第68章 肉体はもう諦めた
選択肢が現れる。
オデュッセウスはどこかで一つの魂があの場所から旅立っていったのが分かった。もしかしたら風が教えてくれたのかもしれない。
その魂はたったひとつだった。
「闘いだ」
選択はどのようにも取れるはずだった。
「だが、いつだって闘いを選ぶ!」
オデュッセウスは王宮のテラスに出ていたクローヴィスと対峙している。
クローヴィスは見えない部屋に腰かけて目の前に現れた彼を見ていた。
そして口を開く。
「ここまで来ると煩わしさを超えて殺意に変わるものなのだな。やはりこの俺の手を持って死を与えねば止まらんか」
「それでも止まらない。我らは行く、この果てへと!」
「ここでひとつだけはっきりとさせておこう」
「なにを?」
「お前たちは俺を殺したいのか、それとも身体を取り戻したいのか?」
クローヴィスは立ち上がる。
「その二つは同じようで主題が異なる。結末はひとつの命が消える事を意味するが要するにお前の原動力を問うているのだ。殺意で動くのか、本能で動くのか、あるいはまた別の物なのか」
「お前たちを殺す、ただそれだけだ。そして肉体を取り戻す!」
クローヴィスは大きく息を吐きだした。
オデュッセウスはただこれだけのために生きて来た。
「言葉を解さん阿呆とはこういう事か。まさしく獣よ。悲しいな、貴様のその慟哭が最も盛んであった時に見ていれば賞賛も贈る事が出来ていたかもしれないが、今はもう残り火にすぎん。おもちゃを取り上げられて駄々をこねる子供とも性質が異なる。かといって正真正銘の獣とも言えない。悲しいな、人間の世に生きるのも困難で、獣の世に生きるのも難しい。この世のあらゆる物がお前たちにとって障害だったか。
歪な生命よ、いったい誰を憎むのかと問うた時にお前たちは転生者としか口に出せない。何も知ろうとせず、何も聞こうともしない、かといって教えを乞う事もしない、伸ばされた手を何のために伸ばされているのかも知る事がなかったのだろうな。悲しい獣よ。ねだって、ねだって、ねだり続けて、あらゆる要求を抑える事も覚えず出来ない。望む物だけが与えられていないというだけで全てを取り落としていく。さもしい貧しさを想う事もなくただただ既にお前の所有を離れた一つの事にしか目を向けられない。お前を断罪しよう、今ここで!」
クローヴィスが前に出た。
オデュッセウスも前進する。
身の内の炎が燃え立っていく。
『燃えろ』
『燃えろ!』
『燃やし尽くせ!』
『我々の全てを今、燃やし尽くせ!!!』
炎が大きくなっていく。
対岸の消えた炎を見た炎はそれの消え方を、鎮め方を知った。無限に燃える火は有り得ない。いずれ終わりはやって来る。どのようにそれを迎えるかは覚悟しなければならないのだ。だが、無念のうちに終わるつもりはない。あらゆるものを、転生者の魂も蹂躙された身体の骨に至るまで全てを燃やし尽くす。そしてそれが出来るのなら転生者という存在を許した神さえも燃やさなくてはならぬのだ。
オデュッセウスは力強く床を足で叩いた。拳と拳を合わせる。凄まじい轟音が響いた。
闘いの覚悟を決めたのだった。
『失意で終わるのはここじゃない』
『行こう。この先も歩むために、この先にいるであろう転生者を滅するために!』
オデュッセウスは構えを取った。
「ふん、覚悟を決めるのが遅い」
オデュッセウスが構えを取ったその瞬間に既にクローヴィスは動いていた。
クローヴィスはオデュッセウスのすぐそばまでやって来ていて左手を緩やかにオデュッセウスへかざしていた。
瞬時にクローヴィスの方に構えるがクローヴィスの方が早かった。
放たれた右拳がオデュッセウスの腹部に突き刺さる。
だが、当たる直前でオデュッセウスはその拳を右手で受け止めていた。そのまま左拳を捕らえたままのクローヴィスに叩き込むつもりで振るう。
その左拳もクローヴィスに受け止められた。取っ組み合いのように互いの手と手を握り合って力比べとなっている。押す事は押される事で崩壊を招く均衡が築き上げられている。
どちらかが崩すしかない均衡が確かに存在しているが均衡を崩しにかかる動作が隙となる事を恐れてオデュッセウスはこの力比べに真っ向から挑んだ。
対してクローヴィスは最初から力比べで押し勝つ事しか考えていない。
風がゆっくりと吹いていた。
「【風神招来】」
なんとか口にするとゆったりとした風は途端に暴風へと変わってクローヴィスに襲い掛かった。
それなのにクローヴィスはその風を避けようともしないで雑な【我作るは小さき箱】で部屋を作るとそれだけで阻もうとするのだった。
漏れた風がクローヴィスとオデュッセウスを撫でていく。
この戸惑いが隙となった。オデュッセウスは左へ身体を振られるとそのままクローヴィスは彼の身体の下へと潜り込み、掌底を食らわした。
武防備なオデュッセウスの身体にその一撃は強く打ち込まれた。
ひるむ程ではない。オデュッセウスは衝撃を利用して軽やかに回転して体勢を立て直す。両者の距離は広がっていた。
格闘戦になるとは全く考えていなかったオデュッセウスは意外に思いながらクローヴィスを改めて上から下まで観察した。
細い腕と脚から容赦のない力が振るわれる。
「バカめ」
クローヴィスが呟いた。
すると、オデュッセウスの両側に部屋の厚い壁が作られた。それは押し寄せる壁となってオデュッセウスをそこに閉じ込める。
壁を壁が作られたと思い、その狭間がオデュッセウスとクローヴィスを繋ぐひとつとして障害のない通路だと認めるとクローヴィスはオデュッセウスの目の前で力を込めた拳を振りかぶって迫っていた。
どんな防御も間に合いそうにない。そんな隙を許すほどクローヴィスは優しくなかった。
腹部に一撃、折れて前に出た首を掴んで右頬にもう一発。
オデュッセウスは吹き飛んだ。
「ふん、少しでも気を抜けばこうなるのは目に見えた勝負のはず。互いの観察はもう終えていたものと思ったがな。貴様の事はあの時、ザロモを喰ったあの場所で見ていた。その分だけ俺が上回ったな」
握り込んでいた拳を開いて振っている。
「あまり興ざめさせるなよ。【三界制覇】でどこまで上り詰められるか。まだ全力を出した事がない。お前が相応しいかもしれないな。もっと俺を楽しませろ」
クローヴィスが作り上げた通路の先で獣がのたうち回っている。




