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転生者よ、我が鎮魂歌《レクイエム》を歌え  作者: 天勝翔丸
人間の誕生
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第2章 老いぼれた神父の瞳


ミケルは老神父の瞳を見ていた。


この老人の眼は深いところへ見る者を誘う力があった。


「あなたは何かを抱えていらっしゃるように見えたもので。そう、恐ろしく重い何かを」


扉が開けられて人々が中へ入ってくる。神父はそれを見ると人が通れるように僅かに身体を動かす。

押しのけられて当たられても神父は悪い顔をせずに和かな表情を崩さない。


「失礼でしたかな?」


「いや………」


「見え過ぎるというのも時には良くないものですな。ですが、そうした物を抱えている人のために私たちはいるのですよ。神と、その神の僕たる私たちは」


「神………」


ミケルはこれまで真剣に神の事など思った事はない。呪詛の念を投げた事はある。だが、それは届く事なくどこかへと落ちていく。


「神が本当にいるのならなぜ、俺のようなものを作った?」


「人は生まれるべくして生まれます。あなたは生まれるべくして生まれたのですよ」


「生まれるべくして?」


「そうです。神は私が仕える事を許してくださった。あなたにもあなたの働きを許してくださる事でしょう」


「本当に神は許すだろうか。俺は過ちを犯しているかもしれない。この悲しい魂たちを、昇りゆく同胞と留まる同胞を神は許してくれるのだろうか」


「許しますとも、ええ」


ミケルは老神父の言葉に応えずに歌声と人々の出す音に耳を傾けた。


「俺の何処を見て重い物を背負っていると思ったんだ?」


老神父はにこりと微笑んだ。


「眼と歩みを見れば」


ミケルは納得して目を瞑ると老神父の慧眼を心の中で褒めた。


「発つのですか?」


「ああ、すぐにでも」


「そうですか。先ほど私がお引き留めして耳を傾けたあなたのその心を忘れないようにしてください。その心があなたを導くでしょうから」


ミケルは答えなかった。

胸中の同胞たちも何も言わない。隔たった心が多すぎて表れる心がどんなものだか分からない。


「どこへ向かうのですか?」


当てはない。いつもそうだ。


「さあ、分からない。ただ発つ事だけが決まっている」


「そうですか、ならば南へ向かいなさい」


「南?」


「ええ、そこに我らの主が祀られている大聖堂があります。あなたのその耳を傾けた心を育てるのならうってつけの場所でしょう」


「そこは大きな街なのか?」


「ええ、ここよりももっと大きな街ですよ」


「なら、行ってみるとしよう」


「ただ途中にある”コトブスの谷”には足を踏み入れぬ方がよろしいでしょう。迂回して行きなさる事です。近年、あそこで恐ろしい魔獣が住み着いたという噂ですからな」


「忠告に感謝する」


出て行こうとする直前まで老神父はミケルの背を見送っていた。その事に気が付いていたミケルは振り返って尋ねた。


「神父、あなたの名前は?」


「名乗るほどの者でありません。私はこの小さな街の隠居した神父です。もし、この老体を気にかけて下さるのならあなたが向かわれるその街でどのようなものを得たのか教えて下されば結構です。この地を去る時にまた寄って下さい。その時にその眼に宿す炎が僅かにでも小さくなっている事をここで祈ります」


柔らかく笑いながら老神父は歌声と雑踏の中へと消えていった。

ミケルは教会を出て行った。


目的が出来た。

ミケルは南へと向かい始めた。

当然ながら神父が避けろと言った”コトブスの谷”を中継する。

恐ろしい魔獣を一眼見ようと思っての事だった。


“コトブスの谷”は煙と硫黄の臭いが充満した酷い谷だった。

人間ではこの土地を行くには向かないだろう。


彼らはその恐ろしい魔獣が転生者ではないかと疑っている。

転生者は魔獣として転生した者もいるはずだ。でなければ我々の中に魔獣が居るはずがない。


立ち昇る煙をかき分けて獣は谷底へと降り立った。


底はずいぶん深かった。煮えたぎるような熱湯の飛沫がところどころに噴いている。

火炎は見られない。地熱に炙られてこの谷底に草木はない。生命もないように思われる。


ただ何かただならぬ気配だけが辺りを漂っている。

何かがいるとミケルは思った。

黒狼の姿のままでミケルは駆けた。気配を振り払うための疾走だったのに思いの外、何かの気配は執拗にミケルの傍にある。


そして遂にずしっとのし掛かるような視線の重みを感じるとミケルは翻って出所を見た。


そこには果たして一頭の猿がいた。細長い手足と腹が異様に突き出た歪な猿が右目を出目にしてミケルをじっと見ていたのである。


ミケルもそれを見つめ返す。いや、睨み返している。


猿は動かない。感じられる魔力や纏った雰囲気は転生者のそれではない。


そしてミケルたちの中にも猿の魂はなかった。


興味を失うとミケルはその場を足速に去ろうと再び走り出す。

谷を出るまで重い視線は二度と感じなかった。

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