第1章 それから………
海を眺めていた。
波打ち際を歩いているアリーシャとその娘がオデュッセウスに手を振る。
彼もそれに応えて手を振った。
「ママ、見て!」
娘が指をさす向こうには一隻の船が停泊しようとしているところだった。
「船だね」
「うん!」
「あれにきっとマヤーさんたちが乗ってるのよ」
「お土産もってきてくれたかなあ!」
「ねだっちゃダメよ」
娘が船の泊まる港の方へと駆けていく。アリーシャはそれを追った。
「オデュッセウス」
背後から彼を呼ぶ声が聞こえる。慣れしたんだ声だった。
彼女がオデュッセウスの隣に座る。
「船が来たみたいだ」
「うん、行こ」
「ああ」
オデュッセウスは立ち上がってリリーの手を取った。
手を繋いで歩いていく。
王都での決戦から数年の年月が流れていた。
アリーシャはぺピンと結婚して娘を生んだ。まだ[四季折々]に所属しているが主に運営側になって働いている。
ぺピンは年齢を重ねると彼の有する【大きくかつ煩い】が光って重宝されるようになった。今ではギルドに欠かせないリーダー役になっているがアルフリーダやオデュッセウスが目の上のたんこぶのように感じられて仕方がないらしい。
マヤーは本国へと帰国して王都キュケロティアで経験した事をまとめて報告した。復興支援のために尽力し、国と個人とで援助を惜しまなかった。
彼は様々な深謀遠慮の末にヒリーヌと結婚した。姉は最後まで反対していたが愛し合う2人の前では無力だった。
彼らが本国へ帰る日にヒリーヌは全ての闘いを終えたオデュッセウスに告白した。
「そのわたしは分かってたんだ。あなたがデッカーを殺した人だって。わたしの【導きの声】が教えてくれていたの。でも、分からなくって。本当に同一人物なのか。リリーたちと過ごすあなたを見ていたら分からなくなったの」
「そうか」
「許したわけじゃない。本当に悲しいし、悔しい。でも、アダルがあなたと闘って、この地を去ったならそう言う事なんだって思ったの。あれからね、手紙が届いたの。ロンドリアンに帰ったんだって。そこで骨を埋めるつもりだって言ってた」
オデュッセウスは頷いた。
「わたしもこの地を去る。今度、会う時はきっと友達でいましょう。そうする事が出来ると思う」
ヒリーヌがそうして船に乗り込んでいき、マヤーが「では、また」と去って行ってからこの来航であった。
ずいぶん久しぶりに会う。
話のタネは尽きないだろう。たぶんたくさん話す事がある。
オデュッセウスはあれから闘いを忘れていた。拳の握り方も忘れてしまったかのようにいる。
幸福かと尋ねられたなら幸福だと答えるだろう。
マヤーたちが船から降りて来る。
ヒリーヌは赤子を抱いていた。
マヤーはオデュッセウスの前までやって来るとにこやかに挨拶をした。
「やあ、久しぶりですね。お元気でしたか?」
「ああ、元気だった。そっちこそずいぶん変わったみたいだな」
「ええ、まあ」
握手を交わす。ヒリーヌは幸福そうだった。
「わあ」
リリーがその赤子を見て喜んでいる。
顔を覗き込むリリーをオデュッセウスは見ていた。
「どっち似だろ?」
「この年齢ではまだなんとも言えませんよ」
[四季折々]のギルド本部へ向かって彼らは話をした。
「それであなたたちは何か進展がありましたか?」
マヤーがオデュッセウスとリリーに尋ねる。
リリーはまごついた。オデュッセウスの方をちらちらと見て言葉を探している。
「いや、特にはないな」
ヒリーヌは赤子をとつぜん可愛がり始めた。赤子をリリーの方へと向ける。
マヤーはこうした事に無頓着なオデュッセウスを呼んで隅に行くと声を潜めて言った。
「本当に何もないんですか?」
「いや、本当に何もないぞ」
「ダメですよ。オデュッセウスさん、それは本当にいけません。リリーさんは間違いなくあなたを待っています。あなたの方から言わなければなりませんよ」
「言うって何を?」
「結婚ですよ。一緒になろうと言わなければ!」
「それは難しい。俺は子孫を作る事が出来ないからな」
「子孫を作る事だけが結婚ではありませんよ。別の形だってあるんですから!」
オデュッセウスはリリーの方を見た。すると、リリーもヒリーヌの抱く赤子から顔を上げてオデュッセウスの方を見る。
眼と眼が合った。すると、気と気が合ったような気になった。
そして眼を背けるタイミングもほとんど同時だった。長く共に居すぎて同一化したように瓜二つだった。
オデュッセウスもリリーの事が分かっているし、リリーもオデュッセウスの事が分かっていた。
眼を背けはしたがまた戻す。互いに見ていたし、見合っていたい。要するに夢中だった。
マヤーは一歩退いた。
すると、ヒリーヌも場の雰囲気が変わった事を鋭敏に察知した。折よく赤子がぐずついた。
あやしながら立ち上がると「ごめんね」と断って部屋の外へ出る。アリーシャも娘を連れて出て行った。
マヤーもヒリーヌに連れ添っていく。
部屋の中は男と女だけ。
「リリー」
オデュッセウスが彼女を呼んだ。
「み、みんないなくなっちゃったね。あはは、変なの!」
オデュッセウスは微笑んだ。彼女の緊張が手に取るように分かった。それなのにそれまで何をするべきか、何を求めているのかはまるで分っていなかった事に驚いた。
「いつもありがとう」
「ど、どうしたの、急に?」
「俺とずっと一緒にいてくれないか?」
それまでは互いに家を持っていた。帰るべき場所は互いの家だった。オデュッセウスはそれさえも吹き飛ばして一緒に居ようと言った。
リリーは泣いて頷いた。悲しみの涙ではない喜びの涙をオデュッセウスは初めて見た気がする。
「はい。ずっとそばに置いてください」
その時に何をするべきかを彼は理解していた。
優しくその花を抱きしめている。
間違いなく幸福だった。




