第72章 闘う理由
クローヴィスは絶頂を迎えようとしていた。
「【三界制覇】が俺を押し上げる。そしてお前もまた俺を上回ろうとあらゆる手を尽くした。そして俺もまた同様に上昇のために手を尽くす」
クローヴィスには全く後悔やそれに類する負の感情はないようだった。
だが、オデュッセウスにはある。もっと別の形があるように思われた。自分の身体を取り戻すためにやって来たはずだ。オデュッセウスだけになった今、その想いを半ばに去ったのかもしれない。そう思うとやりきれなくなる。
『なにか言葉を残してくれさえいれば?』
こんな問いかけをしてみたところで答えはない。それまではあったのに。自己への問いかけは自ずと同胞への問いかけとなっていた。
答えはない。
それなのに巨大な炎は燃え続けている。薄情なほど力が湧いてくる。
オデュッセウスの魂の形は目の前にいるクローヴィスにとてもよく似ていた。違うのは少しだけ顔の形が違う事だけ。
オデュッセウスが似せたのか、あるいは偶然なのか分からない。
高め合ったが故の順応かもしれない。
「どうした、まだ終わっていないぞ?」
両者とも地に足を付けて立っている。闘いは終わっていなかった。
「ふん、センチメンタルな事だな。今になって呆けるとは。高みを目指す事はそれに値しない者を振り落とす。孤独に感じているのか?」
「黙れ」
「ふん、弱々しいな。お前の繰り出す拳がどれだけの物か測れそうな気がする。だが、ここまで来たのは来るに値する者だったからだ。そうした者は少ない。俺の相手に相応しい者は数少ないという事よ。さあ、決着を付けよう!」
オデュッセウスはクローヴィスを見た。
クローヴィスもオデュッセウスを見ている。
構えを取り合った。次の衝突で決着がつくだろう。クローヴィスも、オデュッセウスもそのつもりでやって来る。
オデュッセウスは心の内に湧き上がる憎悪でもない、憤怒でもない、正体の分からない気持ちが恐ろしかった。
この気持ちは疑いようもないほどオデュッセウスを責めている。
後悔と選択の責任が彼へと押し寄せる。これらを持ってこの先を歩めるのだろうか。
クローヴィスがやって来る。彼がオデュッセウスの懐に飛び込んで来た。わずかに反応が遅れたオデュッセウスは拳を防御する事だけしか出来ない。
次々と繰り出される攻撃をどうにかいなしてやり過ごす。
オデュッセウスをとつぜんに襲ったこの強い孤独は彼を打ちのめして無気力にさせていた。その無気力なオデュッセウスをクローヴィスは容赦なく叩く。
「終わりだ。貴様に引導を渡すのが俺ではなく孤独とは!!」
右拳がオデュッセウスに迫る。
【三界制覇】で限りなく高められた威力の右拳を受けたら絶命は免れないだろう。
だが、それを受けても良いとオデュッセウスは思った。たとえどんな結果をもたらそうともそれを受けても良い。
『なぜ、自分だけ残っている?』
こんな問いかけを行った。
『闘う事を選んだからだ。だが、もうどうして闘っているのかも分からない。次への道は示されている。そして多くの同胞がそこへと向かったのに、どうして自分だけ残ってしまったんだ?』
『知らなかったからか。見なかったからか。なぜ、ここまで置いて行かれているのだろう。闘う事の選択には理由がある。残る事はやりたい事が、やるべき事があるからだ!』
拳が迫る。
また選択がやって来る。避けるべきか、防御するべきか。
凄まじい威力を持ってやって来るあの拳を無抵抗で受けたら死ぬだろう。だが、もしも受けて生きていられたら、その時こそ本当に何かが見つかるのじゃないか。
『俺の闘う理由、俺の選択の理由、留まる理由はなんだ?』
手元を見るとそこには幸福な思い出とオデュッセウスという授かった名前と燃え続ける巨大な炎だけ。
「そうか」
オデュッセウスが呟くとクローヴィスの拳を受けた。
地面が割れ、空気にヒビが入る。
「我が名はオデュッセウス!!!」
慟哭する獣とその叫びを聞いて慰撫する女性の存在を思い出していた。
彼女が生きた証、哀しい獣がいた証がそこにある。
その哀しみの清算は決して次へ進む事だけではない。
「行くぞ!!」
巨大化した炎が持つ全てのエネルギーを拳に凝縮させた。
腕ごと弾けてしまいそうなほどの奔流が生まれる。
掴んだ拳を引いてクローヴィスに抵抗を促す。
力を込めて緊張したクローヴィスにその右拳を叩き込んだ。
吹き飛ぶクローヴィスは何とか受け身を取って体勢を立て直す。
彼の眼にはオデュッセウスの上半身が蒼い炎を宿しているように見えていた。
クローヴィスはこの一撃で膝をついていた。ダメージも相当なものだったがそれよりも彼を驚かせたのは彼の【三界制覇】が上手く機能しなくなっている事だった。
力が削がれ、力が入らない。
立って力を入れなおそうとする事だけで精一杯の有様だった。
「良いだろう。まだまだ俺はやれる!!」
スキルさえもクローヴィスの意志についていけなくなった。
全てを置き去りに意志の力だけで向かっていく。
繰り出される拳を躱してオデュッセウスはまた叩き込む。
炎がクローヴィスを焼いた。すると、身と力とスキルさえも燃やしていく。
炎に飲み込まれていくクローヴィスは笑っていた。




