第63章 クローヴィスという男
オデュッセウスが王宮の扉を開いた。
そこの王座でクローヴィスは座っていた。酒の杯を回してその中で揺れる酒の水面を考え事をするように見ていた。
バルドウィンはその王座から少し離れたところで苦し気な呻き声を漏らして膝をついていた。口からは一筋の血が垂れている。
「お、オデュッセウス………」
やって来た彼に気が付くとバルドウィンは力尽きる直前の男のようにげっそりとしていて顔色は青ざめていた。
「来たか、我が軍団の新鋭よ」
「虫の息だな、バルドウィン」
オデュッセウスはクローヴィスから目を逸らさずにそんな事を言うのだった。
クローヴィスはバルドウィンとその新しい闖入者に目もくれないでまだ酒を揺らしている。
「よし、オデュッセウスが来てくれたなら奴に一泡吹かせる事が出来るな」
バルドウィンは戦意を喪失していないらしい。
玉座の隅の方で倒れ伏す王に寄り添う王妃が見えた。
「バルドウィン、お前はお前の大切なものを守れ」
「オデュッセウス………」
「クローヴィスは俺が討つ」
オデュッセウスは一歩前に出た。
「王と王妃を連れて王都の外へ出ろ。ここは戦場になる」
「たったひとりで行くと言うのか?」
「そうするのが最も良いはずだ。これをお前に」
彼はカーリンから預かってきた団章を胸から外してバルドウィンに渡した。
「これは、カーリンが? 我が軍団が!?」
「そうだ」
「馬鹿者、あの馬鹿者め。戦士にとって栄誉もないまま死出の旅路を行く事ほど寂しいものはあるまい。馬鹿者、返してどうする、受け取れと儂に申すか!」
オデュッセウスはその鷲の群れをバルドウィンに握らせた。そこにはオデュッセウスが受け取った1羽も含まれている。
バルドウィンはそれを握り込むとそのうちの1羽を取り出してオデュッセウスの前に取り付けた。
「これで正真正銘の我が軍団の精鋭だ。次は忘れたとは言わせんぞ」
「早く行け」
オデュッセウスが言うとバルドウィンはこくりと頷いて王と王妃のもとへと駆け寄っていく。
そのバルドウィンの動きを見たクローヴィスが目を細める。
オデュッセウスは【風神招来】で柔らかい風を起こすとバルドウィンの身体を軽やかに王と王妃のもとへと送った。
その直後には彼の眼にバルドウィンのいたところを漂っていた塵が消えたのを見た。
「ふん、獣風情が人の交感を汲み取るか」
クローヴィスは杯を煽ると酒を飲み切った。
そして空中から杯の中へとまた新しい酒が注がれる。何もない空中から酒が杯の中へ落ちてゆく。
クローヴィスはオデュッセウスを見ていない。
杯を手で回してまた酒の水面の揺らぎを見ているのだった。
酔った様子ではない。
オデュッセウスは再び前に出た。
一歩一歩クローヴィスへと近づいていく。
「【水神降臨】」
「水錬宝槍」
水の槍を放つ。
真っすぐに飛んでいく槍はクローヴィスへ当たる前に玉座の間の中でどこかへと入り込むように消えた。
「いくら追い払っても獣はやって来る。目障りな、いい加減に首を刎ねなければ分からないか」
「お前は転生者か?」
オデュッセウスが尋ねる。
返答はない。
代わりに何かがやって来るのが分かった。
オデュッセウスが持つ【風を読む者】がそれを教えてくれる。
右へ飛んでそれを避ける。
バルドウィンの時のように塵が消える。
「答えないのなら殺すまで」
オデュッセウスはとんと跳ねると一気にクローヴィスへと距離を詰めた。
そして風をまとった右腕をクローヴィスへと叩きつける。
が、その右腕は空振りだった。
クローヴィスは消えていた。
「転生者だとしたところでどうする。この俺の俺自身への決定が貴様のようなものに左右されるはずもない。殺すなどと意気込んだところで意味はない。自ら命を絶つ方がまだ楽だろう。苦しいのなら下ろしてしまえ、その重荷をな」
クローヴィスは玉座の間の中央で見えない椅子に座っていた。
「闘うか?」
オデュッセウスはクローヴィスに近づいた。それが返答だった。
「彼我の差を理解するのは獣の方の領分だと思っていたがどうやら違うらしい。だが、貴様を突き動かす原動力が転生者という存在であるのなら首を刎ねるまで止まらないか」
クローヴィスは立ち上がった。椅子が消え、杯と酒が消えている。
外套を脱ぎ捨てて張り付くような衣服だけになると彼は身軽な様子で拳を握った。
「目の上のたんこぶほど煩わしいものはない。生まれながらにして生命に疎まれる憎しみを誰かに叩きつけたくてしょうがない目障りな群衆ども。そもそも貴様らの存在が間違っているのだ。どうして考えないのだろう。この身体は貴様らが入り込むべくして造られたのではない。転生者という選ばれし存在が生まれるために造られたのだ。
貴様らは2回目がある者に対して1度目の誕生の不平等を恨んでいるだけに過ぎない。他者と産まれ方が異なるという一事に囚われた貴様らが感じる哀れな繋がりはただ一方的で誰にも届かぬ叫びであるだけにどんな形にもなり得るのだ。
思い出してみろ、肉体を求め、存在を求め、精神を求め、培うべきはずだった関係を、友を、家族を、繋がりを、求める。どこまでも強欲な奴。たったひとつ奪われただけで全てを奪われた気になって拗ねた子供のように路上で暴れる愚か者。もう打擲するだけでは止まらない。裁きを受ける時だぞ、哀れな獣よ」
オデュッセウスは燃え立った。
クローヴィスが言った繋がりはオデュッセウスは確かに感じている。この男の肉体は確かにオデュッセウスを作る魂のひとつが入るべき肉体だったのだ。
「行くぞ、クローヴィス!!」




