。
聖堂内に入る事は出来なかった。
魔力でもない不思議な力の充満が感じられるその建物の中をミケルは一眼見てみたい気を起こしながら唄と合わせて揺れる人々の間に立っている。
それから程なくしてレーアが口を開いた。
「もし、あなたが、嫌じゃ、なかったら、明日、この街を、案内して、あげられる」
案内されるほどのものがここにあるのだろうかと半ば疑いながらミケルは頷いた。
「それじゃあ、明日にでも頼むとしよう」
ミケルの返事を聞いたレーアはこくりと頷いて「それじゃ、明日」と言って雑踏の中へと紛れていった。
ひとりになったミケルはもう唄への興味を失って当てもなく歩き始めた。荷物の少ないミケルの服のポケットの中で唯一の持った荷であると言わんばかりに誇らしげな音を宿の部屋の鍵が鳴らしている。
建ち並ぶ住宅街の窓から漏れる灯りは人の気配で揺れている。その明るみに触れたくないミケルは自然と暗い方へと足が向かった。
光は建物の中と人の集まる大通りだけを照らす。
何かが潜む闇は簡単にそこにあった。
鳥の羽ばたきが聞こえたような気がしてミケルは振り返った。
だが、そこには何も居ない。




