第16章 許されない行い
「ヘルッシャーミンメル」
オスカーはミケルの龍の姿を見て呟いた。
空と海の支配者と呼ばれるこの巨龍を見たがオスカーは怯まなかった。ドライディウォーケとこのヘルッシャーミンメルとは実力差は歴然としていると理解しているが彼は冷静に状況の把握に努めている。
ただオスカーが知っているヘルッシャーミンメルの形ではなかった。エメラルドグリーンの丸い瞳をしていて乳白色の巨龍であるこの龍だが全身が真っ黒だったからである。彼は色だけが異なる新種かと考えて無理やりに自分を納得させるのだった。
剣のように平たい二本の角の間に縦に並ぶ三本の三角錐状の角が生えている。そして鋼の鱗と大きく鋭い爪、一見すると四つあるように見える大きな一対の翼がある。
オスカーが槍を取り出すのが見えた。彼はどうやらドライディウォーケの身体に巻きつけてそれを装備させているらしい。
一本抜き取るのが見えて振り被ったのが見えた途端にミケルへ向かって投げられるのが見えた。
瞬時にそれを避けるがまた次の槍が向かってくる。それを避けたが次々と槍はミケルへ向かって投げられた。
如何に動きは敏捷になっても的は大きくなって距離も近くなった。オスカーにとっては狙いやすくなって投げる意気も増すのだった。
ただミケルも敗けていない。自由に滑空するミケルにオスカーは中々槍を当てられなかった。
「ヘルッシャーミンメルだが色が違う。お前はいったい何者だ?」
オスカーが初めて口を開いた。
「我々は人間だ!!!」
龍の姿をしたままで答えるミケルの言葉に説得力はない。オスカーはこの存在を訝しむように甲冑の兜を被ったその中で眉を寄せるのだった。
ただオスカーは対応できている様子だったがその支配下にあるドライディウォーケは違った。ヘルッシャーミンメルの姿を見た途端に明らかに動揺していて怖気づいているのがミケルにも分かった。
空中戦はいよいよミケルの方へと傾いているように見えた。
雲を切り裂くミケルの爪はドライディウォーケの身体までは届かなかった。近付けばオスカーの槍が迫る。ただドライディウォーケの攻撃はミケルには当たらなかった。
時間の問題だとミケルは思った。いずれ槍は尽きるはずだし、体力の現界もやって来るだろう。ただミケルにそれを待つ気がなかった。彼はあくまでも蹂躙するのが目的だった。彼らの全力を引き出してなお、嘲笑しながらそれを叩き潰すのが彼らの復讐であるのだ。
更に上空へとミケルは昇って行った。彼はアルドスの屋敷からオスカーを狙って槍を投げたのがほとんど功を奏しなかった事を思い出して同じ効果をオスカーにも期待して飛びあがった。
ただそれだったのにオスカーはミケルの思惑に反して槍を投げ続けたし、その槍はミケルにまで鋭く迫って来るのだった。ミケルの投擲とオスカーの投擲には明らかに差がある。
オスカーはスキル≪騎聖の資質≫によって武具の扱いが十全に出来るようになっている。それの影響と≪千里眼≫による標的の把握と≪星の加護≫による補正もあって彼にとっては最も適した攻撃態勢になっていたのである。
ただミケルのスキルも彼に助力している。
遂にミケルの鋭い爪の一撃がドライディウォーケを捉えた。ざっくりとこの龍の身体を裂く感覚が伝わるとミケルは勝利を確信した。
ドライディウォーケの叫び声が辺りに響いた。龍の苦悶の叫びは低く雷鳴のように轟くのだった。
雲が龍血に染められていく。真っ暗な上空で血に染まる雲に色は見分けられないが何かが浸み込むような浸潤が見えるようだった。
勝利を確信したミケルはドライディウォーケとオスカーに止めを刺すために近づいて行く。致命傷を負ったドライディウォーケは雲の中をのたうち回るように身を捩じって苦痛を堪えている。龍の上に乗るオスカーはなんとかその上に乗ったままで保っていたが攻撃の手は止んでしまっている。
そして遂に飛行能力を保てなくなったドライディウォーケがゆっくりと落下していった。頭部を下にして真っすぐに伸びた線のように落ちてゆく様を見ているとミケルはオスカーの死を予感した。
ただミケルは近づきすぎていたとも感じていた。というのもオスカーの甲冑の兜の奥にある光る瞳は戦意を失っていなかったからである。そしてその瞳はある一点を狙いすましたかのようにきらりと閃いてオスカーの手がミケルの方へと伸ばされた。
ミケルは初めそれに気が付かなかった。まるで助けを求めるかのように手が伸ばされたので彼はそれを取る事なくただ死にゆく人間を見捨てるように見下ろしているばかりだった。
ただオスカーの思惑はそうではない。ミケルのヘルッシャーミンメルの頭部にある角にそれがかかった。オスカーはドライディウォーケの首にかけていた手綱を輪投げのように放り投げてヘルッシャーミンメルの角にかけたのである。
するとヘルッシャーミンメルに扮するミケルの身体がオスカーの≪騎聖の資質≫の影響を受けているのが感じられてミケルは身を捩った。それで角にかかる輪を外そうとしているのだが上手く出来ない。
オスカーは手綱を離さない。精神攻撃を受けるはずのないミケルにとって初めての精神的な攻撃に思われた。それに対してミケルは全くの無力でただ身を捩じるばかりになっている。
そしてミケルはヘルッシャーミンメルの僅かの部分を残してそれを個体として分離した。本体から離された魂たちは少しだけ身体を縮小させながらヘルッシャーミンメルの形を取り直すのだった。
オスカーは角にかかっていた手綱を頸へとかけ直して黒いヘルッシャーミンメルを完全に支配するのだった。
人間の姿へと戻ったミケルは空中に浮遊する手段を失って降下していた。ただその先には落ち行くドライディウォーケの姿を捉えている。彼は仲間が完全に支配されたのを認めるとすぐにあの龍へと狙いを定めた。
オスカーは背負っていた白銀の大きな槍に手を伸ばしてそれを構えた。
ミケルたちの後を追って急降下を命じると彼らの落下を上回る速度でヘルッシャーミンメルとオスカーはミケルへと迫る。
ミケルが手を伸ばして指先がドライディウォーケに触れた瞬間にこの魔獣の身を包んでいた。この龍はすでに絶命していて魂がない。肉体だけに残るスキルを読み取ると≪見下ろす眼≫を獲得した。
そしてこの魔獣の肉体を模るとミケルは迫り来るオスカーとヘルッシャーミンメルを迎え撃つために身構えた。
白銀の槍が閃いたように見えた。切っ先がミケルの目の前まで来ていた。すんでのところでそれを避けると通り過ぎる風圧で身体が吹き飛ばされるのだった。
オスカーは今、かなり強力な魔獣を支配下に置いていた。ただそれがミケルにとって絶対に許せない事だった。
『肉体を奪うだけでは飽き足らず我らの魂までも支配している!!!』『許される事ではない、絶対に許してはならない!!!』『救わねば、我らの同胞を、我らの魂を!!!』
≪憤怒の炎≫の力が増していく。ドライディウォーケの首元から上半身だけを形作るとミケルはオスカーに改めて宣戦布告した。
「お前はもう許されない。死して贖うがいい!!!」




