第3章 悲しき面影
“コトブスの谷”を抜けていくらか進むと森があった。
谷を出て南を見た時に見えていたこの広大な森は遥か先にまで及んでいてミケルが目標としている大聖堂の姿は僅かな標さえも見えて来ない。
この森を抜けるしかないだろうとミケルは考えると足は躊躇いなくそちらの方へと向かうのだった。
森に入る直前のところで夜を迎える備えをしている一団があった。
4頭立ての馬車に荷台が備え付けられてる。車輪は片側に3輪ずつあった。
総勢6人の旅の一団。装いは戦士が2人とレンジャー、弓兵が1人ずつ、加えて修道士が2人いた。
こうした旅の者たちと関わる気のないミケルは構わずに森の中へと入ろうとする。
『修道士がいる』『見えている』『進んでいる道は合っているのだろう』
『接触して情報を集めるべきだ』
そうするのが得策だろうとほとんどの魂が思っていた。だが、不必要に接触を持つのは避けたい。ミケルはロンドリアンでの振る舞いを思い出して躊躇っていた。
『我々は人間を手にかけすぎた。本来の目的と判別をつけられないぐらいに。今こそ我々は分別を持つ時なのだ。上手く交流する方法をここで知るべきだろう。幸いな事にここはロンドリアンから遠く離れている。我々の事を知る者も少ないだろう』
長い沈黙の後に『同意する』という声がいくつも聞こえ始めるのだった。
黒狼の姿からミケルは人間の青年の姿へと形を変えた。
装いも旅人のそれにしている。
ただ荷物はほとんどなかった。
ミケルは旅の一団へと近づいていく。彼らもミケルが近づいてくる事に早くから気が付いていた。
レンジャーの男が相当優秀であるらしい。
「やあ、こんにちは」
ミケルの方から声をかけた。近づき過ぎないように一定の距離を保って、両手を差し出すように空である事を見せながら。
「やあ」
修道士の男が立ち上がってミケルに応えた。
「何か用か?」
レンジャーの男がミケルに尋ねる。警戒した声だった。
「この森を抜けて行きたくてね。君たちもそうなんじゃないか?」
誰も答えない。
沈黙が長く続いた。それがもう答えである事は誰もが認める事だろう。それでも付け入る隙を与えたくないがために戦士の装いの女が答えた。
「そうだよ。私たちもこの森を抜けて行きたい」
何よりも先手を取られるのが嫌な性分を剥き出しにしてやや直情的な眼をミケルに向けながらその手は剣の柄に触れていて少しでも近づこうものなら叩き斬ってやるという意志をぶつけて来る。
それでもミケルは物怖じせずに言葉を続けた。女の脅威にもならない敵意を流すにはそれほど苦労しないのに解こうとする警戒心はその物怖じしない様子にまた強まった。
「良かったら道中を共にさせてくれないか。迷惑はかけない。森の中を1人で行くには心細くてね」
予想出来た提案に男の戦士はぺっと唾を地面に吐き出した。
見るとみんな、首に何かを掛けている。きらりと光るそれがミケルに見られている事を認めた男は眼を細めてよくよく見ようと試みる。それなのにミケルは気にも留めないで話を続けるのだった。
「コトブスの谷の前にあったあの街の老いた神父に言われたんだ。この先に大聖堂があるってね。それでちょっとだけ興味を持ったんだが1人で行くにはこの森は心細い」
この言葉の効果はミケルの考えていた以上にあった。修道士たちは彼の言葉に耳を傾け始めた。
「その老いた神父とはどんな方でしたか?」
ミケルは尋ねられた事を率直に過不足なく答えた。
「高齢の神父だった。白い髭と白い髪、背はそれほど高くなく、痩せてもいなければ太ってもいない」
「その方が大聖堂へ行けと言ったのですか、あなたに?」
「そうだ。人を探しているが行く当てがないと言ったら南へ行きなさい、そこに大聖堂がある、と神父が言った」
「なるほど」
修道士の2人が目を合わせてこくりと頷いてひそひそと言葉を交わす。ミケルはそれを聞かないようにした。旅の一行の者たちにも聞こえていないだろう。
「良いでしょう、私たちは同行に反対しません」
修道士が言うと戦士は舌打ちした。
「おい、勝手に決めるな。人が増える事は考えちゃいないんだぞ」
「森を抜けるのは容易い事ではありません。1人でも協力者が増える事は良い事でしょう?」
「協力者だって?」
「ええ、おそらくは。そうでしょう?」
ミケルは頷いた。どの程度の強力なのかは分からないが情報を得るかわりに森の魔獣ぐらいからは守ってやろうと考えて。
「ちっ、自分の身は自分で守るんだな。あと食料は分けてやれない。人数分しか持って来ていないんだ」
馬車の荷台にはまだいくらかの食料がある事はミケルには分かっている。分けてやれる分というよりは自分が満腹まで食べるのを我慢するほどの余裕がないと言っているのだろう。
「構わない。いくらか余裕はあるからな。数日なら自前の物でどうにか出来る」
旅の一行は夜を迎える準備を再開して動き始める。
「傍に寄っても?」
ミケルはまるで自分こそがお前たちを歓迎してやるのだぞと言わんばかりの鷹揚さで手を広げて尋ねた。




